<吉祥寺残日録>ウクライナ危機🇺🇦 黒海艦隊旗艦「モスクワ」沈没で戦闘激化!カンボジアの「ドーナツ王」に学ぶ難民の生きる道 #220416

ロシア軍によるウクライナ侵略が始まった50日が経った。

首都キーウの攻略を断念したロシア軍は東部と南部での攻勢を強め、激戦地マリウポリではウクライナ部隊の大量投降も報じられるようになった。

最新の勢力図を見てみると、北部でのロシア軍占領地域が消えたのと同時に、南東部におけるロシア軍の支配エリアが確実に広がっていて、実効支配しているクリミア半島と東部ドンバス地方が完全に地続きとなり、マリウポリなどウクライナ軍が抵抗を続ける都市が完全に包囲されて陸の孤島となっていることがわかる。

ロシア軍がマリウポリに対して長距離爆撃機を使った初めての空爆も実施したと伝えられ、ウクライナ軍の拠点となっていた市内の製鉄所を占領したとロシア軍は主張している。

マリウポリなどこの支配エリア内のウクライナ軍を一掃すれば、プーチン大統領が「親ロシア派住民の保護という当初の目的は達成された」として勝利宣言を行うベースが整うことになる。

ウクライナに隣接するロシア領内に武装ヘリコプターなどが集結しているとも報じられていて、東部に残るウクライナ側の拠点を陥落させるための総攻撃が近く始まるとみられる。

しかしウクライナ側は徹底抗戦の構えを崩していない。

ロシア軍に占拠されていたキーウ郊外の街で多くの一般市民が殺害されていたことが明らかになり、反ロシアの機運はむしろ日増しに高まっているように感じる。

西側のメディアが次々にロシア側の戦争犯罪を暴き、NATOによる軍事支援も以前よりもエスカレートしてきた。

アメリカは当初、スティンガーやジャベリンといった携帯型の小型兵器しか供与していなかったが、ここにきて軍用ヘリや装甲車両など大型の兵器を数日中にウクライナに運び込むと発表した。

プーチン大統領が勝利宣言を行ったとしてもウクライナ側が失地回復のための戦闘を継続する可能性も出てきた。

こうした中、ここ数日注目を集めたのは、ロシア黒海艦隊の旗艦であるミサイル巡洋艦「モスクワ」が沈没したことである。

ウクライナ側は、国産の対艦ミサイル「ネプチューン」2発による攻撃で沈没したと発表し、アメリカもミサイル攻撃による火災で沈没したと断定した。

ロシア側は「モスクワ」の沈没は認めたが、その経緯については明らかにしていない。

またウクライナ軍がロシア領内の民家を武装ヘリで攻撃したとも非難していて、その報復としてキーウ周辺へのミサイル攻撃も開始、ここにきて各地で戦闘が激化する兆しが見え始めた。

こうして東部・南部での戦争エリアが拡大するにつれ、国外に逃れる避難民の数も再び増加していて、国際機関による集計では500万人がウクライナ国外に逃れたとされる。

ロシア側が支配地域の住民たちを極東に強制移住させているという情報もあり、実際に移住に応じた人には現金と土地を与えるというチラシも見つかっているという。

一方で、ロシア軍が北部から撤退したことで、避難先からウクライナに帰国する人も急増していて、戦況の変化を睨みながら一人一人のウクライナ人がどのように行動すべきか迷っていることが窺われる。

たとえ戦争が終わっても、以前の生活を取り戻すことができない住民も多いだろう。

いつの時代も、戦争は人の人生を狂わせる。

ちょうどそんな折、祖国を失い難民となったカンボジアの人たちの物語を知った。

BS世界のドキュメンタリー枠で放送された「ドーナツ王のアメリカンドリーム」は、巨匠リドリー・スコットが製作総指揮にあたったドキュメンタリー番組だという。

親米のカンボジア政府軍で少佐だった男性が難民としてアメリカに渡り、無一文から「ドーナツ王」と呼ばれる大富豪にのぼり詰めた実話を描いている。

1970年、ベトナム戦争が飛び火し内戦が始まったカンボジア。

大国の代理戦争として激しい内戦の末、ロン・ノル率いる親米政権が崩壊すると、今度は極左集団「クメールルージュ」による恐怖政治が始まった。

映画「キリングフィールド」でも有名になったカンボジアの大量虐殺を経て、タイ国境には多くの難民たちが流出した。

私がバンコク支局に赴任した1980年代にも、タイ・カンボジア国境のいくつもの難民キャンプが存在し、私も何度も取材に行ったものだ。

実はこの難民キャンプが「ドーナツ王」の成功の秘密を握っていた。

かつて「ドーナツ王」と呼ばれたのは、カンボジア難民としてアメリカに渡ったテッド・ノイ。

1975年、無一文でカリフォルニアにやってきたテッドは、教会からガソリンスタンドでの仕事を紹介され働き始めたが、そこで深夜でも賑わっているドーナツ店に出会う。

自分でもこんなドーナツ店を持ちたいと思ったテッドはドーナツチェーンの研修に参加、半年後には州南部ニューポートビーチの店を任される。

従業員を雇わず家族総出で休みなく働き、翌年にはそのチェーンの店をやりながら、初めて自分のドーナツ店をオープンさせた。

こうしてアメリカでの生活基盤を作ったテッドに追い風が吹いたのは、後から後から大量のカンボジア難民がテッドを頼ってカリフォルニアにやってきたからだ。

テッドは人件費の安い彼らを雇い、ドーナツのビジネスを教え、どんどん店を増やしていく。

そうして70店舗を有するドーナツチェーンを築いたテッドはさらに、カンボジア難民たちが自分のドーナツ店を開業する手助けをするビジネスも始める。

カンボジア人たちは生きるために懸命に働き、その真面目な働きぶりと人件費の安さで次々に成功を収め、既存のドーナツ店を駆逐していく。

開業を手伝ったドーナツ店からは毎月コミッション料が入るようになり、テッドは瞬く間に「ドーナツ王」と呼ばれる大富豪となった。

ドーナツによって、まさにアメリカンドリームを手にしたわけだ。

テッドはその後、ラスベガスのカジノで財産を失ってしまったが、彼の子供たちや親族、彼が一から面倒をみた多くのカンボジア難民たちがドーナツビジネスで成功を収め、テッドは伝説の人物となった。

今でもアメリカの個人営業のドーナツ店の9割以上はカンボジア人が経営しているという。

実に逞しく面白い難民たちの物語だ。

これが「自由の国」アメリカの底力である。

世界的な人道危機にあたって、多くの難民を受け入れ、彼らにも成功のチャンスを与える。

それにしてもアメリカ人の国民食とも言われる「ドーナツ」業界がカンボジア人によって牛耳られているとは驚きだ。

全てを失い死に物狂いで這い上がろうとする人々の活力が新たなアメリカンドリームを生み出していく。

翻って考えてみると、日本には残念ながらそのような懐の深さはない。

ウクライナの悲劇に対応して日本政府も積極的に避難民を受け入れると表明しているが、これまでに受け入れた数は500人ほどだ。

しかも、ウクライナ以外の難民を受け入れるという話は一向に聞かれない。

シリアやアフガニスタンの難民が国際的な人道危機として注目された時も、日本は手を差し伸べなかった。

同じアジアで今苦しんでいるミャンマーの人たちにも門戸を閉ざし、残留許可を求める在日ミャンマー人たちへの対応も決して優しくはない。

しかし一方で、少子高齢化問題や地方の人口減少は大きな政治課題となっていて、昨日発表された日本の総人口は1億2550万2000人、1年前に比べ64万4000人減少した。

特に深刻なのは人口構成で、15~64歳の「生産年齢人口」は58万4000人減って、全人口の59.4%で過去最低を更新した。

65歳以上の高齢者は28.9%と過去最高に達し、来年には私もこのグループに入ることになる。

これはどうみても歪な社会である。

外国人労働力を安く利用するための「外国人技能実習生」などというまやかしの政策ではなく、若い難民をある程度まとめて受け入れるような真正面からの議論が望まれる。

近頃、びっくりするような流暢な日本語を話す外国人が増えてきた。

「マンガ」が象徴する日本文化に憧れる外国人がいる間に、日本の閉鎖的な体質をそろそろ見直すべきではないか。

資源に恵まれない日本はグローバルな世界に活路を求めるしかない。

異国で生きる決意を固めた難民たちの力は、きっと老いた日本に新たな活力をもたらしてくれるだろう。

<きちたび>タイ国境の旅1986〜カンボジア内戦・・・初めて訪れた難民キャンプは巨大な町だった

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