予期せぬあっけない別れであった。
今朝7時前、私の携帯が鳴った。
まだ布団にいた私が電話を取ると、伯母が入所しているグルームホームからだった。
伯母が亡くなったという。
今月ようやく面会が解禁され先週会ってきたばかりだったので、不意打ちを喰らったような訃報、寝ぼけた状態のまましばし絶句する。

妻と一緒にすぐに家を出て、施設に向かう。
午前8時にグループホームに到着すると、警察の人がいてこれから検死をするという。
病院ではなく自宅や施設で亡くなった場合、一応事件性がないかどうか警察官が見極めるのだ。
私たち夫婦が信頼するグループホームの責任者から亡くなった経緯を聞く。
昨夜は普段通り7時ごろにベッドに入った伯母だが、いつものように朝6時ごろにスタッフが見回りした時、すでに息をしていなかったそうだ。
すぐに救急に連絡をしてくれたが、駆けつけた救急隊が伯母の死亡を確認した。

私たちが到着した後、検視官と施設のかかりつけ医がバタバタとやってきて伯母の状況を確認。
複数の警察官が伯母が死んでいた個室の状況などを調べる。
その結果、事件性は確認されず、医師からは伯母の死因は急性心不全と伝えられた。
ただ事実上は老衰で、最近の伯母は固形物は一切食べられず、流動食を少し口にする程度で体重も40キロを切るぐらいに痩せていた。
先週面会に行った時、去年まではなんとか歩いていた伯母が完全に車椅子になっており、受け応えもかなり怪しくなったと感じていた。

医師たちが伯母の様子をチェックしている間、私たち夫婦も警察官からの聴取を受ける。
私が伯母と養子縁組した時期や経緯、グループホームに入所するまでの経緯、最近の伯母の様子、さらには自殺するような兆候や財産についても質問された。
警察官は私たちから聞き取った内容を調書にまとめていく。
最終的にまとめた調書を私に見せながら内容を確認するように求められる。
話した内容がコンパクトにまとまった調書、遺体や部屋の調査でも不審なところはなく、晴れて伯母の死体検案書が作成してもらえることになった。

警察の人たちが去り、ようやく伯母の遺体と対面することができた。
伯母は1年近く過ごした個室のベッドに静かに横たわっていた。
散髪したばかりだということで髪をキレイにしてもらって、とても穏やかな顔をしていた。
痩せ細った頬にそっと手を当ててみる。
まだ温もりが残っていた。
その瞬間、夫を早く失った伯母の人生を想う。
お嫁に来て数年後に夫が急逝、年老いた義母を残して家を出ることができず、そのまま夫の生家と田畑をひとりで守ることになった。
子供もなく、贅沢もせず、働き詰めだった60年の日々。
最近になって草刈りなどを手伝うようになって初めて、伯母のになった苦労を実感した。
決して弱音を吐かず、私たちが手伝おうとしても「なんも困っとりゃせん」「あんたらあがなんもせんでも自分でできる」といつも気丈な言葉が返ってきた。
長年の農作業で鍛えた肉体は85歳を過ぎても衰えを知らず、急な山道をどんどん上がっていったのがつい先日のことのようだ。
そんな伯母に異変が見られ始めたのは5年ほど前からだった。
お墓に参る時にも途中で横になって休むようになり、その頃からブドウ畑の整理を始めた。
もともと無駄な買い物は一切せず、家の中はいつもスッキリしていたが、屋根裏に残っていた先祖の荷物のことが気になりだしたのもこの頃からだ。
会うたびに荷物の整理の話をするので、私がネットで見つけた片付け業者に頼んで屋根裏の荷物を捨ててもらった時も、わざわざ自分で屋根裏から重い荷物を運び出し入り口の土間に積み上げていた。
どうやら他人が家の中まで入るのが嫌だったらしいが、80代のおばあさんがよくあれだけの重い荷物を運べたものだとみんなで驚愕したものだ。

伯母との対面が終わると、早速葬儀の段取りをしなければならない。
私の父の葬儀をした葬儀場を予約し、お寺のお坊さんの都合を確認する。
すると最短で14日の通夜、15日の告別式が可能だということになり、バタバタと親族やお世話になったご近所に連絡をする。
正午には葬儀社からの車がグループホームに到着し、伯母の遺体を運び出した。
我々も車で後を追い、午後1時半からはお坊さんが葬儀場の霊安室にやってきて枕経をやってくれた。
立ち合ったのは私と妻の2人だけ、父親の時と比べるととても簡素なセレモニーだ。

枕経が終わり、お坊さんと通夜や告別式の段取りを打ち合わせた後、葬儀業者との間で葬儀に関する細々とした打ち合わせに臨む。
参列人数を聞かれたが、正直イメージがわかない。
我が家の家族はみんな仕事や学校があり、参列するのは難しいだろう。
私たち夫婦と弟夫婦、そして私の母親、確実なのはそのくらいだ。
伯母の姉妹たちは皆恒例で遠くに住んでいるのでみんな参列は難しいというが、その子供世代の中には参列する人もいるかもしれない。
一番わからないのは近所の人たちがどのくらい来るのか?
地区の世話役の人には通夜と告別式の日時を伝えたものの、コロナ禍で果たしてどれだけの人が参列されるのか全く予想がつかない。
参列してくださった方にお渡しする会葬御礼の品をいくつ用意すればいいのか頭を悩ませる。

こうして朝からバタバタしているうちに夕方になり、家に戻るとドッと疲れが出た。
妻は持病の頭痛が悪化したらしくしばらく寝込んでしまった。
まさか、このタイミングで伯母が亡くなるとは正直予想していなかったので、ちょっと不意をつかれた格好ではあったが、考えてみればいかにも伯母らしい最期で、私と妻がちょうど岡山にいる間に静かに息を引き取ってくれたおかげでさほど慌てることなく葬儀の段取りを整えることができた。
もしも東京にいる時に伯母が亡くなったら慌てふためいて新幹線に飛び乗らなければならなかっただろう。
ましてや私が海外旅行中だったら、残された妻は大変だったに違いない。
最後の最後まで私たちに迷惑がかからないように気配りしてくれた伯母に心から敬意と感謝の気持ちを捧げたい。
夜になって、次男家族が全員で岡山まで来ると連絡があった。
弟のところの三女も予定を調整して来てくれるという。
寂しいこじんまりとしたお葬式になると思ったが、思いのほか賑やかな式になりそうだ。
今日は伯母の冥福を祈りながら、早めに床につくことにしよう。
伯母様のご冥福をお祈りします。