昨日、実父の十七回忌法要を岡山で催した。
父が亡くなったのは2007年の12月。
父にとって初めてのひ孫が生まれる直前だった。

過去の法事はお寺で行うことが多かったのだが、母も90歳と高齢になったこともあり、十七回忌は母のマンションの近くにあるセレモニーホールを借りることにした。
ここは父の葬儀も行った思い出の場所でもあり、式の準備は全て施設の方で行ってもらえるため、おそらく最後になるであろう法要を行うのに最適だと考えた。
何事も団体行動が好きな弟の一家は、弟夫婦と3人の子供、さらに2人の孫も勢揃いで参列した。
三連休初日の3日に京都に全員集合して、1日京都で遊んでからの岡山入りという。
家族全員ものすごい荷物を抱え、麻雀セットも買い込んで私たちが管理する古民家に4日の昼ごろやってきた。
礼服などは式場には直接送ったというので、どうしてこんなに多くの荷物が必要なのだろうといささか驚かされる。
一方うちの家族は、来年高校受験を控える一番上の孫と長男は最初から欠席、直前になって末っ子がインフルエンザにかかった次男家族も急遽来れなくなってしまった。
法事などというものは、来たい人だけ来ればいいというのが私の考え方なので、同じ父から生まれた兄弟とはいえ、それぞれの考え方が家族の行動に表れるものである。
それでも法事に参列したのは、母を筆頭に総勢16人。
2歳以下の幼児も3人いて、とても賑やかな法事となった。
大勢の子孫を見守る父の遺影が、いつも以上に微笑んでいるように見えた。

この法事の準備もあって、私は今月1日に岡山に入り、お墓まわりの草をきれいに刈っておいた。
3日に遅れて妻が長男の家の孫娘を連れて新幹線でやってきた。
肉好きな孫娘のために、この日のランチはお気に入りの洋食屋に連れていく。
その後は、カボチャや柿を収穫したり、イチゴの苗を植えつけたりして初めての田舎暮らしを体験してもらう。

こうして楽しく1日目が終わったのだが、この日の夜中、孫娘が激しく咳込み始めた。
秋の花粉症なのか、古民家の何かに反応したアレルギーなのか、それとも単なる長旅の疲れなのか。
2日目は家でトランプなどをして静かに過ごしてもらった。

でも、静かだったのはここまで。
4日の昼過ぎに弟一家がタクシー2台でやってくると、一気に古民家は賑やかになった。
土間に用意した仮設のテーブルを囲み、みんなでテイクアウトの寿司をつまむ。
少し遅れて長男の奥さんも到着、食事を済ませるとみんなで畑に行きサツマイモ掘りである。

ブドウ畑を倒した後の畑に試し植えをしたサツマイモ。
心配した通り、粘土質の土は固く、素手ではもちろんスコップを使ってもなかなか掘り返せない。
荒地に強いとされるサツマイモでもなかなか根が張れなかったとみえて、予想したよりも収穫は芳しくない。
それでも中には大きく育った芋もあり、もうすぐ3歳になる弟の家の孫娘に持たせると身長の3分の1ほどのものもあった。
普段運動不足の弟たちは畑で悪戦苦労。
それはそれで楽しい芋掘り大会となった。
みんなが疲れた様子なので、芋掘りは途中でやめ、お墓参り。

お墓から戻ると、うちの三男夫婦も1歳になった孫を連れてレンタカーで到着していた。
2歳、1歳、0歳。
3人の幼児たちの初対面があまりに微笑ましく、みんなで大笑いしながらそれぞれの様子を眺める。
ただ、この家に全員で泊まるのはさすがに無理なので、この日はなかなか岡山に来ることがない弟一家に古民家を譲り、私たちの家族は岡山市内のホテルを予約した。

夕食は、ホテル近くにある人気のイタリアンレストラン。
次男の一家が急に来れなくなったため、孫は小学6年生の女の子と1歳の男の子の二人。
孫娘はもう大人ほどの身長になっているので、みんなコース料理を頼むことにした。
1歳の孫はさすがに途中で飽きてしまったが、それでもしっかり食べて途中退席することなく2時間のディナーに最後まで参加した。
美味しい食事の最後は、お店に依頼していたバースデーのスペシャルデザートが登場した。
長男のお嫁さんと三男のお嫁さんが揃って11月生まれで、みんなが揃う珍しい席なのちょっとしたサプライズの演出を用意したのだ。
我が家はこうしてオシャレなディナーを楽しんだが、弟一家は深夜まで麻雀をして過ごした後、みんなで雑魚寝したと聞いた。

こうして迎えた十七回忌の当日。
昼前に私が母をマンションに迎えに行って、ランチの会場に連れていく。
5日のランチは焼肉。
父がまだ生きている頃、私や弟の家族が遊びに行くたびによく連れて行ってもらった焼肉屋がまだ残っていた。
息子たちもみんなこの店には思い出があり、今でも岡山に行くとこの店で会食することが多い馴染みのお店である。
このランチは母の90歳のお祝いをしたいという弟の提案により設定されたものだが、お祝いは最初の発声だけ、後はチビたち中心の賑やかな宴会となった。
こうした事前の大騒ぎに比べると、メインイベントであるはずの父の法事は粛々と終わった。
そして、式が終わるとみんな蜘蛛の子を散らすようにバタバタとタクシーに乗り込み駅へと向かう。
出席者の大半は東京から来ていて、三連休最終日は新幹線も満席である。
予約した新幹線に乗り遅れると東京に着くのは真夜中になってしまう。
式場を去る前に0歳のひ孫を抱いてカメラに収まった母。
普段静かな一人暮らしをしているので、この日はさぞ疲れたことだろう。
とはいえ、2人の息子からこれだけたくさんの子孫ができたのだ。
子孫が集まるたびに、「お父さんが生きていればものすごく喜んだだろうに」というのが口癖だった母だが、この日はあまりの騒々しさに圧倒されたのか、その言葉も出なかった。
弟はそうした老いた母の様子をどのように見ただろう?
まだ現役で働いている弟もようやく老後のことを考え始めたらしく、自分たち夫婦の墓は建てずお寺に永代供養を依頼したと今回初めて聞いた。
私たち夫婦もすでに自分たちの死後のことをかなり具体的に考えているので、そろそろ母の介護やその後のことを弟たちとしっかり話せる環境が整いつつあるように感じる。
東京に戻ったら、母の介護サポートについて相談しようと声をかけ東京に戻る弟を見送った。
父の二十五回忌をやることはもうないだろうと思いながら・・・。