人には生まれ落ちた星がある。
そんなことを感じさせたのは、昨日の池江璃花子選手だった。

日本選手権女子100m バタフライで奇跡の復活優勝を果たし、メドレーリレーの代表として東京オリンピックへの切符を手にしたのだ。
ものすごい精神力、ただただ感動し、おめでとうと祝福するしかない。
しかし、ちょっと視点を変えれば、絶好の五輪出場機会を逸したほかのせんしゅたちがいるわけだ。
勝負の世界なので仕方がないといえばそれまでだが、どんなに頑張っても病み上がりの池江選手に及ばない。
スターと一般の違いは、努力だけでは越えられないものがあるのだろう。

そんな帰省4日目の日曜日、岡山では一日中雨が降っていた。
農作業をする気にもならないので、終日母のマンションに引きこもり、懸案である奥の部屋の片付けに着手する。
公務員だった父が定年を迎え、それまでずっと官舎住まいだった父と母は老後を過ごす家として引っ越したのが今の賃貸マンションだった。
入居時には新築だったこのマンションも、もう築30年を過ぎ、周囲の景色もすっかり変わってしまった。
それにもかかわらず、引越しの時の段ボール箱が奥の部屋をひとつ塞いだまま。
つまり、30年間一度も使われなかったものが3DLKの一部屋を占領して、立ち入りことさえできない状況が放置されているのだが、片付けようと何度提案しても不思議と母が抵抗し一向に改善が図られないままここまで来たのだ。

そこで今日は、死んだ親父が残していった衣類をチェックすることから始めてみた。
スーツからセーター、ワイシャツ、ジャンバー、パジャマ、さらには浴衣や甚兵衛、羽織や反物といった着物類までたくさん残っていて、クリーニングしたまま丁寧に箱にしまってある。
高級品があるわけではないが、中には私が実家に戻った時に着れそうな服もあって、着たり脱いだりしてサイズをチェックし、着られる服といらない服とを分けていった。

母もちょっと興味を持ったようで、懐かしがったりしながら、私がファッションショーをするのを手伝い、礼服やらジャケットやら次々に「開かずの部屋」から引っ張り出してきた。
「開かずの間」が少し開いた、まずは作戦成功だ。
東京からほとんど衣類を持ってこなくても親父のお古だけでほとんど岡山での服は賄える目処がたった。
そして、不要な服を廃棄することにも母は同意し、懸案解決に貴重な第一歩を踏み出すことができたようだ。
不用品を回収する「エコ便」というサービスを行なっている会社が岡山にあって、そこに持ち込めば、古着のリサイクルもしてもらえることがわかった。
父の服を捨てることに抵抗を感じていた母も、リサイクルされるというと私の提案を受けやすくなったようだ。
今日の朝、亡父の衣服の一部を処分するつもりだ。

こうして懸案だった母のマンションの片付けも、最初の一歩を踏み出すことができた。
焦らず、ゆっくりと、母のペースで・・・帰省のたびに少しずつ不要なものを処分していけば、「開かずの部屋」が私の部屋になるかもしれない。
今日4月5日からは、大阪、兵庫、宮城の一部で「まん延防止等重点措置」が初めて実施される。
果たして、効果はでるのだろうか?
私はあと3日、岡山での用事を済ませ、水曜日に吉祥寺に帰る予定にしている。