<吉祥寺残日録>電気ストーブにまつわる妻の両親の気がかりな行動 #220108

2022年最初の岡山帰省2日目。

今日の岡山は一日中晴天に恵まれ、今日はフドウ畑の下草刈りに励む。

中腰での草刈りはなかなかハードで4時間ほど作業するともう腰はガチガチ、明日には足腰が立たなくなっているかもしれない。

ただ今日のメインは草刈りではなく、妻の両親に夕食を届けることだった。

私が畑に行っている間、妻は実家に届ける夕食を準備していた。

義父は92歳、義母は89歳。

二人とも要介護認定を受けていて、平日は毎日ヘルパーさんが来てくれるのだが、週末は二人だけでお弁当も来ない。

だから、せめて岡山に来ている週末ぐらい手作りの料理を食べさせたいと妻も考えたのだろう。

夕方、妻の実家を訪れると、二人とも自分のベッドで休んでいた。

そのため声がけだけして食堂に直行すると、誰もいない部屋で電気ストーブがついていた。

しかも、妻の弟がお正月に買ったセンサー付きの新しいストーブではなく、昔ながらの電気ストーブがついたままだったのだ。

この電気ストーブに関して、妻の兄弟たちの間で年末年始に盛んな議論が交わされた。

足元が寒いからという理由で食事の際テーブルの下に電気ストーブを置いていたのだが、その熱でプラスチックの屑かごに穴が開いているのを妻の弟が発見したのだ。

一つ間違えば火事になっていたかもしれない。

そのため、先月帰省した際に、妻がその電気ストーブを奥の部屋に隠し、代わりにホットカーベットを使うように伝えて東京に戻った。

ところがお正月に妻の弟が帰省すると、古いストーブを見つけ出してまた使っていたのだ。

やはりホットカーベットでは暖かく感じないらしく、ストーブがいいらしいと弟からの連絡が兄弟の間を駆け巡った。

その結果、古いストーブを使い続けるのは危ないという結論になり、弟が新しい電気ストーブを買ってきたばかりだったのだ。

しかし、今日行ってみると、新しいストーブは使われず古いストーブが誰もいない部屋でつけっぱなしになっていた。

これは危ない。

単にストーブが危ないのではなく、二人の判断能力が危ないと思った。

誰もいない食堂ではテレビもつけっぱなしになっていた。

エアコンもつけたままだが、寒い部屋なのでエアコンはおそらく一日中ついているんだと思う。

電気代は勿体無いが、テレビやエアコンはさして問題ではない。

だが、ストーブをどうするか、二人が新しいストーブを使ってくれるのかが、当面の焦点である。

妻は、二人をそろそろ施設に入れたいと考えている。

去年主治医と話した際に、主治医からもそうアドバイスがあったそうだ。

しかし、両親にはそこまでの自覚はなくまだ自宅で暮らしたいとはっきり主張していて、他の兄弟たちは両親の願いを叶えて、多少お金がかかってもヘルパーさんをたくさん使って少しでも長く自宅に居させてあげたいという考えだった。

だから妻はいつも孤立無縁で、そのストレスを私にぶつけてくるのが去年のパターンだった。

ところが、一番頻繁に両親の面倒を見ている上の弟から「そろそろ施設も考える」とのメッセージがお正月明けに届いた。

妻はようやく仲間を得て、施設への入所が現実的な選択肢に躍り出る。

今日は義父母と一緒に夕食を食べたが、予想したよりも元気そうだった。

食欲も旺盛で、妻が作った料理をたくさん食べた。

これだけやれていたら、すぐに施設という話にはならなそうだな。

それが私の印象だった。

確かに施設に預ければ家族の心配は軽減する。

しかし施設に入れられる当事者たちの「自由」を私としては最大限尊重してあげたいと思う。

たとえ認知症で正常な判断能力が失われていたとしても、それによって死期が早まったとしても、90歳まで生きれば十分ではないか。

今病院に入院している伯母の場合は、ヘルパーさんを完全に拒否して食事も満足にできない状態になったので仕方なく入院という判断に至ったが、妻の両親については介護保険の範囲を超えて有料のサービスまで利用しているのだ。

入院している伯母に関しては、昨日病院から電話が入り、転んで目のところに青あざができたそうだ。

このところ足が弱ったため、食事の際に部屋から食堂に行く際に車椅子や手押し車を使うよう何度もアドバイスしたのだが、伯母が絶対に聞き入れないのだと医師は弁明していたという。

人の世話になるのがとにかく嫌いな頑固な伯母。

自分で歩けると言って食堂に向かう途中で転んだのだろう。

入院する前にも転んで打撲する事故が何度かあった。

それでも伯母は「どうということはねえ」と言って詳しく説明してくれなかった。

本当に年寄りは言うことを聞かない。

でも年寄りには年寄りの言い分があるのだろうから、私としてはせいぜいできる範囲での見守りをするだけで、もし事故が起きようが火事になろうが、それはそれでその人の「自由」だと受け入れるつもりである。

去年から本格的な介護生活が始まってから得た教訓は、やはり「年寄りは言うことを聞かない」ということに尽きる。

<吉祥寺残日録>岡山帰省12日目、妻の母親が倒れたとの報を受け病院に連れていく #210715

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