<吉祥寺残日録>岡山二拠点生活🍇 年老いた親たちを順番に巡ったせいか、自分が認知症になった夢を見た #230304

昨日は母の90歳の誕生日だった。

父が亡くなってからは、いつもは一人で誕生日を迎えていた母だったが、今年は母の誕生日に合わせて帰省し一緒にお祝いをすることにした。

小さなバースデーケーキを買い、「9」と「0」のロウソクも添えてもらった。

弟夫婦から届いたブーケと私たちが古民家のまわりで摘んだ白梅と椿、母が好きな花々でマンションは賑やかになった。

卒寿のお祝いを何にするか、ずっと前から母にリクエストを尋ねていたが何も欲しいものはないと言うので、現金であげることにした。

最近銀行がピン札に交換してくれなくなってお祝いをあげる時に困ると以前愚痴っていたのを思い出して、ピン札で10万円を東京で用意し弟と連名で卒寿のお祝いとする。

夕方からは母を連れて妻と3人で岡山市内の寿司屋へ食事に出かけた。

いつもは行かない「おまかせ」だけのちょっと高級なお寿司屋さん。

おつまみが少量ずついろいろ出てくるので、母は自分でも驚くほどたくさん食べた。

さすがに、最後の方はお腹いっぱいになったようで食べきれず、私が代わりに母のお寿司もつまんでいたが、私の方もお腹いっぱいになってきて、大将に母の分をストップしてもらった。

でも元気なうちにこうして一緒に誕生日をお祝いできたのは息子として幸せな時間だった。

母のマンションに行く前に、妻の両親が入所する老人ホームにも行ってみた。

あらかじめ面会の予約を取り、玄関のガラス越しでの対面である。

以前お見舞いに来た時には義父の体調が思わしくなく義母だけが玄関まで出てきたが、昨日は義父も車椅子に乗ってやってきた。

思いのほか元気そうで顔色も良く、WBCの大谷翔平の話などをしていた。

読書家でベッドでも片時も本を手放さなかった義父だが、どうやらもう本を読む元気はなくなったようで、テレビを見て過ごすことが多くなったようだ。

義父は少し妄想の症状が出てきたらしく、パナソニックに勤める長男が立派な研究をしたんだと言って嬉しそうに話してくれた。

隣で義母が「最近ちょっとおかしなことを言うんじゃ」と補足する。

義母の方はすこぶる元気そうで、自宅にいた時よりもずっと会話がスムーズになった。

以前は自分で睡眠薬を服用することが多く、入所後は薬の管理がしっかりしたのでそれがよかったんだろうと妻は分析している。

15分の面会時間だったが、最後の方は義父は疲れたらしくほとんど話さなくなった。

面会を終えて部屋に戻る2人を見送る。

自宅よりも部屋の中が暖かくトイレも室内にあるため、どうやらこの施設が気に入ったらしく、少し安心した。

夕方、伯母が入所しているグループホームから電話がかかってきた。

コロナのためにずっと面会できない状態が続いていたが、今月6日から予約制で面会が可能になるという連絡だった。

ここにきてコロナ患者の数も激減し、政府のルール見直しも進んでいる。

高齢者が集まる介護施設はそれでもなお慎重な対応が求められるが、徐々にではあるが日常が戻りつつあるようだ。

来週、母を誘って伯母に会いに行こうと思う。

認知症の方はそれほど悪化してはいないようだが、足腰が弱くなり、介助なしでは日常生活が送れなくなっているという。

数日前、大好きだったお饅頭と写真を差し入れたばかりだが、何か手土産を持って伯母に会いに行くつもりだ。

こうして年老いた親たちを順番に回っていたせいだろう。

昨夜、変な夢を見た。

私はまだテレビ局で働いていて、報道局の長老的な立場で若いスタッフが慌ただしく準備に走り回るのを眺めている。

夕方のニュース時間が迫っていた。

あるニュースの処理をめぐって私が現場に口を出す。

映像がないニュースだったので、若い記者が安易な編集をするのが気になったようで、私は部長に声をかけ手練の編集マンを私が手配すると伝える。

そして戦場のような編集室に行って知り合いの編集マンを捕まえて、あのニュースは処理が難しいから若い記者を手伝ってやってくれと指示した。

ここまでは、まあよかったのだが、私は別の仕事をしていた編集マンにも声をかけ半ば同じことを依頼するのだ。

その編集マンは別の仕事を別の仕事中だったので躊躇っていると、私は彼の上司に話をつけて無理やり手伝わせることにする。

しぶしぶやりかけの仕事を離れ若い記者の手伝いに行ってみると、そこにはすでにもう一人の編集マンがいて作業しているではないか。

2人目の編集マンはすごくショックを受けたらしく、私に怒るのではなくものすごく落ち込んで精神に異常をきたしてしまう。

その様子を見て、私は自己嫌悪に陥り、「ああ自分も認知症になってしまった、もう引退しなきゃ」と思うのだ。

あの夢って、一体なんだったのだろう?

さすがにこれほどひどい命令はしたことがないと思うが、生放送に長く携わっていると、事前に様々なリスクを想定し対処することが習慣になる。

だから編集長時代やプロデューサー時代に様々な人たちにあれこれ指示をすることもあった。

朝令暮改も日常茶飯で、周囲の人から見れば随分私に振り回されたと感じたこともあっただろう。

だから気力、体力が衰えてくると、できるだけ早くテレビの仕事からは身を引こうと考えたのだ。

65歳になり、もしもあのままテレビ局に残っていたとしても今月で会社から離れることになっただろう。

変な夢で目が覚めて、改めて周囲に多大な迷惑をかける前に自ら辞めてよかったとじみじみ感じた。

今では誰でも希望すれば65歳まで会社が面倒をみなければならなくなった。

これを70歳まで延長しようという動きもある。

でも、高齢化に合わせて勤労年齢をどんどん引き上げていくと、半ば認知症のような労働者が増えていくのではないか。

若い人たちから見れば、まさしく「老害」そのものだろう。

「高齢者の集団自決」という発言が炎上し、激しいバッシングに晒された成田悠輔さんの例をはじめとして、ここにきて日本でも世代間対立が激化しているように感じる。

児童手当の所得制限撤廃をめぐっても高齢者の多くが否定的で、それが子育て世代の反発を生んでいる。

自分が子育てが終わると人は子育てに関心を失うせいなのか、それとも自分たちは国の支援を受けずに子育てをしてきたという自負なのか、なぜ私世代の多くが所得制限の撤廃に反対するのか私にはよくわからない。

問題なのは高齢者が手厚い支援に守られていてそれが「既得権」になってしまっていることだ。

介護保険制度ができたおかげで、介護の負担は大きく軽減された。

老人ホームのスタッフの皆さんには本当に頭が上がらないと私は思うのだが、中には自分の親が誤嚥で亡くなったのは施設のせいだと訴訟を起こす人もいるらしい。

施設の責任を認めて賠償を命じたという裁判のニュースを最近聞いたが、ちょっと嫌な気がした。

年寄りはちょっとしたことで死ぬ。

それは昔から普通にあったことではないか。

もちろんその施設がひどいところだったのかもしれないが、こんな判決が続くと、誰も年寄りの面倒などみてくれなくなってしまう。

高齢者介護と同じように、共稼ぎが当たり前になった現代社会で、子育ての責任を親だけに求めることもやはり限界がある。

私たち高齢者はすでに手厚い支援を受けられる制度ができているので、今後は遅れている子育て支援を拡充していくべきだろう。

お年寄りと子供は社会全体で面倒をみる、そんなことが当たり前になったらみんなが生きやすくなるのに、とそうした動きに反対する年寄りが多いことに私は怒りを感じてしまうのだ。

人は誰でも老いる。

老いれば、それまで普通にできていたことができなくなる。

周囲にも迷惑をかけるようになる。

でもそれは仕方がないことだ。

せいぜい自分の老いを客観的に認識し、適度なタイミングで身を引くことが大切なのだ。

自分の権利ばかり主張して、若い人の権利には目を向けない、そんな年寄りだけにはなりたくないと前期高齢者となった私は今感じている。

<吉祥寺残日録>140年ぶりの「ほぼ皆既月食」を見た夜、変な夢を見た #211120

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