<吉祥寺残日録>私が生きた時代👀 人類が初めて地球外に飛び出し宇宙の始まりを解き明かした #220820

この夏、コロナの流行で外出を控えながら「私が生きた時代」について考えている。

録り溜めたテレビ番組をチェックする中に宇宙に関する番組がいくつかあった。

考えてみれば、私の生きた時代は人類が宇宙開発を開始した時代として記憶されることは間違いないだろうと思った。

まず最初は、シリーズ「映像の世紀バタフライエフェクト」から『宇宙への挑戦 夢と悪夢 天才たちの頭脳戦』である。

この番組では米ソの宇宙競争を担った2人の天才科学者が主人公だが、冒頭20世紀初頭のフランスで公開された世界初のSF映画『月世界旅行』から物語が始まる。

人間が巨大な大砲に乗って月を目指す映画で、見たこともない月の風景は観客を熱狂させた。

原作となる小説を書いたフランスのベストセラー作家ジュール・ヴェルヌは、宇宙旅行を夢見て当時の最先端科学を勉強し、次のような言葉を残した。

『私は現実とは思えないことを色々と思い浮かべた。しかし人間が想像できるものはいつか必ず誰かが実現できる』

ヴェルヌの『月世界旅行』は世界中にロケットブームを巻き起こす。

中でも大きなブームとなったのがドイツ、1927年に研究者たちによって「ドイツ宇宙旅行協会」が設立され、会員はわずか1年で500人に膨らんだ。

1930年代ドイツで台頭したナチスはこのロケット技術に注目、協会にミサイル開発への協力を依頼する。

ほとんどの会員がその要請を拒否する中で、唯一ナチスに協力したのがヴェルナー・フォン・ブラウンだった。

彼もまたヴェルヌの『月世界旅行』を読み宇宙に取り憑かれた一人だったが、そのためには何よりお金が必要だと考えていた。

「おもちゃのような液体燃料ロケットを宇宙まで打ち上げられる本格的な機械にするために、莫大な資金が必要になる。陸軍の資金は宇宙旅行に向けた偉大な進歩のための唯一の希望だった」

1937年ミサイル開発のため「ペーネミュンデ陸軍兵器実験場」が作られ、フォン・ブラウンは25歳の若さで技術責任者に就任した。

度重なる失敗と試行錯誤の末、ついに「V2ロケット」を完成させ、ナチスはそれをロンドンやパリなどに向け3000発も撃ち込んだ。

そしてドイツの敗戦後、ロケット技術者たちは米ソの争奪戦の的となり、フォン・ブラウンは戦犯としての訴追を免れアメリカに渡った。

しかし、人類初の有人宇宙飛行を成し遂げたのはアメリカではなく、ソビエト連邦だった。

1961年4月12日、ソ連の宇宙飛行士ユーリイ・ガガーリンが地球の周回軌道を1周、108分間の有人宇宙飛行に成功した。

私が3歳の時の話だ。

米ソの先陣争いに勝利し、彼は宇宙空間で二階級特進の知らせを聞いたという。

当時の技術ではガガーリンは生きては帰れないだろうとソ連高官が考えていたためだとも言われている。

「地球は青かった」という彼の言葉は、憧れとともに幼かった私の脳裏にしっかり刻み込まれた。

そんなソ連の宇宙開発をリードしたのは、工学者セルゲイ・コロリョフだった。

彼は戦前、ソ連初の液体燃料ロケットを打ち上げた実績を持つ第一人者だったが、大戦中は不遇でスターリンの大粛清の時代、6年間強制収容所などでの生活を強いられた。

終戦の前年にようやく釈放され、戦後ドイツに残っていたミサイルの部品や設計図を根こそぎソ連に持ち帰った。

その情報をもとに、「V2」をコピー改良して1948年「R-1ロケット」を完成させる。

コロリョフはその後も核弾頭を搭載できるミサイル、さらに世界初の大陸間弾道ミサイルを開発するなど兵器開発に邁進、宇宙への夢は大量破壊兵器に姿を変えた。

そんなコロリョフにフルシチョフが人工衛星の話を持ちかけ、1957年10月4日、ソ連は世界初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功する。

しかし暗殺を恐れたソ連はコロリョフを「同志チーフデザイナー氏」と呼び、彼の存在が表に出ることを禁止した。

そのためコロリョフの名は世界に全く知られることないまま、彼はさらなる宇宙開発を進め「ボストーク1号」による人類初の有人宇宙飛行も成功させたのである。

ガガーリンは国民的英雄となり、モスクワ赤の広場で開かれた帰還式典には数十万人が押し寄せたが、コロリョフはこの晴れ舞台でも脚光を浴びることはなかった。

ただ一人でソ連の宇宙開発を担ったコロリョフ。

彼の名前が初めて新聞に載ったのは1966年彼が亡くなった時であり、知られざる宇宙の英雄を讃えてソ連は国葬を行ない、その遺骨をクレムリンの壁に収めた。

「スプートニク・ショック」に加え有人宇宙飛行でもソ連に先を越されたアメリカは、1961年5月25日、ケネディ大統領が「1960年代のうちに月にアメリカ人を送り込む」と宣言した。

アポロ計画のスタートである。

計画の中心となったのはあのフォン・ブラウンだった。

戦後アメリカに渡ったフォン・ブラウンはナチスの協力者だった過去が敬遠されまともな仕事を与えられなかったが、朝鮮戦争の勃発により流れは変わり、アメリカのミサイル開発の責任者となる。

そしてガガーリンの勇姿を悔しい思いで眺めたケネディからアメリカの挽回策を問われたフォン・ブラウンはすかさずこう答えたのだ。

「月に人間を着陸させましょう。ほかの宇宙計画をすべて後回しにしてでも」

フォン・ブラウンは史上最大のロケット「サターンV」や月面着陸船「イーグル」を開発、当時最先端だったコンピューターも導入する。

そのプログラムを開発したのはMIT出身の28歳の女性天才プログラマー、マーガレット・ハミルトン。

彼女が考えた膨大なプログラムを印刷すると人間の背丈を越える高さとなり、それをもとに職人たちが手作業で電線を組み上げていった。

度重なる事故を乗り越え、アメリカは公約通り1969年7月20日、アポロ11号でニール・アームストロングとバズ・オルドリンの2人を月面に立たせたのだ。

初の有人飛行からわずか10年足らずで人類が月面に立つというのは、今から考えるとまさに奇跡であり、冷戦の熾烈な軍拡競争がなければとても実現しなかっただろう。

ベトナム戦争の泥沼化によってアポロ計画が中止されると、NASAのミッションは惑星探索のボイジャー計画と宇宙ステーション建設に移っていった。

1977年に打ち上げられたボイジャー1号と2号は、木星と土星、さらにほとんどわかっていなかった天王星と海王星の観測にも成功する。

打ち上げから7年後、ボイジャー2号は天王星の鮮明な姿を初めて捉えた。

冷たく凍りついた巨大氷惑星である天王星の周囲には、惑星を周回する何本ものリングと10個もの衛星が見つかった。

さらに3年半後、海王星に青い大気や厚い雲があることを映し出した。

そして海王星の周りを回る衛星トリトンで火山活動が起こっていることを確認したのだ。

さらに2006年に打ち上げられた「ニューホライズンズ」によって冥王星の観測も行われた。

翌年には木星をスイングバイして加速し、2015年冥王星に最接近し初めてこの星の詳細な写真を撮影した。

注目されたのは中央に白く輝くハート模様。

その西側には窒素の氷でできた平原が広がっていた。

ロッキー山脈と同じほどの高さの氷の山脈もあった。

クレーターの多い部分には深い谷や噴火の跡のような地形も見つかった。

そして科学者たちを一番驚かせたのは、内部に海が存在する可能性が明らかになったことだ。

冥王星の表面温度はマイナス220度、しかしそこには水が存在しハート型の西側スプートニク平原の下に海まであるというのだ。

水があるということは、生命が存在する、あるいは過去に生命が存在していた可能性もあり、常識を打ち破る大発見になるかもしれない。

冥王星の観測を成功させた「ニュー・ホライズンズ」はさらに先に進み、太陽系の一番外側にある「カイパーベルト」に向かう。

目指すのはハッブル宇宙望遠鏡が発見したカイパーベルト内の天体「アロコス」だ。

「アロコス」は冥王星からおよそ15億キロ離れていて、太陽系ができた頃の姿を今も保っている特別な星だという。

2019年1月、探査機は「アロコス」に接近、雪だるまのような不思議な姿の撮影に成功した。

2つの天体が非常にゆっくりと合体したと考えられ、これが繰り返されることによって大きな惑星ができあがったことを示すものだと注目された。

惑星ができる最初のプロセスを目撃できたのだと科学者たちは考えている。

一方で、太陽系9番目の惑星とされていた冥王星について大きな見直しも行われた。

「ニュー・ホライズンズ」が打ち上げられた頃、太陽系の外縁部で新たな天体が次々に発見され、2005年には冥王星とほぼ同じ大きさの天体も見つかったのだ。

2006年8月プラハで開かれた国際天文学連合の総会で、冥王星は本当に惑星なのかという議論が行われ、科学者の投票の結果、冥王星は周りに似たような天体が存在するという理由で「準惑星」に格下げされることになった。

私が学校で習った「水金地火木土天海冥」の中から「冥王星」は弾き出されてしまったのだ。

その代わり、太陽系の外縁部にはこれまで地上からは観測できなかった無数の天体が存在し、冥王星はそうした「カイパーベルト」の中にある大きな天体だということがわかってきたということである。

このように、私が生きた半世紀余りの間に、太陽系の謎は次々に解明され、今や人類が本格的に宇宙に乗り出す「大航海時代」を迎えようとしているのだ。

これって考えてみると、すごい時代に私たちは生きているということではないだろうか。

さらにこの半世紀の間に、宇宙の始まりについても解明が進み、いつ宇宙ができたのかその年齢もわかってきたというのだ。

Eテレで放送されている「コズミックフロントΩ」という番組はマニアックだがとても面白い。

『宇宙誕生』と題された回では、宇宙の始まりについて科学者たちの研究の歴史が詳しく解説されていた。

宇宙が膨張しているということを初めて発見したのはアメリカの天文学者のエドウィン・ハッブル。

彼は1929年、遠い銀河をつぶさに観察する中で色の違いに気づき、それは宇宙が膨張しているからだと考えた。

宇宙は永久不変というそれまでの常識を打ち破ったのだ。

そして1946年にはロシア出身のアメリカの物理学者ジョージ・ガモフが「ビッグバン理論」を打ち立てた。

ここまでは私も知っているが、あの広大な宇宙が何もなかったところから大爆発によって生まれ今も膨張し続けているというのは、正直なところ文系頭の理解を超えている話である。

ここからが私が生まれた後の話。

1967年、アメリカの物理学者スティーブン・ワインバーグが新たな理論を発表する。

その内容を番組は次のように説明する。

宇宙が誕生する前、そこは何もないまさに無の世界でした。物質はおろかエネルギーもありません。でも時間を超スローモーションにしてみると、別のものが見えてきます。実はものすごい速さで小さなエネルギーが生まれては消えることが繰り返されていたのではないか。あまりにも短い時間の出来事のため、一見何もないように見えているだけだというのです。ワインバーグさんはこのエネルギーを「バキューム(真空のエネルギー)」と名づけました。

これが理論で解き明かされた宇宙誕生です。

誕生の瞬間、そこにあるのは小さな小さな宇宙のタネ。その内部には真空のエネルギーだけが存在していました。このとき不思議なことが起こります。そのエネルギーのバランスが崩れる瞬間があるというのです。その時、空間が信じられないほど超急膨張を開始、これがビッグバンにつながります。

温度は1兆度のそのまた1兆倍以上。ビッグバンの中では真空のエネルギーが一気に物質に変化。物質同士が複雑に相互作用を始め、陽子、中性子、電子などが次々に生まれていきます。

超急膨張からここまでにかかった時間はなんとわずか1秒。その後宇宙はどんどん大きくなりながら成長を続けます。やがて星や銀河が誕生したのです。

引用:コズミックフロントΩ

宇宙ができる前は「無」の世界。

でも小さなエネルギーが生まれては消えていた。

ちょっと想像ができないが、科学者たちの間では宇宙の成り立ちについてコンセンサスが得られているようなのだ。

それでは宇宙はいつできたのか?

ハッブルの計算では20億年前とされたのだが、1990年スペースシャトルによって宇宙に運ばれた「ハッブル宇宙望遠鏡」が観測を始めると、その数字は大幅に書き換えられることになった。

しかし宇宙がいつ誕生したかなんてどうやって調べられるのだろう?

カリフォルニア大学サンタクルーズ校のガース・イリングワース教授は長年、遠く離れた銀河の観測を行なって宇宙の年齢に迫ろうとしている。

宇宙に浮かぶ数多くの銀河はほぼ同時に生まれたと考えられています。つまり遠くの銀河も近くの銀河も実は年齢は同じ。これにより望遠鏡が過去の宇宙を覗き見るタイムマシンの役割を果たします。どういうことかというと、私たちが見ている遠くの景色は光のスピードで伝わってきたもの。光が届くまでの間も遠くの風景は変わり続けます。ということは、100億光年離れた銀河は100億年前の姿を見ているということ。10億光年の距離にある銀河は10億年前、1億光年なら1億年前の姿です。そのため最も遠い銀河を探すことで宇宙はいつ誕生したのかに迫れるのです。

イリングワースさんたちが星までの距離を調べるのに用いるのは星が出す光の波長。あのハッブルも利用した遠い銀河ほど波長が長く赤く見えるという現象です。それをもとに計算することで銀河までの距離、つまり年齢を知ることができます。

例えば1990年時点で観測できた最も遠い銀河がこちら。距離は78億光年、宇宙は少なくとも78億歳以上であることがわかります。

2003年イリングワースさんたちがハッブル宇宙望遠鏡でこれまでにないほど遠くの宇宙の観測に挑みました。狙ったのは南の空にある「炉座」の一角。270時間にわたって一点を観測、そして得られたのがこちら。1万にのぼる大小さまざまな銀河。100億光年以上も離れた銀河も数多く見つかりました。宇宙の年齢が100億歳以上であることは確実です。

さらに遠くを見通せないか。考え出したのは画像を重ね合わせるという手法です。ハッブル宇宙望遠鏡で撮影された2062枚の画像。重ね合わせると当時最も暗い天体まで映し出した1枚の画像が完成しました。イリングワースさんがこの画像の中の天体1つ1つの距離を割り出していきます。そしてかすかに光る赤い天体を見つけ出したのです。その距離は134億光年だといいます。

ハッブル宇宙望遠鏡は宇宙が134億年前には誕生したことを明らかにしたのです。

引用:コズミックフロントΩ

現在観測されている最も遠い赤く光る天体は「UDFj-39546284」と呼ばれている。

イリングワース教授は横に広がった銀河だと考えている。

しかしこれが宇宙の始まりではない。

星ができる前、この宇宙で最も早く放たれたとされるのはビッグバンの光である。

その観測に成功したのがアメリカの天文学者のロバート・ウィルソンさんだ。

発見は全くの偶然だったといいます。1964年、ウィルソンさんは遠くの銀河を観測しようとしていました。使ったのは目では見えない宇宙に漂うガスなどを観測できる高感度の電波望遠鏡。しかし観測を始めると不可解な現象に悩まされます。いつどの方向にアンテナを向けても同じレベルの微弱な電波を受信したのです。必死で原因を探したウィルソンさん。アンテナの内側が鳩のフンで汚れていることに気づくとノイズの原因に違いないと徹底的に掃除。でも一向に消えません。ある日偶然知り合いの研究者に相談したところ、思いもかけないアドバイスをもらいます。その微弱な電波は実際に宇宙から飛んできているんではないかと言うのです。宇宙のどの向きからも常に一定の強さで受信されるという電波。考えられる理由は一つ、ビッグバンの光です。それが宇宙の膨張と共に引き伸ばされ、長い長い波長となったものをウィルソンさんが電波として捉えたというのです。

この発見によってウィルソンさんは1978年にノーベル物理学賞を受賞しました。

そして2009年、このビッグバンによる光を正確に検知するための画期的なプロジェクトが始まりました。ヨーロッパ宇宙機関の探査機「プランク」の打ち上げです。地球からおよそ150万キロの彼方を飛びながらあらゆる方向から来る電波を捉え続けます。そしてついに、1枚の画像データが出来上がりました。

一定と思われていた電波ですが、詳細な解析によってわずかにその強さに差があることがわかりました。これは電波の強弱を色の違いで表したものです。これこそビッグバン直後、火の玉状態の宇宙の様子を捉えた全天写真。この濃淡を理論と突き合わせていくことで発生源までの正確な距離を導くことができます。

そして2013年、ついに宇宙の年齢が発表されました。

発表された宇宙の年齢は137億9900万歳 ± 2100万年。

これは100歳の人間にたとえたなら、その誕生日をわずか2ヶ月の誤差で突き止めたことになります。

宇宙が膨張し続けているとわかってからおよそ1世紀、ついに宇宙の年齢が明らかになったのです。

引用:コズミックフロントΩ

これが探査機「プランク」が描き出した全天写真。

文系頭には全く理解不能だが、ここから宇宙の年齢が割り出されたのはほんの9年前の話なのだ。

こうして見ていくと、私が生きた時代に人類はなんと多くの宇宙の謎を解明したのかと驚いてしまう。

AIの登場によって今後ますます科学の世界は猛烈な勢いで自然界の謎を解き明かしていくだろう。

私が学校で習った教科書の知識は、理科と社会についてはもうほとんど役に立たなくなってしまった。

人類で初めて宇宙から地球を見たガガーリンは、「そこに神は見当たらなかった」と言ったそうだ。

長い人類の歴史で、ずっと人々が神の営みだと信じていた現象が科学によって次々に謎解きがされていく時代。

それは幸せなことなのか、逆に人間を不幸にすることなのかはわからないが、少なくとも私は断固として科学を支持する。

もっともっと真実が知りたい。

科学者や研究者による地道な努力によって、過去の権力者たちによる作り話も嘘にまみれた国家の歴史も、少しずつ真の姿が見え始めているのである。

知ることで心の安寧が失われることがあろうとも、事実に基づいて考え、進むべき進路を決めるのが人間の務めである。

アポロ11号の月面着陸から半世紀あまり。

アメリカは再び月に人間を送り込もうとしている。

2017年トランプ大統領が署名した「アルテミス計画」である。

計画にはNASAのほか、アメリカの民間宇宙企業、ヨーロッパのESA、日本のJAXAなども参加する国際プロジェクトだ。

今回は単に月面に着陸するだけではなく、月の表面に月面基地を建設し、将来的には人間を火星に送り込むことを目指している。

NASAは19日、宇宙飛行士が月面に着陸する候補地13ヶ所を発表し、2025年の月面着陸を目指していよいよ本格的な打ち上げ準備が始まる。

「宇宙強国」という明確な国家目標を掲げる中国も急速にその技術を進歩させていて、今年中にも独自の宇宙ステーションを完成させ、2033年には有人火星探査を成功させると宣言している。

私が子供だった頃、国家の威信をかけた冒険の領域だった宇宙は、今や経済や軍事をめぐる覇権争いに欠かせないフィールド、国の未来がかかったフロンティアに変わった。

宇宙大航海時代。

この目が回るほど急速な進歩が私たちにどんな未来をもたらすのか?

その答えはまだ、誰も知らない。

<吉祥寺残日録>ミサイルとロケットとドローン!「専守防衛」のために必要な装備とは? #220606

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