田中邦衛さんが亡くなった。
88歳、老衰だという。

フジテレビのドラマ「北の国から」は何年経っても、私のベストドラマであることは変わらない。
真面目で頑固で優しい五郎の人物像は時に生き方の理想のように語られることもあるが、五郎はある意味どこにでもいる不器用で自己表現が下手で、飲んで騒ぐ俗人的な部分もたくさん持つ弱い人間でもある。
だから、魅力的なのだ。
数ある名場面の中で、私が忘れられないのは純が上京する時に五郎が手渡した泥のついた1万円札のストーリー。
同じ1万円札でも、五郎と都会人で価値が違う、そのことを象徴した忘れがたいエピソードである。
田中さんが演じた黒板五郎を見ていると、つましい生活をしてきた私の伯母を思い出す。
夫に先立たれて50年以上、1人で農地を守り、家を守ってきた。
ほとんど贅沢をすることもなく、清貧ともいえる人生を歩んできた伯母に付き添って、最寄りの農協の支所を訪ねた。
一時払い年金保険が満期を迎えたため解約の手続きをするためである。

ほんの1ー2年前まで驚くほどの健脚だった伯母は、車から降りるのもおぼつかない様子で、その急速な衰えに正直驚いた。
トボトボと歩く伯母をエスコートしながら農協の中に入ると、事前に予約を取っていたため担当者が2人待っていてくれた。
窓口のカウンターに腰かけた伯母は、一段と小さくなった気がした。
担当者は優しい口調で伯母に手続きの内容を説明するが、はたしてどこまで理解できているのか、その反応は心もとない。
担当者に促されて、生まれて初めて、電子ペンでタブレット画面に自分の名前を書く。
手続きは簡単に終わり、満期になったお金は伯母の口座に振り込まれ、通帳に記帳したものを自宅まで届けてくれることになった。
決して多くない収入の中から伯母がコツコツと蓄えてきたお金。
伯母の預金通帳からは、これまでの人生が偲ばれた。
手続きを待つ間、「前に来た時は、みんな偉そうにしてた」と、伯母は私にブツブツ文句を言った。
男の私が同席していると、これまでより対応がいいと感じたらしいらしい。
それは私への感謝でもあるが、過去に農協の窓口で味わった屈辱に対する不信感でもあるようだった。

農協まで来たついでにかかりつけの医者にも連れて行こうと思ったのだが、伯母は頑なに拒否した。
前回医者に診てもらったのは半年前のことで、その間に転んで顔面を強打した後も伯母は医者に行こうとしなかった。
私は、伯母の急速な衰えと転倒は関係があるのではないかと考えている。
そのため、今回の帰省の大きな目的は伯母を医者に連れて行くことだった。
でも、語気を強めて拒否する伯母を無理やり医者に連れていくと、信頼関係が崩れそうな気がして、もう少し時間をかけながら説得することにした。
一旦、伯母の家に戻り、簡単な昼ご飯を食べた後、私は車でコンビニに行くと家を出た。
伯母の台所のテレビがつかないのは、リモコンの電池がなくなったからだと考え、電池を買いに行くためだ。
そこで、余計なことをやってしまった!

運転操作を失敗して、レンタカーの左前輪を溝に落としてしまったのだ。
タイヤはコンクリートの側壁と平行に脱輪したため、前にも後ろにも横にも動かしようがない。
私は、途方にくれた。
「オレは、一体、何をやってるんだ!!!!」
脱輪した場所は、私名義の山林に行く細い農道で、車一台がやっと通れる程度の道幅だった。
山林の位置を大体確認し戻ろうとしてちょっとした脇道にバックで切り返した時、誤って脱輪してしまったのだ。
狭い道を塞いだまま、車は身動きができなくなった。
500メートルほど離れた場所にもガソリンスタンドがあるのを思い出し救いを求めて歩いて行ったが、そこはコンビニに付属するスタンドで車に詳しいスタッフはいない。
近くの自動車関連の会社を教えてもらい訪ねてみたが、どこも対応できないと断られた。
仕方なく、レンタカー会社に電話すると、ロードサービスを手配してくれるというのだが、そのためにはまず警察に連絡して事故証明をもらう必要があるという。
こんなショボい脱輪で警察に連絡するのは抵抗があったが他に方法を思いつかない。
生まれて初めて110番に電話をかけ、事情を話すとすぐに現場に来てくれるという。

パトカーが車で、私は池の前で待つことになった。
脱輪した場所はとても説明できないような場所で、待ち合わせ場所として警察がここを指定した。
5月並みの暖かな陽気の昼下がり、新緑に彩られた故郷の山は本当に美しいと感じた。
10分ほど待っただけで1台のパトカーが到着した。
地域課のおまわりさんで、別の交通事故の処理が終わり署に戻る途中だったという。
1人の警察官が降りてきて私と一緒に歩いて現場に向かい、その後ろから狭い道をパトカーがゆっくりとついてくる。

2人の警察官は現場の状況を確認し、「交通事故の取り扱い番号」と書かれた青い小さな紙をくれた。
事故の日時や場所が記載されている。
とても親切に対応してくれて事故処理はすぐに終了、私は「こんなつまらない事故でお手を煩わせて申し訳ない」と警察官の2人に詫びた。
こんなに感じのいい警察官は世界的に見ればむしろ例外であり、こういうところは日本のすばらしいところだと感じる。
事故処理が終わったことをレンタカー会社に電話すると、保険会社から電話が入り、つづいてレッカーの会社から私の携帯に電話が入った。
500mほど離れたコンビニで待ち合わせることにして歩いてそこに向かうと、コンビニ手前で赤いレッカー車と遭遇した。
作業員の人もすぐに私に気がついたらしく、車をUターンさせ、私を助手席に乗せて現場に向かった。

脱輪したレンタカーの後ろに止まったのが赤いレッカー車。
「時信レッカーセンター」という岡山に4つの営業拠点を持つ24時間対応のレッカー会社からやってきた。
でも作業する人は1人だけ。
「どうやってひきあげるのだろう?」と一時の不安は吹き飛び、作業方法の方に私の興味は向かっていた。

作業員の人はレンタカーの下を覗き込みしばらく状況を確認した上で、レッカー車の中から道具を取り出した。
この赤い板のような物はジャッキである。
ほかに通常のジャッキも2つ使い、レンタカーの底部3カ所をジャッキアップしていく。
コンクリートの側壁にへばりついていたタイヤがズリズリという音を立てながら持ち上がっていく。

そしてタイヤの下の部分が道路の高さまであがったところで、腹ばいになっていた作業員さんは私に声をかけた。
「車に乗って、ハンドルを思い切り左にきってください」
道路と平行になっているタイヤの向きを変えた上で、少しジャッキを調整し、今度は・・・
「エンジンをかけてゆっくりバックしてください」
言われた通り、少しだけ車をバックさせる。
その動作を2回行うとレンタカーは見事に道路の上に戻った。

3つのジャッキを使うだけで側溝にはまった車を救出したその技術に私は心底感服した。
「わたしには、このような人の役に立つ技術は何もない」
こういう技術を持った人たちには頭が上がらない。
脱輪してから救出されるまでの時間はおよそ2時間半、予想したよりもずっと早く助けてもらえた。
レンタカーの保険に入っていたので、作業代も一切請求されなかった。
将来への不安はたくさんある日本だが、こういうトラブルの時に本当のお国柄が出る。
そういう意味では、日本人はみんな職務に忠実で困った人を全力で助けてくれる。
やはり、日本はいいなと改めて感じた出来事だった。