今日は関東大震災からちょうど100年に当たる日。
テレビでは震災関連の企画や特番が目白押しだ。

大正12年9月1日午前11時58分。
相模湾北部を震源とするマグニチュード7.9の地震だった。
死者・行方不明者は10万5000人という近代日本における最大の犠牲者を生んだ大災害だったが、そのうちの9万2000人は焼死だった。
東京都心の4割は焼失し、焼け出された人たちが多くこの被害が少なかった多摩地区に移り住み、この直後吉祥寺の人口も一気に増えたという。

果たして想定される首都直下地震が起きた時、この東京で何が起きるのだろう。
私が暮らすマンションもそうだが、耐震基準を満たしていない古い建物の建て替えも進んでいない。
人間は危機を予想していても、目先の利害を優先して腰を上げることができない生き物なのだ。
私は日頃から妻と地震が起きた時のことを話したりしている。
もしもこのマンションが崩壊したら仕方がない。
わかっていて、あえて古いマンションで暮らしていたのだ。
しかしもし最初の地震で生き残ることができれば、ダラダラと東京に止まって貴重な食料配給を奪うのではなく、なんらかの移動手段を確保して西へ西へと逃れて岡山まで避難するのだ。
もしも西日本が壊滅する地震であれば、復旧作業の妨げにならないよう東京に避難して自分で生きる道を探ろうと。
東西に二拠点を持つ者は、なるべく被災地から離れて逃げられない人たちの負荷を少しでも下げるのが求められる行動だと私は思う。

そんな今年の防災の日。
気象庁は今日、夏(6〜8月)の平均気温が平年より1.76度高く、統計を取り始めた1898年以降で最も暑い夏だったと発表した。
連日の猛暑日、確かに異常な暑さだった。
ちょっとした暑さではエアコンは使わない我が家でも、今年の夏は毎日のように冷房を使った。
東京以上に、北日本での高温が目立った夏で、北海道では平年よりも平均気温が3度も高かったという。
これは北日本の海水温が高かったことの影響が大きいらしい。
地球温暖化の危機がこれだけ叫ばれても、人間は結局具体的な行動変容は行わず、どんどん危機を拡大させている。
日本だけでなく、今年は世界中で異常な高温や山火事に見舞われた夏だった。

しかし、そんな暑さもようやくピークを過ぎるらしい。
日本の南海上で次々に発生する台風は、強力な太平洋高気圧に阻まれてみんな中国大陸に向かって進んでいく。
そしてこの日曜日から日本列島の天気もガラリと変わるという予報が出ている。
三男の一家は明日から夏休みで沖縄旅行らしいが、天気には恵まれそうもない。
私も来週から岡山で農作業をしようと思っているが、連日雨の予報が出ていて、どうしたものかと思案中だ。

そんな今年の防災の日。
私はといえば、海外旅行の疲れか時差ぼけか、一日中ボーッとしている。
夕方からは歯医者に行って、虫歯の治療をしてもらった。
会社を退職後、近所の歯医者には定期的に口の中のメインテナンスをしてもらっていて、先月末にお掃除に行った際、虫歯を指摘されすぐに治療をしてもらうことになったのだ。
歳をとると歯の管理は大事だと聞く。
歯がなくなって食べたいものが食べられなくなるのはやはり悲しいではないか。
そういえば、次男は今日会社を休み、背中にできた脂肪腫を切除する手術を受けた。
術後に連絡してきて、医者が下手でめちゃくちゃ痛かったそうである。
実は私も首の後ろと顎のところに昔から脂肪の塊があり、取るべきかどうか迷っているのだが、次男の話を聞いて当分そのまま放っておこうという方向に心が傾いている。
まあそれが原因で、金日成のような大きなコブができたとしても、もう爺さんだから仕方がない。
どうせ遅かれ早かれ死は近づいているのだ。

大地震の際には、誰かに助けてもらおうと考えてはいけない。
それぞれが自分の面倒を自分でみる、その心構えが重要である。
せいぜい私も人様の迷惑にならないよう気をつけて、余力があれば少しは世の中のためになりたいという気持ちだけは持っているつもりだ。
大地震は必ず来る。
その意識だけは人並み以上に持っている私である。