岡山帰省5日目。
週末の異常な寒さは多少緩み、今朝の最低気温は2度台に戻った。

連日の雪や霜で買ったばかりの新車がかわいそうになり、物置の一角にお尻を突っ込んで夜をこさせたのだが、今朝は霜も降りておらず肩透かしを食ってしまった。
車庫がないので、せめて物置に置いておいた方が車に良いのではと考えたが、もともと鶏小屋なので車庫としてはいささか小さい。
今にも壊れそうな古い建物で、もし地震でも来たら新品の車が下敷きになるのも困る。
東京と岡山を行ったり来たりしながら留守中に自動車をどのように保管するのがいいのか、まだその答えは見つかっていない。

今日の最初のミッションは、母のマンションに眠っていた古い布団を捨てに行くこと。
先月、伯母の布団を捨てる話を母にしたところ、「うちにも捨てたい布団がある」と母が口にした。
何度か家の片付けを持ちかけた時、頑なに拒否の姿勢を見せていた母が自分から布団を捨てる話をしたので、早速粗大ゴミを捨てられる清掃センターの予約を取り、押入れの中で長年使われないまま眠っていた布団や毛布類を預かり、母の代わりに捨てに行ったのだ。
裸祭で有名な西大寺にある清掃センターに粗大ゴミを持ち込むのは今回で3度目。
もうすっかり様子もわかっている。
伯母の家にあった石油ファンヒーターや座椅子も一緒に処分する。

ゴミの処分を終えると、その足で岡山市内の母のマンションに立ち寄り、母をピックアップして一緒にお墓に参る。
父の命日でもある年末にお墓に参るのは母が欠かさず行う決まり事だ。
我が家のお墓は緩やかな坂道を登り、一部やや急な畦道を上がらないといけないのだが、88歳の母親にとってこの最後の畦道は難所になったようだ。
手をついてよじ登るようになんとか上がれたが、私が手を差し伸べようとしても「大丈夫」と言って一人で登った。
自分でできることはできるだけ自分でやる。
普段ニコニコしている母だが、自らの老いを認めつつも、頑固さが見え隠れする。

今年は、母にとっても大きな変化の一年だった。
仲が良かった実の妹が亡くなり、義姉にあたる伯母が認知症で入院してしまったのだ。
いつも長電話をしていた2人と話ができなくなり、母の日常は大きく変わった。
私や弟が時々会いに行ったり電話をかけたりしても、同世代の2人の代役はできない。
「死ぬ時は誰もが一人」と昔からよく言われるが、肉親でも老人の孤独を埋めることは難しいと感じる。
お墓参りの後、妻と3人で食事をし、マンションまで送り届けた。
庭で摘んだ「マンリョウ」と「ハナボケ」の枝と、私が畑から採ってきた「ゆず」の実がお土産だ。
もうすぐ冬至、今年も残すところ10日となった。

母をマンションに送った後、「オートバックス」に立ち寄って、こんなものを買ってきた。
「あらゆるバッテリーに充電できるエコチャージャー」。
何だか得体の知れない機械だが、家庭用のコンセントから車載のバッテリーを充電することができるらしい。
次回1月に岡山に来た時、もしバッテリー上がりで車のエンジンがかからなくても、これがあればJAFに頼らなくても自分で対処できるはずなのだが・・・。
本当にうまく行くのかどうかは、来月以降のお楽しみだ。

ついでに、こんなものも買った。
「DC/ACインバーター」。
車に取り付けられたシガーソケットを電源にして、家庭用コンセントとUSBに変換する。
すなわち、これがあれば車内でスマホの充電だけでなく、家電も使えるはずなのだ。
少しずつ充実してくる岡山での暮らし。
妻の両親も私の母も少しずつ衰えが目に見えるようになり、来年どうなるか予断を許さない。
戸惑いながらも、できることを粛々と準備して緊急事態に対応できるようにしておく。
それが今、私たち夫婦にできることなのだろう。
<吉祥寺残日録>トイレの歳時記❄️七十二候「金盞香(きんせんかさく)」に母を連れて「むらかみ農園」に行く #211117