8月に亡くなった義父の納骨のため、妻の兄弟が岡山に集まった。
老人ホームに入所している義母も外泊許可をもらって家に戻り、誰も住む人がいなくなった妻の実家が久しぶりに明るい笑い声で包まれた。
家にいる頃には素麺ばかり食べていた義母は、施設に入ってから食事が改善したようで、顔色は昔よりも良くなった気がする。
4人の兄弟に加え、私のような配偶者も加わり、さまざまな話をした。
私の妻は一番年上の長女なので、弟や妹はみんなまだ仕事をしているが、そろそろ退職後の暮らしについてもいろいろ考えるようで私たちの隠居暮らしにも興味がありそうである。

正午前、義母のお守りとして妻が自宅に残り、残りのメンバーでお墓に行った。
妻の家のお墓は山の斜面に造られた市営墓地の一番上にあり、急斜面をかなり登っていく必要がある。
私も久しぶりのお墓参りだ。
義父母も墓参りをしなくなってだいぶ経つし、妻も山を登るのが大変だからとずっと参っていないと思う。
昔の人は上にある墓ほど価値があると考えたのだろうが、今時は平地でアクセスが良いことがいいお墓の条件である。
私が墓参りしない間に、新しい墓石が設置されていた。
義父母が建てた代々墓で、左翼知識人で家制度が大嫌いだった義父のこだわりが随所に施されている。
私の目に止まったのは墓石に刻まれていた家紋。
それは見たことのない家紋だった。
聞くと、描かれているのは「打出の小槌」だという。
「槌」は武家に多い家紋だそうで、義父の先祖は津和野藩の家老だったという話も聞いたことがある。

納骨を終えて義母が待つ家に戻り、4人兄弟で相続の打ち合わせが行われた。
相続話に配偶者が口を出すと碌なことがないので、私は退散しようと思ったのだが、「まあいいじゃないですか」と呼び止められて、みんなの話し合いを聞くことになった。
「みんな平等に仲良く」というのが義父母の願いだったので、長男が不動産の分割案を作り、専門知識を持つ次男が共有になっている土地を一括で売却することを提案した。
誰も欲張ることをせず、話し合いは比較的スムーズに進んだ。
相続問題で兄弟が激しく争うことも珍しいと聞くので、みんなが納得して円満に話し合いがまとまったので妻もひとまず安心したようだ。
ただ不動産の名義が義父ではなく義母になっているため、実際の相続が発生するのは義母が亡くなった時、その時不動産の価格がどうなっているかで売却の行方も変わってくるかもしれない。

話し合いが終わり我が家に戻った夜、ラグビー日本代表の激闘を見た。
予選プール最終戦となるアルゼンチンとの試合。
両チーム2勝1敗で並び、勝った方が決勝トーナメントに進出できる重要な一戦である。
試合開始直後にトライを決められた日本代表だったが、前半16分、ファガタヴァの個人技で見事なトライを返し、一進一退の展開が続く。
前半を終了して、14対15。
どちらのチームに勝利の女神が微笑むか全くわからない展開だった。
日本代表は2大会連続の予選突破なるか?
私もテレビの前で手に汗握って観戦していた。
後半に入り、アルゼンチン選手にミスが目立ち始める。
これは行けるかもと思った瞬間、アルゼンチンの瞬足マテオ・カレラスに後半6分鮮やかなトライを決められてしまう。
日本も松田のペナルティゴール、レベキのドロップゴールで追いすがるが、あと一歩のところで再びアルゼンチンにトライを許し、後半28分、マテオ・カレラスにこの日3本目のトライを許して突き放されてしまった。
終わってみれば、27対39。
アルゼンチンのスピードが日本を上回った。
終始アルゼンチンがリードして日本が追いすがるという展開で、アルゼンチンの弱点であるメンタルや組織力のほころびをつくことができなかった。
惜しくも敗れた日本代表は残念ながら決勝トーナメント進出とはならなかったが、格上チームを相手に堂々と渡り合い、前回大会のベスト8がまぐれでないことを証明してみせた。
私は普段ラグビーを見ることはないが、4年に一度のワールドカップだけはその息を呑むど迫力のプレーに魅了されている。
ラグビーは、国籍のルールが緩やかで日本代表とは言ってもいろんな出身国の選手が一緒にプレーしているのも魅力だ。
カリブ海の島国出身選手たちが野球のメジャーリーグを支えているように、ラグビーでは南太平洋の小さな島国出身の選手たちが各国代表に入ってパワーの源となっている。
私は14日から南太平洋への旅行に出発する予定だが、現地でもラグビー選手のような大男たちに会えるのだろうか。
そんな世界の大男たちと伍して戦っている日本代表の選手たちに改めてお疲れ様と言葉をかけたい思いである。