<吉祥寺残日録>認知症の伯母入院から3日目、追加の服などを持って病院を訪ねる #210819

デルタ株の猛威はとどまるところを知らず、新型コロナウィルスの全国の新規感染者数は2万5000人を超えた。

呼吸困難で酸素吸入が必要な人でもなかなか入院先が見つからず、妊婦や赤ちゃんが死亡するケースも出始めている。

多くのケースでは旦那がウィルスを家庭に持ち込み、家庭内感染という形で家族が犠牲になる。

ウィルスを持ち込んだ旦那は、一生自分を責め続けるのだろう。

どんなに入院を希望しても入院がままならない時代に、認知症の伯母は自ら望まない入院を果たした。

ここは認知症専門病院なので、コロナ対策は徹底していて、コロナの患者はまったく受け入れていないからかもしれない。

一昨日の入院の際に身の回りの品を一通り用意して一つ一つ伯母の名前を書いて持参したのだが、足りないものや病院の規定に合わないものがあり、改めて不足分を病院まで届けに行った。

「入院患者の荷物を届けにきた」と受付で告げると、「そのまま病棟へお上がりください」と言われた。

「えっ? 病棟まで行っていいの?」

ちょっと戸惑いながらエレベーターで2階に上がった。

エレベーターを降りると、正面が大きなガラス扉となっていて、一部ではあるが病棟内部の様子が見える。

車椅子に乗ったおばあさんたちが、ボーッとテーブルに座り、目の前のテレビを見ている。

「あ〜、やっぱりこういう感じか」と思う。

老人ホームに入所した親戚のおばあさんたちを見舞いに行った時に見たような独特な虚無感が充満した空間。

伯母が入院した病院は認知症の専門病院、病院とはいえその雰囲気は老人ホームそのものだった。

それでも、荷物を受け取るためにエレベーターホールまで出てきてくれたスタッフさんに伯母の様子を聞くと、特段困った行動はとっていないということだった。

病室で過ごしていることも多いが、他の患者さんがいるスペースにも出てきて一緒にテレビを見たりもしたという。

私たちがいくら言っても入浴をしようとしなかった伯母だが、温かいタオルで体を拭くことは受け入れたらしい。

正直、伯母にとっては今が一番辛い時期だと思うが、すべての事も拒絶したり、「家に帰る」と言ってスタッフさんを困らせたりということはないというお話だったので、私も妻もとりあえず安心した。

これで当面は岡山にいる用事もなくなったので、明日いったん東京に引き上げることにして飛行機を予約した。

病院まで来たので、妻を妻の実家まで送り、私は実母のマンションに行った。

このところ伯母の介護にかかりきりだったが、妻の両親も私の実母もすでに90歳前後、みんな立派なお年寄りである。

私の母はかなりの「健康オタク」で、テレビの健康番組を片っ端から見て私たちよりもはるかに健康や医療に関する知識を持っている。

毎年欠かさず脳ドックも受けて、認知症対策もバッチリだ。

少なくとも去年の検査までは脳の萎縮も見られず、認知症の兆候はまったくないという。

それでも、伯母の要介護申請が遅れたことを悔やんでいる妻は、私の母にも要介護認定の審査を受けるようかなり強引に勧めた。

妻がそのことを母に電話で伝えた時、普段は笑い上戸の母が憮然とした声になったという。

私の妻は、何事も先に先に心配して先走って事を勧めるので、トラブルを生みやすい。

企業勤めをしていたら「トラブルメーカー」として疎まれる存在だったかもしれない。

しかし、妻の両親のケースでも、今回の伯母のケースでも、妻が強引に進めた要介護認定が役に立ったと思う。

その意味では、今はとても元気に見える私の母も、いつ何時介護サービスのお世話になっても不思議はない年なのだ。

1歳年上の伯母の入院は母にも大きな衝撃を与えたらしく、「いろいろ考えていると涙が出て夜も寝られなかった」と話した。

その気持ちは私にもよくわかる。

しかし、岡山で常に伯母をサポートできる人がいないうえ、ヘルパーさんなどの在宅サービスを全て拒否する以上、伯母については他に方法がなかったんだと私は説明した。

母は、入院という選択はやむを得なかったと評価してくれながらも、「おばちゃんの気持ちを考えると涙が出て、病院に電話なんかできない」といつもに比べて元気がない。

「90歳を迎える人たちが何を感じながら生きているのか、その年にならないとわからない」とも言った。

夕方、私たちはホームセンターに向かった。

留守になる伯母の家の玄関に南京錠を取り付けたのだが、大きな欠陥があることが偶然判明したのだ。

2つの引き戸に金具を取り付け、その2つを南京錠で固定することで施錠は完璧と思っていたのだが、実は南京錠がかかった状態でも2枚の扉全体をスライドすることが可能で、できた隙間から人が侵入できてしまう。

南京錠を見て留守だということは分かっても、それでも扉を開けようとする人がいた場合には、誰でも簡単に家の中に入ることができるのだ。

その問題を解消するため、片方の扉の内側にチェーンを取り付けて右にも左にも動かないようにしようと考えた。

適当な鎖と金具を購入し、早速取り付けを完了、いざ扉の固定具合を確認するとなんと鎖が簡単に切れてしまったのだ。

どうやら私たちが購入したのは、ドアチェーンのような頑丈なものではなく、小物をぶら下げるような見かけ倒しの鎖だったらしい。

結局、チェーンで結合する予定だった2つの金具だけを残し、それを紐で結ぶことにした。

チェーンに比べて見た目は随分素朴になってしまったが、機能的にはチェーンよりも上かもしれない。

普段はこちらの扉は閉まったままもう片方の扉の開閉でことが足りる。

ごくたまに大きな家具などを搬入する時だけこの紐を解いて両方の扉が開くようにすればいいのだ。

もう一つ、ヤマダ電機に立ち寄り5メートルの延長コードを2本買った。

伯母の家は築100年の古民家なのでコンセントが決定的に足りない。

これを解消するアイデアを思いついたのだ。

伯母の家の電気配線は全て後付けなのだが、便利な場所にコンセントがないくせに、棚の上の変な場所にまったく使われていない3つ口のコンセントがあったのだ。

天井近くのこんな場所で使用する電気製品などいくら考えても思いつかない。

そこでこのコンセントに延長コードを繋ぎ、コンセントが一つもない部屋まで電源を伸ばそうと考えたのだ。

梁の色を考慮して、延長コードは黒色のものを選んだ。

延長コードの要所要所を絶縁ステープルで梁や柱に固定し、1本は電源のない御座敷に、もう1本はこれまで床を這わせていたテレビ用の延長コードの代わりにすることにした。

おかげで、私が寝ているお座敷でパソコンやスマホの充電ができるようになった。

伯母の入院からわずか2日で家の様相は私たちの使い勝手のいいようにどんどん変わっていく。

伯母には申し訳ないが、この家を相続する者として、今の生活に適用できるよう少しずつ改良させてもらうつもりだ。

もし将来、伯母が一時帰宅ができるようになった時、見違えるようにきれいになった家を見せてあげたい。

きっと伯母は戸惑うだろうが、初めてエアコンがついた時のようにきっと喜んでくれるだろう。

明日から岡山県も「まん延防止措置」の対象地域となる。

それに合わせるように、私たち夫婦も東京に戻る。

連日5000人以上のコロナ感染者を出し続ける緊急事態宣言の都会である。

伯母が入院したとはいえ、いつ病院から呼び出しがかかるかわからないスタンバイ状態が続く。

コロナなんかに感染している余裕はないし、感染しても入院さえできない状態では、自分の命は自分で守るしかない。

再び、自宅に引きこもる生活が始まる。

きっとまた、録りだめたテレビ番組を見て過ごすコロナ禍の日常に戻ってくるのだろう。

<吉祥寺残日録>岡山帰省7日目、念願のエアコンを設置した #210710

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