<吉祥寺残日録>広島原爆の日にハローワークに行く #200806

今日は、広島に原爆が投下されて75年目となる「原爆の日」である。

それを前に、中東レバノンの首都ベイルートから衝撃的な映像が入ってきた。

多くの人が爆発の瞬間をカメラに収めていた。

まるで水爆実験のようなキノコ雲と一瞬遅れてやってくる凄まじい衝撃波。

この大規模な爆発によって、25万人が自宅を破壊されたとも報じられている。

レバノン政府は、現場で危険物の硝酸アンモニウム2750トンが当局による押収後、6年間保管されていたと説明しているが、原爆の破壊力はこの爆発よりも遥かに大きかったことを改めて思い起こしたいと思う。

単なる偶然ではあるが、昨夜、我が家のベランダからこんな写真が撮れた。

都心の方向から昇ってくる「赤い月」。

コロナ禍の中で、会社を辞め、自宅で過ごす時間が増えた中で、月といった身の回りに普通に存在していたものにこれまでとは違う目を向けることができるようになった。

やがて高度を上げた月は、井の頭公園の水面に映った。

あの日から75年。

被爆者の人たちが求め続けた「核のない世界」はますます遠い幻になろうとしている。

それは、水面に映る月のように、いつまで経っても実像とならない。

最近、意識的に歴史関連の書籍を読んだり、歴史を扱った番組を見たりしているのだが、人類の歴史を知れば知るほど、それは戦争の歴史であり、最新兵器の歴史であることを再認識するばかりだ。

結局は、より強力な武器を手にしたものが支配者となり、歴史の主人公となってきた。

その一方で、平和を守り庶民の暮らしを良くすることに尽力した人たちは、いつの間にか名前すら忘れ去られていく、それが私たちが教えられてきた「歴史」というものなのだ。

でも、どの時代にも、乱れた世を正し、みんなが幸せに暮らせるよう尽力した人たちがいた。

そういう人たちを見つけ出し、自分なりに調べて書き残すような作業を、残された人生で少しずつでもできればと思っている。

まずは、日本と世界の近現代史を学び直すことから始めている。

本当に我ながら驚くほど、知らないことばかりだ。

さて、そんな75回目の原爆の日。

私は三鷹のハローワークに行った。

先月の10日に失業保険の受給資格申請をして、今日が初回の認定日である。

これから月一回のペースでハローワークに出頭に受給資格があるかどうかの認定を受ける。

今日のハローワークは、先月と比べてすごく混んでいた。

特に女性の姿が目立つ気がする。

パート職などで解雇される人が増えているのだろう。

2階20番の窓口に「失業認定申告書」を提出して、名前を呼ばれるのを待つ。

思いの外スムーズに手続きは進み、20分ほどで「雇用保険受給資格者証」を受け取った。

7月分として14万円ほどが近日中に口座に振り込まれるらしい。

受給資格は65歳までなので、65歳まで働いていたらもらえないお金である。

長年雇用保険料を払い続けてきたとはいえ、やはりありがたいことだ。

次回の出頭日は9月3日。それまでの間に、最低2回求職活動をしなければならない。

せっかくハローワークに来たので、1階の総合案内で職業相談について聞いてみた。

予約なしにハローワークの職員が無料で就職の相談に乗ってくれる。

ちょうど待っている人もいないというので、試しに職業相談というのを受けてみることにした。

私の相談に乗ってくれたのは年配の男性だった。

「地元吉祥寺で何かお役に立てることがあればやってみたい」と言うと、職員の男性はいろいろ話を聞いてくれて、シニア向けの求人がまとめられたファイルはあるが、私の希望に沿うような仕事はあまりないと言う。

私も一度ハローワークの求人サイトを眺めてみたが、シニアの求人は清掃や介護、駐車場など仕事が中心だ。意外だったのは、マンションの管理人の仕事。

気が向いた時に少しだけなんて言う仕事は当然あるわけもない。

でも、ここで職業相談をしたことで、求職活動の2回のノルマの1回は済ませたことになった。

コロナのせいでハローワークに行くことを躊躇う人は、ネットで求人情報を調べるだけでも特例として求職活動と看做されるそうだ。

こうしてしばらく失業保険をもらいながら、のんびり今後のことを準備していこうと思っている。

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