<吉祥寺残日録>親子4世代、アナログからデジタルへの激変期を乗り越えて・・・ #220103

昨日の焼肉ランチに参加できなかった三男夫婦が吉祥寺にやってきて、今日は昼食を一緒にした。

「ピザがいい」というリクエストに応え、七井橋通りの「マザーズ」を予約する。

去年結婚式を挙げたばかりの新婚カップルなので、幼い子供たちで賑やかな昨日のランチとは違って大人の会話が楽しめた。

三男のお嫁さんはコロナでずっと帰省できなかったので、今年のお正月は単身茨城の実家に戻り、久々にご両親と一緒に過ごすことができたようだ。

そして昨日、三男が茨城に赴き、結婚後初めて向こうの親戚にも挨拶ができたらしい。

お嫁さんのおじいさんは昔校長先生を務めた地元の有力者だそうで、初めて会う孫娘の婿殿をスーツ姿で出迎えてくれたという。

三男は、薪ストーブを愛用するお父さんの指導を受けて、斧を使って薪割りもさせてもらったと楽しそうに話していた。

まずは歓迎していただいたということのようだ。

三男夫婦は2人とも1994年生まれの27歳。

最近よく耳にする「Z世代」とその上の「ミレニアル世代」の境目あたりに当たる。

「減価償却から「増価蓄積」へ デフォルトを変えるZ世代」。

こんな記事が今日の日本経済新聞にも掲載されていて、これからの時代のキーワードが散りばめられているように感じたので、記事の一部を引用させていただこうと思う。

「1997年以降生まれ」とする米ピュー・リサーチ・センターやアメリカ心理学会の定義によれば、デジタルネーティブと呼ばれる「Z世代」は2022年、先頭集団が20歳代後半に差しかかる。社会や消費を一段と引っ張る存在となるのは確実だ。

そんな世代が考え、好み、志向する「デフォルト(Z世代がよく口にする言葉で、初期設定、常識の意味)」とは何か。

所有欲が強くなく、環境活動家グレタ・トゥンベリさんが象徴するように地球温暖化問題に敏感。現象面を突き詰めてみて、見えてくる傾向とは、前の世代の価値観に対してほとんど「逆向きのベクトル」だ。

例えば、「減価償却型」の今の経済は変わるかもしれない。現状では車や情報端末の価値が最も高いのは新品の時だ。新車登録が終わったり、商品を開封したりしたら、すぐに価値の減少が始まる。

これだけ技術が日進月歩の現在、「すぐに価値が失われるのを承知で買い、3年も5年も使い続けるのは合理性に欠ける」というのがZ世代の言い分である。減価→使い捨て→廃棄物を増やす、という循環も連想させるのだろう。そんな若いユーザーの声が強く影響し始めたといわれるのが、最近耳にする「アップサイクル」や「アップデート」という考え方だ。

前者は製品に使われる部品や材料を再生し、従来より高い品質に引き上げたうえで次の製品に使うこと。米アップルは21年2月、将来的にすべての製品をリサイクル材だけを使って生産する方針を表明している。

後者はソフトウエアの更新によって、ハードウエアの価値を買った後から増やしていこうという考え方。安全支援機能や自動運転機能を常時、最新の状態に更新する米テスラの手法が有名だ。1回100万円を超すアップデートもあり、稼ぐ経営モデルとしても注目度は高い。

引用:日本経済新聞

毎年のように新製品が登場し、日常的にソフトウェアがアップデートされるデジタルの時代。

人生のいつ頃からデジタルに接したかによって、かつてなく世代間ギャップが広がり、それは単にアナログとデジタルの違いだけではなく、価値観や物事の捉え方にも大きなギャップを生んでいる。

「Z世代」という言葉は、アメリカで生まれたマーケティング用語であり、この世代が注目されるのはアメリカではこの世代の人口が比較的多く、彼らの購買行動の変化が企業にとって非常に重要になったためだ。

少子高齢化が進む日本では若者人口は高齢者に比べて相対的に少なく、企業判断に及ぼす影響力はアメリカほど大きくはないものの、これから育ってくるさらに若い「α世代」、つまり私の孫世代は「Z世代」以上にデジタルネイティブであり、いずれはこうしたデジタルネイティブの世代が世界を動かしていくことになる以上、日本企業も彼らの価値観に寄り添っていくしかない。

そんな記事を読みながら、一つの疑問が生じた。

ところで私は・・・何世代なのだろう?

戦争直後に生まれた「団塊の世代」が常に日本社会の最大勢力として君臨する中、その下に位置し、若い頃は「シラケ世代」とも呼ばれた私たちの世代。

果たして今マーケティングの世界では、私たちの世代がどう呼ばれ、分析されているのかを調べてみることにした。

すると、いくつかの呼び名が見つかった。

たとえば・・・団塊の世代と団塊ジュニアの間に挟まれた「断層世代」または「新人類世代」。

63歳の私はこの区分では「新人類世代」ということになるが、一般的に「新人類」とは共通一次試験が導入された私たちより少し下の世代を指す呼び名だったので、私や妻は「断層世代」ということになるのだろう。

そこで、「断層の世代」という言葉を検索してみると・・・

1953年(昭和28年)4月2日~1963年4月1日に生まれた世代が断層の世代とされており、人口は約1660万人である。団塊の世代の次に現れた世代であり、高度経済成長の時代に育った。そのため、ポスト団塊の世代とも呼ばれる。バブル景気も経験しており元祖オタク世代でもある。

断層の世代が好消費と呼ばれるようにローンを組んで買い物をするなど消費水準が高かったものの、以降の世代になるにつれて減少していき消費や支出が行われなくなっている。また断層の世代は消費の好みでは自動車やAV機器や海外旅行が多かったものの、以降の世代になるにつれてこれらへの関心も減少している。

出典:ウィキペディア

1958年生まれの私はまさにこの世代に属する。

高度成長期に育ち、バブル景気も経験した。

私自身はオタクではないが、団塊の世代のような上昇志向はなく、各自の趣味に没頭できたという意味でオタク第一世代と呼ばれることに違和感はない。

そして大きなローンを組んで住宅を買い、自動車・AV機器・海外旅行にお金を使ったという意味では、私も典型的な「断層の世代」ということになるのだろう。

別の区分分けでは、私たちの世代は「ポパイ・JJ世代」でもある。

人気雑誌の「ポパイ」「JJ」が創刊された時代に育った世代ということで、団塊の世代に比べて個人や多様性を大切にするという。

ポパイ・JJ世代は、ミニスカートやベルボトムのパンツ、男性の長髪といったヒッピーカルチャーの影響を受けています。

ヒッピーカルチャーの特徴を一言で表すなら「私らしさ」。

保守的な考え方や多数派の意見に縛られるのを嫌い、「自分は自分、他人は他人」「人生はエンジョイしてなんぼ!」という考え方を追い求めるのが、ポパイ・JJ世代の特徴です。

引用:販促の大学

確かに、私もベルボトムのパンツを履き、髪を長く伸ばして今から見ればダサい学生時代を過ごした。

ベトナム反戦運動、学生運動、そしてヒッピーカルチャーに漠然とした憧れを抱くも、大人になった時には世界的な高揚期はすでに終わっていた。

「自分は自分、他人は他人」「人生はエンジョイしてなんぼ」という価値観も、まさに私そのものである。

さすがに商売に直結しているマーケティングの世界。

それぞれの世代がどんな価値観を持ち、何をどのように売り込めば商品を買ってくれるのか実によく研究されていると感心した。

こうしたマーケティングの世界での世代区分に従えば、私たちの親世代は「戦前世代」「昭和一桁世代」となる。

マーケティングの概念が浸透した頃にはこの世代はすでに企業の重要なターゲットではなくなっていたためか、団塊の世代以前の世代分析はほとんど見つからない。

唯一見つかった表現は「保守的で消費は悪という価値観が強かった世代」という定義である。

私の父も妻の父も社会党や共産党を支持していて必ずしも保守的というイメージはないが、デジタルとは全く無縁であり、使っていない物でも捨てたがらないという点は戦争を経験したこの世代の共通項と言えるだろう。

20代後半から30代である私たちの息子たちは、「ミレニアル世代」「ゆとり・さとり世代」に区分けされている。

アメリカでは「ジェネレーションY」と呼ばれ、『インターネット普及前の時代に生まれた最後の世代で、幼少期から青年期にIT革命を経験したデジタルネイティブの最初の世代』と定義される。

まさに、アナログからデジタルに移行する過渡期の世代だ。

確かに、息子たちは子供の頃からテレビゲームで遊び、ウェブデザイナーを生業としている長男はまさにデジタルネイティブの最初の世代と言えるだろう。

同時に息子たちの世代は、「ゆとり教育」が導入され、長いデフレ経済の下で育ってきたため、私たちの世代に比べると欲がないようにも見える。

「さとり世代」と呼ばれる所以だ。

そして、2010年代生まれの孫たちは「アルファ世代」に分類される。

今注目されている「Z世代」よりもさらに若い、生まれた時にはデジタル社会がすっかり浸透していた世代であり、孫たちが大人になる頃には果たしてどんな世の中になっているのだろう?

IT革命の次の革命である第四次産業革命 (4IR) の進展と共に成長する世代である。当該世代にとっては現実世界とオンラインコミュニティが分かち難く結び付いているため、ネットですら現実の一部として認識している。以前の世代とは違い、生まれた時から様々な情報を簡単に統合して扱えるiPadやInstagramが存在している環境で育つため、文章より動画や画像を好み、SNSを通して多様な人の活動にアクセスしながら成長期を過ごすことで、以前の世代よりも自由に役割の垣根を超えて行動する特徴があると予想されている。また、幼少期からプログラミング教育が行われるため、完全なデジタルネイティブでもある。しかし、2010年代生まれのジェネレーションαの多くが本格的に社会に参加する時期は早くとも2030年代以降であるため、実際にジェネレーションαの特徴を確定できる時期はそれ以後となる。

定義上世代の始まりに当たる2010年代初頭生まれの人が、人工知能 (AI) におけるシンギュラリティ前夜の2040年代初頭に30歳を迎えるため、ジェネレーションα全体はインターネット登場以上の社会的インパクトを若年期に継続して受ける。具体的には、既に2020年代初頭の時点で人工知能や量子コンピュータが難問解決を達成し始めており、それらの成果の産業応用が進むことで、今以上にテクノロジーと人間の融合が進み、人間の定義が様変わりする程に破壊的な変化が社会の至る所で起きるようになると言われているが、そういった世界の中でジェネレーションαが若年期を生きるという事である。

前世代のジェネレーションZは「スマホ世代 (iGen)」とも呼ばれ、スマートフォンを手に持ち、画面を見て指で操作する方法がIT利用の中心であった。しかし、今後は超小型のITデバイスを環境に多数配置したり、身体に常時貼り付けたり、体内に埋め込んだり、ナノマシンとして注入する可能性も高くなってきており、ジェネレーションαでは人間のサイボーグ化による能力強化が格段に進む可能性がある。イギリスの会計会社グラント・ソーントン (Grant Thornton) によると、ジェネレーションαは人類史上最も長生きで豊かな世代になると予想されている。

出典:ウィキペディア

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「戦前世代」、「ポパイ・JJ世代」、「ミレニアル世代」、そして「ジェネレーションα」。

激しく移り変わる社会の中で、全く異なる4つの世代が家族として連なっていく。

これでは話が通じる方がおかしいと思えなくもないが、こうして新しい時代に対応する次に世代が生まれることによって、どんな変化にも対応し生き抜いてきたのが人類の歴史なのだろう。

4世代がお互いを尊重し合いながら時々顔を合わせるという我が家の関係は、こうしたジェネレーションギャップを考えると、良い距離感なのかなとも思う。

社会人生活を終えた私たちシニア世代にとって大切なことは、変化を恐れず抗わず、若い世代を信頼して託していくこと。

そして家族の醍醐味とは、自分が残した子孫が築いていく未来を我が事として感じられることではないだろうか。

孫たちの世代がどんな社会を作っていくのか、その変化についていけなくても、せめて見守っていきたいとは思うので、新しい社会の価値や意味を理解できる程度にはデジタルや新技術にも接していきたいと考えている。

子や孫に何かを伝え、彼らを通して、私が生きた証を何か残せたとしたら最高ではないか。

やはり人が残せるものは、金や物ではなく人なのである。

MMT

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