七夕の豪雨

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昨日は七夕。七夕は集中豪雨の季節でもある。

西日本では記録的な豪雨となり、各地に甚大な被害をもたらした。

大雨特別警報が出されたのは、福岡、佐賀、長崎、広島、岡山、鳥取、京都、兵庫、岐阜、愛媛、高知の1府11県に及んだ。数十年に一度の災害が起こる恐れがある時に発表される特別警報の運用が始まった2013年以降、これほど広範囲に特別警報が発表されたのは初めてのことだ。

そして気象庁の発表通り、大きな被害が出た。

まだ被害の全容は明らかになっていないが、今回の記録的な豪雨による死者は現段階で78人、まだ60人が安否不明となっている。

これは豪雨被害としては、平成となってから最大の犠牲者数となる。

過去の記録を調べてみると、去年の九州北部豪雨が死者34人、2014年の広島の土砂災害が死者77人、1993年の鹿児島の豪雨が死者71人となる。

昭和まで遡ると、1983年島根県を襲った豪雨が死者・行方不明者117人、1982年私が入社した年に長崎を襲った大水害が死者・行方不明者326人を出した。長崎大水害では、1時間に187mmという雨量が観測されているが、これは今でも日本の時間雨量の最高記録となっている。

さらに遡れば、1938年の阪神大水害では616人、53年の西日本水害では759人、57年の諫早豪雨では856人、そして1953年の紀州大水害では1046人の死者・行方不明者を記録している。

こうした過去の教訓から治水対策が進められ、最近では死者が100人を超えるような豪雨被害はもう起きないのではと何となく感じていた。しかし、自然の力を甘く見てはいけない。

そもそも日本列島の変化に富んだ地形は、様々な地殻変動と雨によって作られてきたのだ。プレートの衝突でせり上がってできた山脈を雨水が流れ下ることで谷を削った。

今回大規模な河川の氾濫に見舞われた岡山県倉敷市の真備町。私の故郷でもある岡山県は、日本有数の災害の少ない県だ。しかし今回は大きな被害が出た。

水に浸かって住宅が孤立したのは、2本の河川が合流する地点にできた平地だった。ここは昔から度々河川が氾濫することによって平地になった場所なのだろう。大昔、川の力によってたまたまできた平地が稲作に向いているということで、後から人間が住み着いてムラができた。大雨が降れば川が溢れる、そういう場所なのだ。

人間は村を守るために川べりに堤防を築いて自然をコントロールしようと努力してきた。それは通常の雨では効果を発揮するが、数十年、数百年に一度の災害の前には常識を打ち破られるのだ。

でも、そうやって日本人は生きてきた。時には自然に圧倒され、人間の力の限界を思い知らされながら、諦めず努力を重ね、謙虚に粘り強く生きてきたのだ。

それが災害列島・日本に生きる私たち日本人の生き方。世界の他の人々とは少し違う、日本人ならではの性質を育てた。

自然と生きる。謙虚に生きる。

それこそが日本人の生き方だ。そのことを今回の災害はまた思い起こさせてくれる。

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一足早く梅雨明けした関東地方は、多少の雨が降ったが今日は青空が広がった。九州から北海道まで豪雨に見舞われる中で、唯一雨の被害を免れた。

その代わり、昨夜千葉沖で地震があった。千葉県では震度5弱を記録した。震源の深さは50キロ、プレート境界面での地震だ。東日本大震災後、心配されている千葉沖地震の前兆かもしれない。

災害列島に生きる日本人として、西日本の被害に思いを寄せながら、明日の災害に備える気持ちを新たにしたいと思う。

 

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