<吉祥寺残日録>ウクライナ危機🇺🇦 軍事侵攻から2ヶ月!「第2段階」に入った戦闘に翻弄される人々 #220424

ロシアによるウクライナ侵略から今日で2ヶ月が過ぎた。

ロシア軍は「特別軍事作戦は第2段階に入った」と宣言し、東部と南部の攻略に集中する姿勢だ。

侵攻当初は短期間で陥落すると見られた首都キーウを守り抜き、徹底抗戦を続けるウクライナだが、この2ヶ月間で被った損失はGDPの3倍に当たる73兆円に達すると試算されている。

戦争によるダメージは計り知れない。

さらにここにきて、ロシア側の狙いがウクライナに止まらないことが明らかになってきた。

ロシア軍幹部が、モルドバ東部の親ロシア派支配地域の「沿ドニエストル地方」までを勢力下に収めることを示唆したというのだ。

モルドバ東部のウクライナ国境地帯に広がる「沿ドニエストル地方」はソ連崩壊後に独立を宣言した事実上の独立国家であり、ロシア軍が駐留している。

つまり、ロシアの狙いは、ウクライナ東部の新ロシア地域同様、モルドバの親ロシア地域にまで領土を拡張しようということなのだ。

その一環なのか、ウクライナ最大の港湾都市オデーサでもロシア軍によるミサイル攻撃が行われた。

ロシアが支配するクリミア半島と沿ドニエストル地方をつなぐためには、どうしてもウクライナ南部を占領する必要があり、ウクライナ海軍の拠点であるオデーサに対する攻撃も今後激化することも考えられる。

当面の焦点は、ロシア軍が5月9日の対独戦勝記念日までに掌握を目指す東部2州、特にドンバス地方での戦闘である。

2014年以来、新ロシア系武装勢力とウクライナ軍の睨み合いが続いてきたこの地域には、ウクライナの精鋭部隊が配備されていて、今後南北から侵攻するロシア軍との大規模戦闘が予想されている。

気になるのは戦闘地域にとどまる一般住民たちのことだ。

日本のメディアではほとんど報道されることがないが、欧米のジャーナリストによる報告によって現地の様子を断片的ながら知ることができる。

英BBCのサイトには、こんな記事が出ていた。

『【ルポ】 ウクライナ東部にとどまる高齢者たち なぜ避難しないのか』

その一部を引用させていただこう。

ウクライナ東部の小さな村セルヒーウカは17日の日曜日、静まり返っていた。通常なら人々の暮らしが感じられる中心部に、ほとんど人影はなかった。

2月にロシア軍によるウクライナへの本格侵攻が始まり、程近い前線地帯で暴力が再び発生するまで、ここには約1500人が住んでいた。

しかし現在は約300人しか残っていない。ロシアが東部と南部で作戦を再開させたことから、さらに多くの人が村を去っている。

もともと住民には高齢者が多く、わずかにいた若者たちはほとんど残っていない。これはウクライナ各地の村や町でみられる現象だ。若い世代はより安全な場所へと移動し、その親や祖父母らはとどまることを選んでいる。

「ずっとここで生きてきた。どこにも行かない」。領土防衛の腕章を着け、ライフルを持ったミコラ・ルヒネツさん(59)は言った。2月に登録し、銃を手に取ったという。「セルヒーウカにとどまり、必要なら防衛する」。

引用:BBC

単純に、移動するための金がない人や、避難先がない人もいる。「私は引退していて、わずかな年金ぐらいしかない」と、ライサ・ホリスラヴェツさん(66)は話した。彼女はセルヒーウカの小さな家に娘1人と暮らしている。

「安全な場所にアパートを借りるお金はない。ここでひどい事が起こらないとは言えないけれど、他の選択肢がない」と彼女は言った。「他の土地では私は必要とされない。だから何があろうとここにとどまることにした」。

彼女は以前、前線の反対側に住む姉(または妹)とよく話をしていた。まだウクライナが掌握している領土と、ロシアが2014年から分離主義運動を進めている「ドネツク人民共和国」を分けている前線だ。

2人をつないでいた電話回線は2週間ほど前に切断されたと、彼女は話した。ただ、その前から2人の関係は悪化していた。ロシアがウクライナを攻撃しているというニュースはフェイク(偽り)だと、姉(妹)が言い出したからだった。

「ウクライナのメディアで目にすることを信じてはいけない、すべての被害はウクライナ人がもたらしている、と言われた」と、ホリスラヴェツさんは言った。「目撃者がいるし、ハルキウ(ハリコフ)などで起きていることを私たちは見ていると伝えたが、彼女は私のことを信じなかった」。

彼女のような話は、ウクライナ東部では珍しくない。そこでは、前線によって家族が分断されている。また、ロシアのプロパガンダによって、ロシア側に立つ多くの人々は、国際メディアが伝える残虐行為や攻撃はフェイクであり、ウクライナが侵略者だと信じ切っている。

引用:BBC

高齢者になればなるほど、住み慣れた土地から避難することは難しくなる。

体が不自由だったり、病を抱えていたり物理的に移動が困難な人も多いだろうが、何よりも若い頃ほど命が惜しくないという本音もあるのではないかと想像する。

私自身、もし今戦争が起きても自分の命を守るために逃げようとは考えないと思う。

自分の村にとどまり、必要なら戦うと語る男性の気持ちはとてもよく理解できるのだ。

ロイターには、マリウポリからロシア領内に移送された女性の話が載っていた。

『ロシアに強制移送されたマリウポリ市民、帰国を切望』

こちらも日本ではあまり報道されていない話なので、引用させていただく。

ミラ・パンチェンコさん(53)は、食糧と水の不足に耐えかねて親ロシア派勢力の保護下に入り、包囲下にあるウクライナの都市マリウポリから脱出した。気がつくと、彼女がいたのはロシア南西部にある駅のプラットホームだった。

パンチェンコさんはアゾフ海に面したタガンログ港の駅で、200人ほどのウクライナ人とともに列車に乗せられ、ウクライナと国境を接するロシアのロストフ州内の別の場所に移送されると告げられた。

だが列車が目的地に着いたとき、そこはロシア・トゥーラ州にあるスボーロフという街だった。タガンログからは約1000キロも離れている。

「警官がたくさんいた。駅は封鎖されており、一般のロシア人は私たちに近づけなかった」とパンチェンコさんは言う。出迎えの群衆はいたが、トゥーラ出身の友人の息子は、駅に入ることを許されなかった。「明るい雰囲気で、クッキーが振る舞われた」

パンチェンコさんによれば、彼女はロシア当局により、列車に乗っていた他のウクライナ人とともにトゥーラ州内のクラインカと呼ばれる地域の療養所に連れて行かれたという。あてがわれた部屋には、小さな冷蔵庫、テレビ、それにシングルベッドが2つあった。テーブルには、伝統食のジンジャーブレッド、甘いビスケット、水とアイスティーが置かれていた。

クラインカの療養所に、ウクライナ人受け入れにおける役割についてコメントを求めたが、回答は得られなかった。

開戦前、パンチェンコさんは貯水タンク工場のマネジャーで、地方議会の議員も務めていた。クラインカの療養所に到着した後、パンチェンコさんは指紋を採取され、写真を撮られた上で、検察官の前で尋問を受けたという。ロイターでは検察官の氏名を確認できなかった。

ロシア語とウクライナ語を話すパンチェンコさんは、2014年以降、ウクライナにおけるロシア語への抑圧が強まったかという質問を受けたという。

2014年は、ロシアがクリミア半島を併合し、ウクライナのドネツク州、ルガンスク州の一部を実効支配する親ロシア派勢力が「人民共和国」の建国を宣言した年だ。

ロシアがウクライナにおける「特別軍事作戦」を正当化する根拠の1つとして掲げるのは、ロシア語話者の保護である。ロシア政府は、彼らがウクライナのナショナリストから迫害を受けていると主張している。ウクライナはこれを否定している。

「私は、自分はウクライナ語を話せるし、この言語が好きだとだけ答えた。ロシア語に対する抑圧を目にしたことはない、とも言った」

引用:ロイター

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パンチェンコさんがマリウポリを脱出したのは3月17日。彼女を含む数十人の市民はカルミウス川左岸の建物の地下室に避難していたが、この日、チェチェンの部隊がこの建物を確保したという。

「ここに部隊本部を設置するから私たちは出て行かなければならない、と言われた」とパンチェンコさんは電話で話してくれた。ロシアを出国したパンチェンコさんは、現在はイタリア北部ブレシアで暮らしている。

食料と水が欠乏していたため、チェチェン人兵士らが提供する軍用車に乗せられてドネツクのロシア軍支配地域に運ばれる以外の選択肢はなかった、とパンチェンコさんは語る。

パンチェンコさんたちはまず軍用車、次いでバスでベジメンヌの村に移送された。この村では、分離独立派のドネツク人民共和国(DPR)の警察官が対応施設を用意していた、とパンチェンコさんは言う。彼女たちは指紋を採取され、分離独立派の警察官による尋問を受けた。

DPRの広報官とチェチェン共和国当局にコメントを求めたが、回答は得られなかった。

「ウクライナ軍と何か繋がりはあるか、アゾフ大隊の誰かを知っているかと質問された」とパンチェンコさん。アゾフ大隊は、ウクライナ国家警備隊に属する部隊で、ロシア政府は、ロシア語話者を標的とする攻撃を行っていると非難している。

「私たちは何のリストにも載っていなかったから、再びバスに乗せられタガンログ駅に連れて行かれた」

パンチェンコさんはクラインカの療養所に10日間滞在した後、マリウポリから一緒に逃れてきた高齢の隣人と共に暮らすと称して、モスクワの東、ボルガ川に面した都市ニジニ・ノブゴロドに向かうことを認めるようロシア側を説得した。

療養所を出たパンチェンコさんは、ジャンさんと呼ぶ隣人とともに、実際にはモスクワに行き、そこからバルト諸国をめざした。パンチェンコさんは最終的にイタリアに向かう手段を見つけた。

「でも、何とか稼いで故郷のマリウポリに戻ろうと思っている。もし、あの街がまだウクライナであれば」と彼女は言う。

「ウクライナに帰りたいと強く願っている」

引用:ロイター

この記事を読む限り、シベリア抑留のような酷い強制移住ではないように感じるが、自分たちの暮らしを破壊した侵略者の国しか逃げ道のなかった彼女たちの気持ちは痛いほど伝わる。

パンチェンコさんは自力でイタリアに脱出したため、こうして足取りを知ることができるが、一体どれだけの人がロシアによって連れ去られたかがわからなければ、マリウポリでの死者数も確定することはできないだろう。

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止まるのも地獄なら、逃げるのも地獄。

戦争に翻弄された一般のウクライナ人たちにどんな将来が待ち受けているのか、想像力を働かせながら、見つめていきたいと思う。

<吉祥寺残日録>岡山帰省の途中、ウクライナ映画「バンデラス ウクライナの英雄」を見て感じたこと #220308

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