<吉祥寺残日録>五輪談合疑惑で「電通」を捜索!東京地検特捜部はどこまで霞ヶ関の構造問題に切り込むのか? #221125

東京オリンピックをめぐる捜査は、巨大スポーツイベントを支配する電通に向かった。

東京地検特捜部とと公正取引委員会は今日午前、広告大手の電通などを独占禁止法違反(不当な取引制限)容疑で家宅捜索した。

容疑は、本番前の2018~21年に計56回開催された水泳やサッカーなどのテスト大会の計画立案業務に絡んで、電通などの9社・1団体が事前に落札予定者を決め談合を行なっていたという疑いだ。

さらに大会組織委員会も一連の業者選定の過程に関与したのではないかとの疑惑も浮上している。

テスト大会は大会本番と同じ競技会場で観客や選手の動線などを確認する。入札1件あたりの契約額は約400万~6000万円だったが、落札業者は大会本番の会場運営業務なども随意契約で受注していた。中には契約規模が数十億円に上る会場もあり、計画業務の入札が事実上、運営事業者を決める手続きとなっていたとみられる。

関係者によると、テスト大会の発注業務を担った組織委「大会運営局」には落札業者から職員が出向していた。出向職員が入札について、出向元の企業側に希望する事業を事前に聞き取るなどして、業者間の受注調整に関与した疑いがあるという。

引用:日本経済新聞

かつて、日本の公共事業で談合はつきものだった。

特に建設業でも、中央地方を問わず、工事の規模に応じて持ち回りで受注するのが常識で、それによって日本中にある中小の土建屋さんの経営が成り立っていた。

まさしく「親方日の丸」と言われた時代だ。

田中角栄総理がぶち上げた「日本列島改造論」はまさにこうした時代の頂点だった。

ところが国家財政が厳しくなるに従って、談合によって入札価格が高くなり国民の税金が無駄遣いされていると批判を浴びて、日本社会から業界団体による表立った談合は姿を消す。

しかし、それに代わって公共案件の入札で目立つようになったのが、電通のような官僚をサポートするような特定企業の存在である。

私も現役時代の一時期、官庁が発注する映像制作の案件などの入札に参加したことがあるが、発注元である官僚と直接接触できる案件は多くはなかった。

多くの入札案件では、電通のような業者が役所に代わって入札を仕切っていて、入札の条件なども事実上彼らが決めていたのを見て驚いたことを覚えている。

確かに映像に関して素人である官僚は、どんな映像をどういう基準で誰に発注すればいいのか全くわからない。

だから、その入札業務自体を公募して実績のある企業に発注するのだ。

こうした官僚の業務を代行するような仕事は知らない企業には任せられなくて、いつも霞ヶ関に出入りして顔見知りの業者に頼みたいのが人情である。

電通はまさにこうした官僚の手助けをするような仕事を最も多く受注している企業である。

役人からすれば、電通に任せておけば自分は何もしなくてもそれなりの結果が残るので、自らいろいろ動き回るより効率的だし何か問題が起きても電通が処理をしてくれるので自分が責任を問われることがない。

すなわち都合の良い黒子なのだ。

現実の話、霞ヶ関の官僚に東京オリンピックの運営を考えろと言っても、一体何から始めればいいのか想像もつかないだろう。

だから大型スポーツイベントに精通している電通に頼る。

電通もここぞとばかりに大量に社員を投入して、企画立案から実務まで請け負い、スポンサー集めからイベントの運営に必要な企業の選定まで全てを電通が行なっているのだ。

大会組織委員会と言っても、その実働部隊は全て電通である。

電通は永田町、特に自民党とのパイプは太く、東京五輪を政権の浮揚に利用したい官邸の意向にも配慮しながら絶対に失敗が許されないミッションの準備にあたった。

談合であろうと何であろうと、大会が成功するために必要なことは何でもやっただろう。

しかし大きな誤算は、大きな後ろ盾だった安倍元総理が死んでしまったことである。

安倍さんがいなくなって、アンタッチャブルだったはずの東京五輪に捜査のメスが入ってしまった。

調べれば調べるほど、超法規的な仕事が明るみに出てしまうのはある意味必然なのだろう。

しかし、電通など限られた企業と霞ヶ関の癒着は公然の秘密であり、それなしでは日本の行政は動かないのが現実である。

電通は単なる広告代理店ではない。

政治家や官僚と一体となり、さまざまな分野の政策を具体化し実際に運営する主体ともなっているのだ。

果たして特捜部はどこまで電通の業務にメスを入れるのだろう?

オリンピックに限定した部分だけなのか、政治家との繋がりも含めてもっと深い部分まで国民の目に晒すつもりなのだろうか?

談合事件と言っても一般の人にはピンとこないが、実は日本という国の根幹に関わるデリケートな部分に捜査のメスが入ろうとしているのだ。

一方で同じ日、大阪地裁が出した判決には司法の限界も感じた。

森友学園に絡む財務省の決裁文書改ざん問題を巡る民事裁判で、大阪地裁は自殺した近畿財務局の元職員、赤木俊夫さんの妻・雅子さんの訴えを退ける判決を下した。

雅子さんは、夫に改ざんを強制した財務省の元理財局長・佐川宣寿氏に対し1650万円の損害賠償を求めていたが、裁判所は国家賠償法の「公務員が職務で他人に損害を加えた時は国が賠償責任を負う」との規定に基づき、個人である佐川氏は「賠償責任を負わない」と判断した。

雅子さんの願いは佐川氏に真実を話してもらうことだったが、結局佐川氏は一度も法廷に姿を見せなかった。

国との裁判は去年12月、国側が争うとしていた当初の方針を転換し、およそ1億円の賠償責任を認めて事実関係が明らかにならないままに結審している。

雅子さんは控訴する方針だが、改ざん事件の真相が本人の口から明らかにされることは今後もなさそうである。

先の大戦でもそうだったが、日本にはヒトラーやムッソリーニのような明確な責任者がいない。

今でもそうだ。

誰がそれを決断したのか、どういうプロセスで決まったのかをできるだけ曖昧にして、個人としての責任を問われないようにする社会的な風土がある。

文書を改ざんするのは論外だが、政策決定のプロセスを記録に残さないというのも実に日本的だ。

先日、「酒鬼薔薇聖斗」名の犯行声明文が日本中を震撼させた神戸自動連続殺傷事件の関係資料が全て廃棄されていたことが発覚し大問題となったが、今度はオウム真理教の宗教法人取り消しに絡む資料もすでに廃棄されていたことが明らかになった。

誰でも間違いは犯すのは仕方がないが、やったことには責任を取らなければならない。

重要な決定が後から検証できないのでは責任者が誰なのか知ることさえできないのだ。

日本に関する重大な政策決定がアメリカの国立公文書館で見つかることは多いが、日本にある国立公文書館でニュースになるような重要な秘密が見つかったという話は聞いたことがない。

権力にとって都合の悪い事実は墓場まで持っていく、それが永田町や霞ヶ関では全てに優先されてきた常識だからだ。

五輪疑惑をきっかけに本気になって電通を叩けば、これまでのさまざまな埃が出てくるはずだが、検察にもそこまでやる勇気はないだろう。

まあ、どこまで捜査が進められるか、私はかなりの興味を持って見つめている。

<吉祥寺残日録>「政策的」V字回復の裏で #200609

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