<吉祥寺残日録>父の命日に帰省すると、入院中の伯母が発熱していた #211216

12月16日は亡き父の命日、あの日から14年が経った。

せっかくなので、この日に合わせて岡山に帰省し、線香の一本も供えようと考えた。

いつものように、私は朝一番早い全日空機に乗って岡山を目指す。

羽田空港のラウンジで待ち時間を過ごしていると、ちょうど東の空から太陽が昇り、その太陽をかすめるように次々に旅客機が飛び立っていく。

飛行場ならではの夜明けの光景だ。

機内サービスで映画「るろうに剣心 最終章 The Biginning」をやっていたのだが、それを半分観たところで岡山上空に着いてしまった。

せっかく楽しく見ていたのに、1時間の空の旅は映画を見るにはちょっと短い。

窓から見下ろす岡山の大地には白いもやがかかって幻想的だった。

揺れるのが嫌で妻は飛行機を敬遠するが、こうした地上では見られない素敵な光景を目にできるので、私はどんなに揺れようと飛行機が好きなのである。

岡山空港でレンタカーを借りて岡山駅に向かうと、ちょうど妻が到着する時間とピタリ一致し、お互い待つことなく落ち合うことができた。

そのまま駅から私の母の暮らすマンションに直行する。

父の仏壇に線香をあげて、しばし雑談。

88歳の母はその年にしては元気だが、コロナ禍のこの一年のうちに少し衰えた印象を受ける。

私たちが伯母の家の片付けをしている話をすると、母も捨てたい布団があると初めて片付けの意思を示したので、この機を逃さずさっさと布団を運び出すことにした。

父の命日でもあるので、母を車に乗せて3人で昼ごはんを食べることにする。

法事向きの「喜怒哀楽」という和食屋さんを想定していたが電話をすると満席だというので、急遽計画を変更して岡山駅西口にある「福寿司」という老舗寿司店を予約した。

なんとか席は確保できたが、この店も混み合っているらしく、事前に注文するメニューを決めて欲しいと言われ、にぎりの特上と並、名物「わらどん」を電話で注文してからお昼すぎに店を訪ねる。

「わらどん」というのは、岡山の代表的な刺身「サワラ」を使ったオリジナルの丼。

特上にぎりにも、「サワラ」や「ママカリ」など岡山の地魚がふんだんに使われている。

美味しいものを食べて亡き父の思い出話も少々。

母のする思い出話はもう何百回も聞いたお馴染みの話である。

こちらが言った話はすぐ忘れ、同じ話を何度もする、元気な母もそんな老化のサインが目立つようになっている。

こうしてささやかに父を慕んだ後、今度は母を連れて3人で伯母が入院する病院へと向かった。

これまで何度誘っても、なかなか病院に行こうとしなかった母。

同じような年齢なのに、病院の中と外に分かれた状況で面会するのはどうも伯母に申し訳ない気がするらしい。

しかし、今日は珍しく一緒に面会に行ってみると言う。

どういう心境の変化かはわからないが、会いたい気持ちとどんな顔をして会えばいいのかわからないという戸惑いが母の心の中で入り混じっているのだろう。

病院の規則で、面会には一度に2人までと決まっているので、妻が受付で入院の会計をしている間に、私が母を連れて2人で2階の病棟に上がる。

すると、いつもは姿を見せない主治医の女医先生が待っていた。

「お久しぶりです」と挨拶すると、女医先生は「今朝発熱されたんです」と思わぬ話を切り出した。

先生の話によれば、伯母は今朝から発熱し38度あったという。

原因を調べると誤嚥性肺炎で右肺の方に食べ物が入ってしまったらしい。

そこで医師の判断で昼は食事を止めて点滴治療を行なっていると言い、1週間は経過を観察しながら点滴を続けるつもりだと女医先生は説明した。

今月90歳の誕生日を迎えた伯母に私も母も食べ物の差し入れを持って行っていたのだが、こういう状況なので食べ物は預かれないと断られてしまった。

残念だが仕方がない。

それでもガラス越しの面会は許可が出て、車椅子に座りながら点滴をする伯母を職員の人が連れてきてくれた。

先月までに比べると、明らかに伯母の反応は鈍く、顔に生気がないように私には見えた。

しかし発熱したと聞いた時に想像していたよりは元気そうで、初めてお見舞いにきた私の母を見てニコニコと笑顔を見せてくれた。

何を聞いても、どうも会話がうまく進まない。

面会は短時間で済ませるように言われていたので、私は適当なところで1階に降り、会計を終えた妻と交代する。

父の命日に予期せぬ伯母の発熱。

岡山に来るたびにいろんなことが起きる。

これが高齢者介護では当たり前で、こういう先が見えない状況が何年も続くのだ。

母をマンションまで送って、今度は岡山市役所に向かう。

3ヶ月を超える長期入院の場合、食事代などが減額される制度があるそうで、病院でそれを教えてもらい手続きに行ったのだ。

細かいことは全て妻に任せ、私はただそれを見守るだけ。

事務処理能力のある妻といい加減な私、こうした手続きは全て妻に任せるのが我が家のルールだ。

それにしても、伯母の様子が少し気にかかった。

もし入院せずに自宅にいたら、誤嚥性肺炎でも命に関わっただろう。

そう考えれば、半ば強制的に入院させた判断は正しかったとも言える。

どんどん年老いていく親たちをどのように過ごさせてあげるのがいいのか、試行錯誤の日々がまだまだ続いていく。

命日

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