気象庁の予報通り、日本列島に季節外れの前線が停滞し、各地に記録的な大雨をもたらしている。
雨雲が帯状に西日本の同じ場所にかかり続け、いわゆる「線状降水帯」が各地で発生しているのだ。

今日のお昼段階で、佐賀、長崎、福岡の3県に大雨の特別警報が発出され、128万人に「避難指示」を超えるレベル5「緊急安全確保」が出されているという。
すでに避難すら困難な状況が起きている危険性があり、とにかく最も命が助かる可能性の高い行動を取るように呼びかけるものである。
九州ではすでに河川が氾濫するエリアも出始めているが、まだまだ大雨の出口は見えていない。

中国地方では、昨日広島に特別警報が出て、山陰などでも強い雨に見舞われたが、「晴れの国」と呼ばれる岡山では雨は昨日からずっと降っているものの驚くほどの豪雨というわけではない。
しかし、雨はほとんどやむことなく降り続いている。
ほんの数日前までは連日の晴天続きで、暑さでお墓の草むしりができないことを気にかけていた伯母だが、こうも雨が降り続いているのではみんなお墓参りどころの騒ぎではないだろう。

私は昨日から伯母の家に泊まり、雨の音を聞きながら普段よりも早く床についた。
吉祥寺のマンションもそれほどうるさくはないが、田舎の静けさはレベルが違う。
雨粒が屋根を叩く音以外に何の音も聞こえないのだ。
私はぐっすりと眠った。
伯母が起きてきたのは7時ごろだった。
大雨のニュースを見ながら二人で朝食を食べる。
伯母は毎朝パンにスライスチーズを載せオーブントースターで焼いて食べる。
宅配の牛乳が1日1本、週3回に分けて牛乳瓶で配達されるので、パンと一緒にその牛乳を飲む。
私は実母が置いて帰った白十字のワッフルを食べた。
あまり日持ちがしないので、食べてしまわないとダメになってしまう。
家に残っているもので伯母が食べそうにないもの、たとえばカップスープとか、インスタント味噌汁とか、私が消費すべき食料を片付けているだけで結構お腹が膨らむものだ。

ゆっくりと時間をかけた朝食が終わったところで、私は本題を切り出した。
「このあいだ大きい病院で検査をしてもらったじゃろう。あの結果が出てな、おばちゃんの認知症はかなり進んでいるらしいんよ。一度入院してちゃんと診てもらわないといけないんじゃて」
伯母の反応は予想通りだった。
「そんなこたあ、せんでええ。自分がようわかっとる。もう歳じゃなからなあ。もうすぐあの世へ行くのに入院なんかするもんか。必要なら自分でタクシー頼んで行きゃあええんじゃから」
でも、ワクチンの時ほど激しい抵抗ではなかった。
伯母自身、きっと脳や体の衰えを感じているのだ。
私は続けた。
「あの時一緒に血液検査もしたみたいだけど、体の方はまだそれほど悪いところはないんだって。だからなんぼおばちゃんがあの世へ行きたい言うても、すぐに迎えが来てくれんみたいよ。体が元気で、頭だけあの世へ行ったら困るじゃろう。おばちゃんも困るし、俺らもみんな困るんじゃ」
伯母は大人しく聞いていた。
養子になって定期的に会いに来るようになった私を、伯母は信頼してくれている。
それでも、自分のことはすべて自分でして、人に頼るということのなかった伯母の人生。
病気になってもほとんど医者には行かずに自力で治してきた。
私の母から伯母が以前一度だけ1泊の検査入院をしたことがあると聞いていたが、伯母はそれも否定した。
「わたしゃ入院なんかしたこたあねえからな。自分のこたあ自分がようわかる」
でも、そうは言いつつも、「何もかんも、ようわからん」とか「腕もこんなに細うなってしもうた」とか、自分の体が去年までとは明らかに違うことは自覚している。
私は少し脅してみた。
「この春から、おばちゃんの認知はだいぶ進んだと思うよ。お医者さんもそう言うし、俺も見ててそう思う。このまま放っておいたら、来年にはもう俺を見ても“あんた誰?”言うようになるで。もっと認知が進むと、夜中に近所を歩き回って行方不明になってみんなで探し回らないといけなくなるかもしれん。ずっとしっかり者で人に迷惑をかけずに生きてきたのに、最後にそんなことになったら恥ずかしかろう。だから今の段階でちゃんとお医者さんに診てもらって、治らなくても進行を遅らせることができれば、おばちゃんもみんなも嬉しいじゃない」
伯母は特に反論することもなくうなずきながら聞いていた。
どこまで理解できたのかはわからない。
それでも、近所の目を気にして生きてきた伯母にとって、周囲に迷惑をかけて恥をかくことは避けたいに違いないと私は受け取った。
この朝のやりとりはそこまで。
あまりしつこく入院の話をすることはやめた。
近頃の伯母は、少し前にした会話の大半を忘れるので、入院の話もきっと忘れてしまうのだろう。

昼食後、買い物に行くからと言って車でスーパーに向かい、ついでに弟に電話をかけた。
弟も私同様東京に住んでいて、会社が忙しいので岡山に来ることはできないが、伯母のことは心配していて17日に入院することを私以上に望んでいる。
スーパーの駐車場に停めた車の中から電話をかけ、伯母の様子を伝え、日曜日の朝ビデオ通話を使ってオンラインで説得を試みることにした。
私と弟の間で齟齬が起きないよう事前にお互いの考えをすり合わせるのが今日の電話の目的だった。
弟は、奥さんのお母さんを入院させた際に苦労したという。
最初は短期の入院で退院させ、病院の印象をよくした上で再度長期に病院に入ってもらったそうだ。
しかし伯母のケースとは病気の種類も性格も違う。
でも弟の方が私よりも経験値が高そうなので、弟と二人で説得するのは成功の確率が上がりそうな気がして心強い。
その電話で、弟が私の妻をリスペクトしていると言った。
「子供の頃に自分が世話になったわけでもない伯母の介護を率先してやってくれている、そんな人はなかなかいない」というのである。
確かに今時の奥さんは旦那の親族の介護などしないという話もよく聞く。
私もありがたいと思いながら、やっぱり素直に感謝の気持ちを伝えられないので、弟の口から「リスペクト」という言葉を聞いて、私まで少し嬉しくなった。

はてさて、入院の説得はうまくいくのか?
山場は明日のビデオ電話になりそうである。
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