岡山への帰省2日目。
午前中のメインイベントは、岡山市内に暮らす私の母を連れて彼岸のお墓参りをすることである。

今日は朝から雲ひとつない快晴。
朝食を済ませた後、スーパーの開店時間に合わせて出発しお供えの花を買って伯母の留守宅を訪ねた。
昨日と同じく、押入れの中で湿気ていた敷布団を天日干しし、暑くならないうちにとお墓へと向かった。
途中、秋の野草が美しく咲き乱れている。
私は雑草愛好家なのでそのままでいいんじゃないかと思ったのだが、母はお墓の敷地に雑草が生えているのが気になったようで、珍しく自分で草むしりを始めた。
母も今年88歳になり、コロナのためにほとんど外出もしなくなっているので、久しぶりの運動はきっと体に堪えるだろう。
それでも、これまでは伯母への遠慮からお墓参りに来ても早々に帰るのが常だったものが、今日はしばらくの間お墓に留まり、お墓の1つに納まっている亡き夫との時間を楽しんだのかもしれない。

隣にある他家のお墓を見ると、かなり昔のものと思われるご先祖様の墓石につる系の雑草が絡みついていた。
これはこれでひなびた風情がある。
真新しい墓石よりも、こういう朽ちかかった墓石の方が趣があって私は好きだ。
伯母や母が亡くなった後、我が家の墓地がいつまで存続できるのか、いつ墓じまいをするのだろう、そんなことを考えながら私はお墓に水を供えていた。

伯母の家に戻って、放置された果実を少し収穫することにした。
家の裏に植えてあるイチジクの実を母が持って帰りたいと言ったからだ。
私はイチジクが好きではないので、そのまま放っておいたのだが、葉っぱの間から色づいた果実がいくつも顔をのぞかせている。
中にはすでに熟れすぎて、虫たちの御馳走となっているイチジクもあった。

まだ実が裂けてしまっていないものだけを選んで4つ収穫した。

母はすぐにもぎたてのイチジクを食べていた。
まだ少し若かったのか、甘さ控えめでちょうどいいと母は言った。

私は放置プレーになっていたシャインマスカットの棚から、比較的食べられそうな房だけを選んで摘んできた。
市販のシャインマスカットは国際的にも大人気だが、我が家のそれは、伯母が一切管理できなかったので、粒は小さく、種もあって、見た目も悪い、とても出荷できるような代物ではなかった。
とはいえ、甘さは抑えめだが食べられないことはない。
捨てるのはもったいないので、腐った実をハサミでカットして、食べられそうな房を選り出していく。

「そうだ、このブドウ、伯母に届けてやろう」
そう思った。
伯母のブドウ畑で育った今年の収穫を、入院中の伯母に届けてあげるのだ。
比較的大きくて綺麗な粒を選り分けて、昨日収穫した黒ブドウ「ピオーネ」の粒と混ぜてタッパーに入れ合わせる。
見た目カラフルなブドウのパッケージが完成。
秋物の衣服とブドウのタッパー、さらに敬老の日のお祝いとして敬老会からもらった和菓子の箱を抱えて、伯母の入院する病院へと向かった。

受付で面会の予約があると告げると、エレベーターで2階に上がるよう言われた。
エレベーターを降りると、ガラス扉の向こう側で伯母は椅子に腰掛けて待っていた。
きれいに髪がカットしてあり、着ている服装も妻が買って持たせた長袖とTシャツの組み合わせ、家にいた時とは見違えるような若々しい姿であった。
伯母は、想像していたよりずっと元気そうで、お化粧をしているのかと思うほど血色が良くなっていた。
伯母は私の来訪をとても喜んでくれた。
「家に帰りたい」とか、「なんでこんな所に入れたのか」というような私への愚痴は一切口にせず、ただ「心配かけてごめんな」と穏やかに繰り返した。

私はホッとして、救われた気分になった。
伯母の写真を撮って、家族みんなに見せてやりたいと思った。
しかし撮影は禁止されている。
伯母は終始機嫌よく話していたのだが、時折、周囲の様子を伺うような仕草をした後に、「お風呂に入れってうるさいんじゃ。お風呂に入ったら、すごい疲れる」と病院への愚痴をこぼした。
それでも、表情は穏やかで再会を心から喜んでくれていることが私にもはっきりと伝わった。
本当は面会に来るべきかどうか、相当悩んだのだ。
恨みがましいことを伯母に言われるのではないか、すぐに家に連れて帰れと要求されたらどうしよう、そんな悪い連想が次々に脳裏に浮かんだ。
でもそれは完全に杞憂だった。
伯母は自分の老いと向き合い、私たちを信頼してくれようとしている。

あっという間に20〜30分が経過し、面会時間の終了を告げに看護婦さんがやってきたところで終わった。
来てよかった。
そう思った私は、病院の駐車場から妻に電話をし、弟にもLINEで面会の報告をした。
みんな、私の報告にホッとしたようだ。
来月には、また伯母に会いにこよう。
大きな山を、またひとつ越えた実感があった。

夜、母のマンションで中秋の名月を見上げた。
父が亡くなる前は、母は毎年このベランダから名月を見るのが習慣だったのだそうだ。
だから父の死後も、母は中秋の名月の夜にはお団子などを用意し、父の遺影と一緒にこのベランダから月を眺めているのだという。

亡き夫の遺影を抱いて名月を見上げるおばあさん。
それはそれで乙女チックなシーンでもあり、私は思わずカメラを向けた。
もうすぐ90歳に手が届かんとする2人の老婆。
それぞれにこの年まで一生懸命生きてきて、自分の老いと向き合っている。
私にできることは、2人の母が少しでも幸せな最期を迎えられるように寄り添うこと。
ただ、それだけである。
こんばんは!おばさん、元気でよかったですね。ところで、今日、スーパーで社員マスカットを売っていたのですが、ひとふさ1780円。こんなに高いのかと、ちょっと驚きました。