<吉祥寺残日録>ビンラディン殺害から10年!海外ドキュメンタリーが描く「テロとの戦い」への伏線 #210502

アメリカ同時多発テロの首謀者オサマ・ビンラディンが米軍に殺害されてから、今日でちょうど10年となる。

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ブッシュ政権が始めた「テロとの戦い」は、オバマ政権下でその最大の目的を達成したのだが、あれから10年経っても問題の根本的な解決には至っていない。

ビンラディンが率いた「アルカイダ」は、アフガニスタンやイエメンを拠点に復活しつつあるという。

戦乱によって国土が荒廃し、絶望的な貧困の中で生まれた若者たちにとって、米軍や傀儡政権と戦うことは「テロ」ではなく「聖戦」と感じるのかもしれない。

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こうした中で、バイデン政権は同時多発テロから20年となる今年の9月11日までにアフガニスタンに駐留する米軍を完全撤退させる方針を決め、すでに撤収作業に入った。

「アメリカ史上最長の戦争」となったアフガニスタンからようやく引き揚げる決断をしたわけだが、多くの課題は残されたままである。

20年に渡った「テロとの戦い」は世界に何をもたらしたのか?

日本人には皮膚感覚として理解しにくい問題だが、大義の下に多くの矛盾が隠されていることを知ることができる海外のドキュメンタリー番組のことを書いておこうと思う。

『BS世界のドキュメンタリー「イラク崩壊・政治の舞台裏」』。

2021年フランスのプロダクションが制作したドキュメンタリー番組で、NHKの公式サイトには次のような説明が書かれている。

長年の戦争と混乱の末、破壊しつくされたイラク。イラク国民を見殺しにする可能性が指摘されていたにも関わらず、戦争と経済封鎖が断行された経緯が明らかになった。 長年の戦争と混乱の末、破壊しつくされたイラク。社会インフラを徹底的に破壊され、経済封鎖という形で世界から切り離された。番組では仏・米・英の政権の中枢にいた政治家とアメリカの研究者が証言。イラク国民を見殺しにする可能性が指摘されていたにも関わらず、イラクとの戦争および経済封鎖が断行された経緯が明らかになった。

引用:NHK

この番組が描いたのは、湾岸戦争から同時多発テロ直前までの歴史。

今日も続く「テロとの戦い」に至る伏線について、いくつかの視点や示唆を与えてくれる。

番組は、1990年8月2日のイラク軍によるクウェート侵攻から始まる。

直ちに強い反応を示したのが、アメリカのブッシュ大統領(父)とイギリスのサッチャー首相だった。

すっかり忘れているが、クウェート侵攻があった日、2人はコロラド州アスペンで会談していたらしく、ブッシュとサッチャーはその場でもう武力行使の決断を下したようだ。

ブッシュ『サッチャー首相と私の考えは一致しています』

サッチャー『到底、容認できません』

ブッシュ大統領は直ちに同盟国の首脳に相談し、フランスのミッテラン大統領もすぐに軍事行動への参加を約束。

驚くほどのスピードで軍事介入の方向で事態は動き出した。

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侵攻からわずか10日後、アメリカ軍はサウジアラビアに上陸する。

シュワルツコフ大将を司令官とする多国籍軍は、サウジアラビアをベースに100万人にまで拡大した。

サウジアラビアはイスラム教最大の聖地メッカがある国で、その領土に多くの異教徒が乗り込んできたことは現地の人々に大きな戸惑いを招いた。

しかも元首であるファハド国王がシュワルツコフ大将と並んで閲兵したことで、王室に反感を抱いていた中流層、特に若者たちには許せない行為とみなされた。

王族に政治的に抑圧されていたオサマ・ビンラディンもその一人だった。

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一方のイラクは、頼りにしていた同盟国のソ連がこの頃にはすでに崩壊寸前で支援が得られず、窮したフセイン大統領はイラクとクウェートにいた外国人を「人間の盾」とする暴挙に出た。

私にとっても、大学時代の友人がこの時人質となり、決して他人事ではない強烈な記憶として残っている。

また、当時社会部にいて警視庁クラブの担当記者だった私は、突然バグダッド入りを命じられ、隣国のヨルダンまで飛んでイラク入国の機会を探りながら3週間ほど湾岸戦争の取材に当たった。

結局イラク入りの許可が出ないまま終戦を迎えたが、バグダッド入りした日本人記者たちは検閲のため英語でのレポートを求められる前例のない異常な取材現場として忘れることはできない。

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アメリカとの緊張が高まる中で、フセインは国民の宗教的感情を煽る形でイスラム教徒の団結を訴えるようになった。

『アラブの兄弟たちよ、生地を占領している異教徒の兵士たちが去らない限り、私たちは平穏に暮らせないだろう』

イスラム世界との宗教紛争が懸念されるに従い、この年の秋にはアメリカ国内でも反戦運動が盛り上がりを見せると、10月14日、アメリカ議会である公聴会が開かれた。

公聴会には、クウェートからの亡命者たちが招かれイラク軍の残虐行為を次々に証言したのだ。

その中にナイラという少女がいた。

『イラク兵が病院に押し入り、新生児たちを保育器から取り出しました。冷たい床に放置して、死なせたのです』

彼女は涙ながらにこう証言した。

ブッシュ大統領はナイラらの証言を引用しながら、多くのアメリカ国民の怒りを呼び覚ます。

ところが、そこには重大な嘘があったのだ。

クウェートから脱出した看護師とされたナイラは、実はクウェート大使の娘であり、証言内容もアメリカのコンサルティング会社から指導を受けたものだったという。

アメリカ国民を戦争に引きずり込むために、1000万ドル以上の金銭がプロパガンダに使われたという番組内容に、私は改めて驚かされた。

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そして1991年1月17日、イラクへの爆撃作戦が開始された。

バグダッドへの空爆の様子はCNNで生中継され、世界中の人が夜空に打ち上げられる高射砲の光を見守った。

ステルス攻撃機による出撃は48時間で5659回におよび、誘導弾による「精密爆撃」の映像とを我々は初めて目撃することになる。

標的となったのは軍事施設のほか、電力や電話といったインフラ関連施設だった。

開戦から1週間で、イラク全土の電力網は壊滅し、人々は暗闇のなかでの暮らしを強いられる。

1ヶ月半にわたった爆撃で数千とも数万とも言われるイラク市民が犠牲となったが、正確な数字は存在しない。

またブッシュ大統領がイラク国民の蜂起を呼びかけ、これに呼応したシーア派やクルド人5万人がアメリカからの支援が得られないまま命を落とすという悲劇も起きた。

この結果、湾岸戦争を生き延びたイラクの一般市民の間にも、アメリカに対する強烈な憎しみや不信感が生まれたのだ。

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1991年2月28日、湾岸戦争が終結する。

イラク軍は航空機による攻撃でほとんど無力化されていて、本格的な地上戦が始まったわずか4日目で戦闘は終わった。

イラク軍の犠牲者10万人に対し、多国籍軍の死者はわずか450人だった。

しかし、より重要だったのは戦後処理の問題である。

戦争が終わった後も、米英仏の意向を受けて国連はイラクに対する金融措置を続けた。

外国との貿易も禁じられたイラクでは、破壊された電力施設を再建することもできず、電気がないため水道や下水処理施設も稼働できず、市民生活は悲惨を極める。

その結果コレラ・腸チフス・マラリアが流行し、ストレス性疾患や糖尿病の患者も増えた。

しかし必要な医薬品はなく、やがて栄養失調の子供たちが急増して56万人が命を失ったという。

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5年後の1996年、国連でイラクへの制裁緩和が決まり「石油食料交換計画」がスタート、国連の監視のもとで部分的な石油の輸出が認められるようになった。

しかし、医療用ワクチンや水を消毒するための塩素も大量破壊兵器の開発に利用されるという理由で輸入を禁止されるなど、米英の意向によって必要物資の輸入は国連の計画通りには進まなかったのだ。

イラクの現地で計画遂行の責任者を務めた国連イラク人権調整官の2人ハリデーとスポネックは、国際政治によって人道支援が進まない状況に絶望して相次いで国連を辞める。

彼らは、イラク国内の悲惨な状況を世界に訴える活動を始めたのだ。

『イラクの若いリーダーたちの声に応えるのが重要です。タリバンのような過激派組織が生まれるのを防ぐためです。制裁や軍事攻撃がもたらす孤立や怒り、疎外感が過激派を増殖させます。彼らの権利を高め、リスクを減らすべきです』

彼らの予言は的中し、イラクはますます悪い方向に進んだ。

フセインは経済制裁を巧みに利用し、宗教を重んじる伝統的な家父長制を復活させ、人々の暮らしを昔に戻そうという政策をとる。

皮肉にも、長年にわたる金融措置は、狙いとは逆にフセインの権力を強化しただけだった。

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2000年、フセイン政権が査察受け入れを拒んだとしてアメリカは再びイラク空爆に踏み切り、民間人にまた犠牲者が出た。

国連を辞めたスポネックは、これを強く非難する。

『国連憲章では自衛権が認められています。民間施設を標的にするなど許されないのに、ジュネーブ条約が破られ、国連憲章にも違反しています。法を破れば責任を問われます。安保理の採択に関わり、イラクの悲惨な現状を招いたものは戦争犯罪の罪で訴追されるべきです。』

ハリデーやスポネックたちは、イラクで起きたことは「ジェノサイド(大量虐殺)」だと考えている。

『実際に人を殺すことだけがジェノサイドではありません。社会や国を破壊して、その国の主権を侵害することもジェノサイドなのです。まさに私たち国連がやったことです。安保理の常任理事国5カ国は罪を問われるべきです。2カ国は故意に悲惨な状況を作り出し、3カ国はそれを放置したからです。』

『アメリカはジェノサイド条約に覚書と留保をつけて署名しました。アメリカが条約に違反したら、その罪で裁判にかけることはできるが、それにはアメリカの同意がいると言っているようなものです。これではタチの悪い冗談ですよ。』

この後に続く同時多発テロとイラク戦争を暗示しながら、番組はここで終わる。

中国でのウイグル人迫害を「ジェノサイド」と呼んで非難するアメリカ、視点を変えるとこれまで見えていなかったものが見えてくるものだ。

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そして2001年、アメリカ同時多発テロが起きる。

事件を主導したのは米軍のサウジ派遣に反発し「アルカイダ」を組織したオサマ・ビンラディン。

湾岸戦争を推進したブッシュ大統領の息子がその時のアメリカのリーダーだったのは、なんとも皮肉だ。

息子の方のブッシュ大統領は、直ちに「テロとの戦い」を宣言する。

この年の10月ビンラディンをかくまっているとしてアフガニスタンを攻撃したのに続き、2003年には大量破壊兵器を隠し持っているとして唐突にイラク戦争を始めた。

この時のイラク攻撃については、湾岸戦争当時に国防長官だったチェイニー副大統領が、イラクの石油利権を目的に強引に押し進めたとも言われる。

湾岸戦争の時にイラク兵による幼児虐待をでっち上げた手法を用いて、ありもしない「大量破壊兵器疑惑」を大々的に吹聴して・・・。

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アフガニスタンから撤退することを決めたアメリカ軍は、新たな敵として中国に照準を合わせている。

イラクやアフガニスタンとは比べようもない軍事大国である。

米中対立が日々先鋭化する中で、中国の人権問題や台湾侵攻ばかりが注目されるが、一方でアメリカから発信されるプロパガンダ情報にも気をつけないといけない。

そんなことを考えさせるドキュメンタリーだった。

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