<吉祥寺残日録>桜の名所「小金井公園」で何十年ぶりかでキャッチボールをする #210328

昨日、緊急事態宣言で延期していた長男一家との集まりが実現した。

屋外の方がいいだろうということで長男の家に近い「小金井公園」で会うことにした。

今年初めて電車に乗り東小金井駅から「CoCoバス」という小金井市のコミュニティバスに乗り換えて「たてもの園前」という停留所で長男一家と待ち合わせる。

玉川上水沿いには桜が植えられているが、さほど見事な光景ではなかった。

江戸時代から玉川上水沿いに植えられた「小金井の桜」は観光名所となり、春のこの時期には江戸の庶民が小金井までやってきたという。

しかし、今は「小金井の桜」といえば、ここ「小金井公園」の桜を指す。

小金井公園の良さは、桜並木ではなく面として桜が植えられていることだ。

桜の下に陣取ると、四方八方の桜を楽しむことができる。

子供が小さい頃に一度花見に来た記憶があるが、あれからもう30年以上、桜の木は太くたくましくなっていた。

もはや「老木」と呼んでもいい趣がその太い幹に漂う。

ところが、今年はコロナ対策としてお花見規制の特別ルールが設けられていた。

  1. 酒類を伴う宴会行為は禁止
  2. シート等を広げて飲食を伴う行為は禁止
  3. 野外卓での飲食は短時間で
  4. マスク着用・可能な限り混雑を避ける
  5. テント類の設置禁止

警備員たちが見回ってシートを広げている家族連れに注意して歩いていた。

ということで、いつもは花見客のシートで埋め尽くされる広場もご覧の通り。

青空と桜と芝生の緑。

でもこれはこれで悪くない。

それでも家族づれは桜の木の下にシートを広げてお弁当を食べている。

例年はシートとシートが重なるほどの混雑だが、今年は十分に間隔を開けることができるのでさほど危ない感じはない。

ということで、我が家もルールを承知の上で短時間シートを広げ、みんなでお弁当を食べた。

お弁当を食べ終わったら、桜の下からすぐに撤収し、「いこいの広場」で遊ぶことに。

長男と男の子は縄跳びやキャッチボール、お嫁さんと女の子はバドミントンを始める。

私も久しぶりに縄跳びやキャッチボールをしたのだが、これが驚くほどできなくなっていた。

縄跳びは昔から得意で後ろ二重あや跳びなども楽にこなしていたのだが、普通の二重飛びさえできなくなっている。

キャッチボールも苦労した。

昔は何も意識しなくてもグローブが勝手にボールの位置に動いたが、昨日はボールをちゃんとキャッチするだけでも苦労した。

使わない能力はどんどん退化していくことを実感する。

それでもボールを投げた後、右肩が痛くなるかと心配したが、翌日になっても問題は起きなかった。

孫に付き合ってもらってたまにキャチボールをするのは私にとって必要かもしれないと思う。

公園で少し遊んだ後、長男の家まで歩いて行き、妻が用意したイチゴや女の子が作った手作りのクッキーをみんなで食べた。

男の子はスーパーマリオのコースを自分でデザインする様子を見せてくれ、女の子は何が楽しいのか「どうぶつの森」という人気ゲームで遊んでいる。

そうかと思えば、家の中で遊べるトランポリンを買ってもらったと言って、無邪気に飛び跳ねる様子を私たちに見せてくれた。

コロナ禍で修学旅行などのイベントも中止となり、子供たちには退屈な日々だが、いろいろ工夫しながら元気に過ごしているらしいのでひとまず安心する。

夕方家に戻り、今度は学生時代の仲間とのオンライン飲み会に参加する。

例年この時期に大学近くの焼肉店で宴会をするのが慣しなのだが、今年はオンラインでの開催となった。

私は家に眠っていた赤ワインを開けて、非常食として備蓄していた冷凍唐揚げをつまみに飲み会に参加した。

いつ誰にもらったワインかすっかり忘れてしまったが、イタリアを代表する「キャンティ・クラシコ」のワインだということがわかった。

カステッロ ディ アマ ラッパリータ、2007年ものだ。

ネットで調べると、1本2万円ほどする高級ワインである。

オンライン飲み会で適当に飲むならいつものように1000円以下の安ワインで良かったのだが、後から悔やんでも仕方がない。

とりとめもなくみんなが喋りたいことを喋る気楽な飲み会。

私以外はまだみんな現役で仕事をしていて、コロナ関連でもいろいろ苦労があるらしい。

そして、誰もが数年後のリタイアに向け、各自いろいろやりたいことや不安を抱える。

そういう年齢だ。

大学に6年在籍した私は、一番最後に社会人となり、一番最初にリタイアした。

そういう意味では少しリタイアの先輩なので、「何の予定もないことを幸せと思えるか思えないかで定年後の生活は大きく違ってくる」と、先輩ヅラをして今の心境を語ったりした。

そういえば先日、ネットでこんな記事が目についた。

『定年後も「勤めていた会社の名刺」を持ち歩くオジサンたちの「残念すぎる生き様」』

「週刊現代」の記事だったが、このタイトルを見ながら「私は過去の肩書きから自由になれたか?」と自問した。

実は、以前勤めていた会社から「顧問」という名刺をもらっている。

もしビジネスのネタが見つかったら、元いた会社に紹介するという約束で給料をもらっているわけではない。

退職した直後は、この名刺を使う機会もあるだろうと思っていたのだが、あれから9ヶ月たった今、その気はほとんどなくなってしまった。

「もう仕事はいいや」と感じている自分がいる。

サラリーマン時代は頭の中の半分以上が仕事のことで埋まっていたが、今では頭の中の100%が自分のものとなったように思う。

井の頭公園の樹木の根元に咲く一輪のスミレに気がつくようになった私の日常は、いい意味でリタイア後の人生に適応しようとしていると感じる。

「暖かき 日影をとめて 来りつる 枯生のもとに 菫咲くはや」土田耕平

我が家のトイレの歳時記カレンダーにこんな和歌が載っていた。

土田耕平は大正から昭和初期に活躍した歌人で『青杉』という歌集にある歌のようだ。

まだ私の興味関心の中に短歌や俳句は入ってこないが、樹木から始まった植物への興味は次第に小さな草花や雑草に向いてきている。

この先、私の興味がどこへ向かうのか、我ながら興味のあるところである。

<吉祥寺ライフ>井の頭公園の植物【3月】「ヒトリシズカ」&「マルバスミレ」

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