認知症になった伯母を毎日説得しやっとの思いで専門病院に連れて行ってから2ヶ月余りが経った。
先行きが見えず不安だった今年に夏に比べると、入院後は静かな日々が続いている。
心配した伯母の様子も、スタッフの人たちを困らせることもほとんどなく落ち着いた状態だと聞く。
時々電話で声を聞くと、「ごめんな、迷惑をかけて」と決まって言う。
突然の環境の変化で戸惑うことも多かっただろうが、私たちには決して恨み言は言わない。
ありがたいことだ。

入院の時の取り決めで、最低3ヶ月は入院し、その後のことは2ヶ月が経過した頃相談することになっていた。
その主治医を含めた相談日が今日だった。
午後3時から始まった打ち合わせで、主治医は伯母の状況を教えてくれた。
『お風呂に入るのは相変わらず嫌がるがそれ以外は落ち着いて生活をしている。一度5分程度血圧が下がって意識がなくなったことがあるが、心臓には異常は見られずすぐに回復した。』
そのうえで、「今しばらく医療が必要だと判断しますが、その後どうされますか?」と問われたので、「一人暮らしは難しいと思うので、病院に併設されている施設に入所させたい」と私たちの希望を伝えた。
すると主治医も「それがいいと思います」と同意してくれて、その施設が空くまでは入院を続けられると確約してくれた。

突然知らない病院に入院し、生活が一変した伯母が今何を考えているのかは正直わからない。
本人はいずれ退院し家に帰るつもりなのだろうが、どう考えても一人暮らしは難しいのだ。
なるべく伯母の望むようにしてあげたいが、ご飯が一人で用意できない以上、選択肢は限られてくる。
痛みもなく、自分でまだできると思っているだけに、認知症という病気は本当に厄介である。

この認知症という厄介な病いをテーマとした番組を最近よく見るようになった。
ついこの間までの私は医療番組には全く興味がなかった。
認知症というテーマが「自分ごと」となったのは、まさに伯母のおかげだろう。
そんな認知症を扱った番組の中で特に衝撃を受けたのは、NHKスペシャル「認知症の第一人者が認知症になった」だった。
去年の1月に放送された番組の再放送で、主人公となるのは医師の長谷川一夫さん(90)である。
長谷川さんの医師としての歩みは、日本の認知症医療の歴史そのものだ。戦後間もない頃に精神科医となり、40代で認知症を専門にした。まだ認知症が「痴呆」と呼ばれ、差別や偏見の対象となっていた時代である。
具体的な診断基準すらなかった時代に、記憶力などをテストする「長谷川式簡易知能評価スケール」を開発。日本で初めて認知症の早期診断を可能にした。
さらに、認知症の人の尊厳を守るため、病名を痴呆から「認知症」へ変更することを提唱。86歳まで診療を続けたのである。
引用:NHK

そんな認知症治療の第一人者が認知症になった。
長谷川さんが発症したのは「嗜銀顆粒性(しぎんかりゅうせい)認知症」といい、進行が比較的緩やかな認知症だという。
認知症の権威であっても、自らが認知症になって初めて気づくことがたくさんあった。
長谷川さんはこんなことを語った。
「もうだめだとか。もう僕はあかんとか。もう何もできなくなるのかとか。どんどんひとりになる。自分が認知症になってみたら、そんなに生やさしい言葉だけで、人様に申し上げることはやめなくてはならないと。こんなに大変だと思わなかったな、ということだよね。」
「いつも確認していなくちゃいけないような、そういう感じ。自分自身が壊れていきつつあることは、別な感覚で分かっている。十分に分かっているつもりではないけども、ほのかに分かっている。確かさ、確かさっていう生活の観念が。生きている上での確かさが少なくなってきたように思うんだよね。」

カメラは認知症が進行していく長谷川さんの日常を淡々と追っていく。
秀逸だったのは、長谷川さんが奥さんの負担を軽くする目的でデイサービスに通い始めた時のシーンだった。
約40年前に認知症のデイサービスを提唱し、実践した1人が長谷川さんだ。家族の負担を減らし、認知症の人の精神機能を活発化させ、利用者が一緒に楽しめる場所の重要性を訴え続けてきた。
しかし、この日、利用者全員で行うゲームに参加した長谷川さんに笑顔はなかった。
「医者のときは『デイサービスに行ったらどうですか?』って、そういうことしか言えなかったよね。少なくとも、介護している家族の負担を軽くするためには非常に良いだろうくらいな、素朴な考えしか持っていなかったよ。『今日は何がしたいんですか?したくないですか?』っていうことから出発してもらいたい。ひとりぼっちなんだ、俺。あそこに行っても。」(長谷川さん)
自宅で、長谷川さんは娘のまりさんに本音を漏らした。
まりさん「行ってもつまらないの?」
長谷川さん「そう。」
まりさん「自分ではじめたところでしょ。家族のためにもデイサービスはいいって。」
長谷川さん「そうだね。デイサービスに行けば、瑞子の負担が軽くなることは確かだからさ。」
まりさん「そうでしょう。でもやめちゃうの?おばあちゃんまた大変じゃない。」
長谷川さん「そうねえ、しょうがないよ。」
まりさん「しょうがない?」
長谷川さん「・・・・・。」かつて自ら提唱したデイサービス。そこで感じた孤独…。長い沈黙のあと、長谷川さんはこう切り出した。
長谷川さん「僕は死んでいくとき、どんな気持ちで死ぬのかな。」
引用:NHK
まりさん「死ぬとき?どんな気持ちになるか?なんでそんなこと聞くの?」
長谷川さん「僕が死んだら、(周りが)やっぱり喜ぶのかなと思って。」
まりさん「誰が?」
長谷川さん「お前が。」
まりさん「そんなことないでしょう。」
長谷川さん「でも周りはホッとするとよね。きっと。それくらい俺はみんなに負担をかけているということは自覚しているつもり。」
自らが提唱し推進したデイサービス。
しかし自分が実際にその立場になって初めて知る孤独。
これこそが現実なのだろう。

入院してからの伯母の口癖となった「ごめんな、迷惑をかけて」という言葉は、認知症が始まった人たちの孤独が詰まった言葉なのかもしれない。
「余分なものは、はぎとられちゃっているわけだよね、認知症になると。(認知症は)よくできているよ。心配はあるけど、心配する気づきがないからさ。神様が用意してくれたひとつの救いだと。」(長谷川さん)
そして認知症の第一人者・長谷川さんは、「認知症になって見える景色はどんな景色か?」と問われてこう答えた。
「変わらない、普通だ。前と同じ景色だよ。夕日が沈んでいくとき、富士山が見えるとき、普通だ。会う人も普通だ。変わらない。」
見える景色は変わらないが、「確かさ」が徐々に失われていく認知症。
伯母も、私たち家族に迷惑をかけているという罪悪感とともに、孤独に沈んでいるに違いない。
そんな伯母をどうサポートしていくのか、その答えはまだ見つからない。