岡山への帰省3日目。
前日に下見した結果をもとに、わずか1ヶ月で再び雑草の海に飲み込まれた畑の草刈りを行う。

都会人にとっては、つい1ヶ月前の努力がすべて無駄に終わることは「徒労」であり、「失敗」であり、「ミス」であり、「敗北」なのだが、自然を相手にする農業の場合、こんなことでカリカリしていたのではとても続けてはいけない。
人間の力など所詮はその程度のものであり、1ヶ月放置していれば人が手を加えた痕跡は綺麗さっぱりと消えて無くなるのが自然なのである。
農業は人間を謙虚にする。

一面の雑草の海の中に、妻がタネをまいた花がポツポツと咲いている。
私は花の名前をほとんど知らない人間だが、これは百日草だろうか?
せっかく頑張って咲いているので、草刈り機を動かす前に花を摘んでお墓に供えようと思い、伯母のハサミを借りてまずは花摘みに行った。

花の形の整ったものを選んで摘み、墓参りに使う手桶に放り込む。
手桶はあっという間に、花でいっぱいになった。

我が家の墓には、亡父のほか、曽祖父母、祖父母、伯父が眠っている。
昔は墓参りなどは大嫌いだったが、最近の私は、お供えも線香も持たずに、花だけをぶら下げて気楽に墓参りに来るようになった。
これも伯母から農地を引き継ぐ自覚が、私を変えたのだろう。
お墓に供える花も店で買うとそれなりに高価だが、畑に勝手に生えてくる花を供えるだけなのでどうということはない。

墓参りの後、午前中いっぱい畑の草刈りを行ったが、結局、花が咲いているエリアはそのまま残すことにした。
花を切り倒すのは、どうも気がひける。
どうせ秋になれば、草の勢いも衰えるだろう。
真夏に頑張りすぎると熱中症になるのがおちだ。

草刈りのついでに、畑に咲いていた花だけでなく、雑草もいくつか摘んで持ち帰った。
畑に咲いている雑草を使って、我流の「雑草生け花」をしてみようと考えたからだ。
摘んだ雑草を母の家に持ち帰り、母が持っていた備前焼の小さな器にさしてみた。

母に少し手伝ってもらって活けた「雑草生け花」、最初の作品。
思いのほか、それっぽくなった。
もちろん、私には生け花の経験はまったくない。
経験どころか、つい最近まで「生け花」について考えたこともなかった。
私がこの「雑草生け花」を思いついたのは、NHKラジオの朗読番組で早坂暁著「華日記〜昭和生け花戦国史」を聞いたことがきっかけだった。
私がまったく知らない華道の世界。
その未知の世界に少し興味が湧いて、YouTubeで生け花関連の動画をいくつか見てみた。枯れ枝などを巧みに使ってそこに一輪の花を加えるだけで、一つの芸術作品が出来上がる。
とても、美しいと感じた。
教室に通うのは面倒だし、私はそもそも人からモノを習うことがとても苦手だ。それならば、我流でやってみよう、そう思った。
その時に、すぐに頭に浮かんだのは、畑に咲く雑草であり、裏山に生える木や竹だった。
春ごろ、雑草の生えた畑を眺めていて、雑草に咲く小さな花がとてもかわいいことに気づいていた。
伯母のようなプロ農家にとっては、邪魔者でしかない雑草や竹だが、ど素人の私は先入観なくこれらを使って遊べるのではないか・・・。
そんな思いつきを、今回試してみることにしたのだ。

続いて今度は、私が一人で作った作品。
名前も知らない雑草だが、その茎の曲がりを活かしたいと考えた。
そこへ、百日草の花をひとつ添えてみた。
ああ、このままでいいじゃない。
自然のあるがまま・・・。
雑草の先端には小さな蕾が付いていたが、こっちを向いてくれない。でも、こっちを向きたくないのなら、あっち向きでもいいではないか。
人為的な小細工はしない、それを私の唯一の決め事としたい。

調子に乗って、残った雑草を使って、もう一つ作品を作る。
器の中に小さな剣山を沈め、真ん中にこれぞ雑草という草を2本立ててみた。
この草、やたらに背が高くなり茎も太くなる最も厄介な雑草の一つなのだが、今月の草刈りの記念として、この雑草をどうしても生け花に使いたいと思ったのだ。
名前も知らないこの雑草、ネットで調べてみるとキク科の「オオアレチノギク」という名前だということがわかった。漢字で書くと、「大荒地野菊」。すごく強そうな名前だ。
巨大化した草は美しくないので、まだ生えたばかりの若い草を選んで使ってみた。
この無愛想な草だけでは寂しいので、余った花や葉っぱを根元に添えてみたが、どうもうまくまとまらない。
でも、それならそれでまあいいだろう。
この絵にならない感じが、オオアレチノギクらしいといえばらしいではないか・・・。

私が雑草で生け花をしたいと言い出したので、最初は呆れていた母だが、やりだすと結構母も楽しそうで、還暦過ぎのオヤジと80代後半のばあさんが一緒に雑草と格闘した。
花がいつまで保つのかわからないが、材料費はゼロ円なのだから、とりあえず作品を作り写真を撮って、その時たのしく遊べればそれで十分だ。
生け花の材料を探すという意識を持って雑草を眺めると、今まで気づかなかった素敵な雑草が見つかるかもしれない。
雑草も季節ごとに変化しているのだろうから、今後もいい雑草が見つかったら「雑草生け花」を楽しんでいくつもりだ。
新しい作品ができたら、このブログで紹介できればと思っている。
<追記>
百日草を使ったこちらの作品・・・

このひん曲がった茎が面白いと思っていたのだが、この状態で置いていたら・・・

夜見ると、45度ぐらいまで持ち上がってきた。
さらに翌朝には・・・

さらに起き上がり、80度ぐらいまで手を上げていた。
驚き喜ぶ私の様子を見て、母が「水が上がったのね」と平然と言った。
植物とはいえ、生きている。
根はなくても水を吸い上げるとシャキーンとするものらしい。
「面白いなあ」と、私は一人で感心しながら、小さな花のたくましさに見惚れていた。
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