今月亡くなった義父の葬儀には、4人の子供と配偶者、そして孫たちも集まってきた。
義父母の間には2人の息子と2人の娘がいて、私の妻は一番上の長女である。
我が家には3人の息子がいるが、長男の家には息子が1人、次男の家には息子が2人、そして末っ子の次女の家には4人の息子がいる。
よくもよくも10人も孫ができて全員が男の子というのも珍しい。

義父の葬儀は8月9日、長崎の原爆記念日に行われた。
強い反戦意識を持っていた義父にふさわしい日取りになったと思う。
学生時代には左翼運動にのめり込んだ義父はいろんなことに強いこだわりを持っていた人で、自分の葬儀には僧侶は呼ばず無宗教でやりたいと生前息子たちに求めていたらしい。
葬儀は家族葬として通夜は行わず告別式のみということは兄弟の話し合いで決まった。
義父の言いつけ通り無宗教の形式で、祭壇を花で飾り、焼香の代わりに一人一人が献花を行なう簡素な式となった。
今も合唱サークルで活動している次男がピアノでベートーベンの「月光」を演奏し、続いて長男のお嫁さんもピアノを弾いて故人に別れを告げた。
ひ孫世代で唯一式に参列したのは、私の三男の家に去年生まれたばかりの男の子で、静かな式の合間にときどき幼児の叫び声が響き、時折家族葬らしい間の抜けた空気も流れた。

葬儀には7人の孫が参列した。
前日に妻の実家を訪ねると、玄関が大量の靴で埋め尽くされていた。
しかも男性ものの靴ばかり、いかにもむさ苦しい。
もしも孫に女の子が多かったら、きっと小さくて綺麗な靴が並び、ずっと華やいだ雰囲気だっただろう。

そして、告別式の会場で全員が顔を揃えた時も、黒い喪服を着た男たちがずらりと並ぶとなんだかヤクザの集会のようで、ちょっとヤバい光景に見える。
一人一人はみんないい子たちなのだが、黒服の集団になると急に怖く見えるのも不思議なものだ。
そんな光景を眺めながら、義父もおそらく女の孫が欲しかったんだろうなと想像した。

告別式の式場には、生前、俳句を愛好した義父が詠んだ歌が飾られていた。
『寂しさを 未来へとばせ 秋の風』
辞世の句というわけではないらしいが、翌8日は立秋、なんとなくこの日の葬儀にピッタリな歌だと思った。
義父はどんな時に、何を思ってこの歌を詠んだのだろう?
人間としては、決して好きなタイプというわけではなかった。
でも、若かりし日の未熟な私が、大切な娘を振り回してアフリカ旅行に連れ出した時も、内緒で同棲を始め妊娠させてしまった時も、義父は私を責めることはなかった。
最終的に結婚に反対することもなくすんなりと認めてくれた義父。
自分なりの価値判断に従って私を受け入れてくれた義父に感謝しつつ、冥福を祈りたいと思う。