いつかこの日が来るとは思っていた。
中学生でデビューして以来、将棋界のトップに瞬く間に駆け上がった藤井聡太はまだ21歳になったばかりだ。

将棋の8大タイトルのうち7つを独占する藤井七冠が、残る最後のタイトルをかけて臨んだ王座戦。
相手は王座のタイトルを4連覇し、今回勝てば「永世王座」のタイトルを手にする永瀬拓矢王座である。
「軍曹」の名で知られる永瀬王座は31歳、藤井七冠がプロデビューした頃から切磋琢磨してきた互いに手の内を知り尽くした強敵だ。
藤井七冠の2勝1敗で迎えた5番勝負の第4局は終始永瀬王座のペースで進んでいった。

互いの持ち時間は5時間。
1日で勝負がつく王座戦なのでそろそろ勝負がつくかなと思って、夕方6時半ごろからAbemaTVのライブ中継を見始めた。
AIによる形勢判断は永瀬王座がやや有利、しかしまだ互角の戦いが続いている。
2人とも練習にAIを取り入れている若手棋士だけに、AIが示す最善手をかなり正確に差していく。
解説するベテラン棋士たちもまったく読めない難しい局面が続いた。
8時を回ると、藤井七冠の一手で形勢は一気に永瀬王座に傾き、AIの判定では永瀬勝利の確率が90%を超えた。
藤井くんが負けるのか。
藤井七冠もそれを意識したのか、珍しく駒を動かす手に動揺が表れた。

藤井くんが得意な最終盤で最善手を差し続ける永瀬王座。
藤井七冠の攻めを凌ぎ切り、逆に永瀬王座が藤井くんの王を追い詰めていく。
緊迫した展開。
AIの判定では永瀬王座の勝利は95%以上となった。
ところがここで、永瀬王座が打った一手が「悪手」だったらしい。
AIの形勢判断が一気に藤井七冠有利に逆転する。
永瀬王座も自らの失敗に気づいたようで、しきりに頭をかき落ち着かない態度に変わった。
どうやら取り返しのつかない一手だったようだ。
中継映像からは永瀬王座の大きなため息が聞こえるようになる。
一方の藤井七冠はいつもの落ち着きを取り戻し、永瀬王座の王を詰めにかかる。
こうなれば、詰将棋では誰にも負けない藤井七冠からは逃げられない。
結局、終盤までどちらが勝つか全くわからなかった大熱戦は、午後8時59分、139手で藤井七冠の勝利で終わった。

これにより藤井くんは、1996年に羽生善治さんが七冠を達成して以来となる全タイトル独占を達成した。
もちろん八冠達成は史上初の快挙である。
長い将棋界の歴史を振り返っても、全タイトルを独占したのは藤井くんでわずかに4人目。
個性的な棋士がひしめき群雄割拠が当たり前の将棋の世界で、すべての棋士を相手に勝ち続けるというのは素人が考えるよりも遥かに難しいことらしい。
複雑な駒の動きには「正解」はないとされ、人間の経験や勘や相性が幅を利かせていた将棋の世界だが、AIの登場によって「正解」が瞬時に導き出されるようになり、棋士の世界も大きく変わったのだろう。
藤井くんはまさにAI将棋の申し子である。
日頃からAIを相手に練習を重ね、それまでの定石を次々に打ち破ってきた。
他の棋士たちもAIを導入し始めたものの、藤井くん以上にそれをうまく使いことせる棋士は今のところ現れていないということであろう。

藤井くんはまだ21歳。
「藤井一強時代」は始まったばかりで、今後しばらくは続くと予想される。
しかし、藤井くんに刺激されAIを相手に将棋を始めた子供たちが今後どんどん育ってくるだろう。
過去の定石など勉強することなく、最初からAIを相手に将棋を覚えた子供たちは、藤井くんとも一味違った棋士に成長するに違いない。
その中から、藤井くんを引き摺り下ろす強い棋士がきっと現れる。
プロデビューした頃には、藤井くんが勝つことがニュースだったが、これからは藤井くんが勝つのはニュースではなく負けて初めてニュースとなるのだ。
大谷翔平と並ぶ同時代の歴史的スーパースター。
藤井聡太が八冠達成後にどこまで進化を遂げるのか、それはそれで楽しみではある。
なるべく早く、藤井くんのライバルが出現することを期待したい。