昨夜遅く、岡山から吉祥寺に戻ってきた。
吉祥寺と岡山を行ったりきたりする生活にもだいぶ慣れてきている。

7月1日に岡山に行き、昨日18日までの18日間。
その間に、伯母の転院と義父の入院をこなし、さらに今週義母も入院することが決まった。
妻はいろいろバタバタだったが、私はどちらかといえば暇で、出来上がった作物を日々収穫する“実りの夏”を楽しんだ。

この季節、作物だけでなく雑草も一年で最も活発に成長する。
耕作放棄地になっている一番離れた畑の草刈りに行った時、隣の畑との境界線の斜面をつる草がびっしり覆っていて驚いた。
植物識別アプリで調べると「タイワンクズ」と表示され、葛餅の材料となるクズの一種のようである。
夏になるとこうしたつる草がものすごい勢いで成長し、先住の雑草たちを覆い隠していく。

雑草を駆逐するだけなら問題はないが、厄介なことにこの畑の奥に植えられているクリやユズの木もすっかりつる草に覆われていた。
つる草は高い木のてっぺんまで達し、クリやユズの実を育てる日光を遮断している。

クリの木に絡みついたこのつる草。
図々しくも花まで咲かせている。
つる草の大きな葉の間から細長いクリの葉がなんとか確認できるものの、こんな状態で生きていけるのだろうか?
植物の世界の生存競争も半端なく厳しそうだ。

そんなちょっと余裕のあった7月。
午後の空き時間を利用して牛窓まで車を走らせた。
古くから瀬戸内の良港として多くの旅人たちが潮待ちをした港だが、近頃は「日本のエーゲ海」として風車やオリーブのある風景で知られる観光地になっている。

目的は海水浴の下見。
8月に中学生の孫が遊びに来る予定なので、もしも海に行きたいと言ったらどこの海水浴場がいいか最寄りのビーチを視察しているのだ。
牛窓海水浴場は岡山でも指折りの人気のビーチだが、今年もコロナのために3年連続で海の家などは開設されず訪れる人もほとんどいなかった。
砂浜にはゴミが打ち上げられていてお世辞にも美しいとは言えないが、沖合には瀬戸内海の島々が浮かび、ロケーションとしては悪くない。

7月初めに岡山に来た頃には晴れの猛暑日が続いたが、その後は戻り梅雨で雨の日が多く、結局海に入ることもないまま下見だけで終わった。
8月の帰省ではぜひ瀬戸内海での海水浴に挑戦したいと思っている。

遊びということでいうと、岡山で初めてゴルフ練習場にも行ってみた。
以前使っていた古いゴルフセットを岡山に送ったので、庭でアプローチの練習もできるようになった。
今の季節は蚊が多くて結局一度も庭では遊ばなかったが、秋になって時間があれば岡山のコースも回ってみたいと思っている。
こうして親の介護や農作業だけでなく、遊びに時間を使う余裕も少しずつできてきた。

そろそろ遊ぶ余裕ができてきた中で、少し早い夏休みを取って三男夫婦が遊びにやってきた。
岡山で2泊するというので、エダマメやトウモロコシ、トマトの収穫を手伝ってもらったのだが、彼らには岡山でやりたいことがあったらしい。

それは古民家の壁に漆喰を塗ること。
どうして急にそんなことをやりたいと思ったのかはわからないが、収穫したばかりの野菜で昼ごはんを済ませるとホームセンターに材料を買いに出かけた。
二人とも左官仕事の経験はなく、そもそも何が必要なのか、どのくらいの量が必要なのか、売り場に着いてからスマホで一生懸命調べている。
初心者にも簡単な最初から水で溶いてあってただ塗るだけの漆喰を探したが、この店には置いてないようで、仕方なく粉の漆喰4キロを買うことにする。

左官鏝やバケツ、養生テープなど必要そうなものも調べて購入すると、全部で8000円ほどの買い物になった。
遊びとはいえ、道具から買い揃えると思いのほか高くつく。

家に戻ると、早速漆喰を水に溶く作業が始まった。
私は見ているだけなので楽だが、これが結構骨の折れる作業のようだ。

一度に粉を入れると固まってしまうので、バケツに少量の漆喰を入れ、少しずつ水を混ぜて木の棒で捏ねていく。
その際に粉が舞い上がるのでマスクをつけ、うちにあったゴーグルや軍手も貸してやって、汗だくになりながら漆喰を練りあげる。

しばらく練っていくと次第にそれらしく滑らかになり、三男は「とりあえずこれで」と言ってバケツを持って試し塗りに向かう。
私も含め、誰も漆喰を塗ったことがないので、どのくらいの硬さにすればいいのか正解がわからない。

初めて漆喰を塗る場所として選んだのは、母家と裏の建て増し部分をつなぐ壁。
昔は漆喰が塗ってあったのかもしれないが、今は触るとザラザラしていて砂壁のようになっている。

二人で代わる代わる左官の真似事をするが、どうもイメージ通りにはうまく塗れないらしい。
最初のうちは水が足りず硬すぎたためか、漆喰の伸びが悪く分厚く凸凹とした壁になってしまった。
それでも試行錯誤を続けていくと、次第に鏝さばきも慣れてきて、大小の鏝を組み合わせて1時間半ほどかけてようやく壁一面塗り終わった。

三男夫婦が初めて挑戦した漆喰の壁。
遠目から見れば、確かに色は白くはなった。

でも、近くから見るとご覧の通り。
いかにも素人が塗ったことがわかる仕上がりで、プロの左官さんがいかにうまいかが逆によくわかる。
それでもこれはこれで個性的であり、この場所はこれで問題はない。
むしろこうして家族の一人一人がこの家と親しんでくれれば、将来少しずつ愛着も湧いてくるというものだろう。
今回は私は一切手を出さなかったが、見ていて自分でもやってみたくなった。
汚れた壁はいくらでもあるので、せいぜい腕を磨いて玄関の壁を塗れるぐらいの実力を身につけたいものである。

若い夫婦はとても仲が良く、もうすぐ生まれる子供の話をしながら楽しい時間を過ごした。

ランチの後は二人の希望で神社を訪ねた。
二人が結婚式を挙げた愛宕神社で御朱印帳をもらったことから、訪れた県ごとにどこかの神社にお参りして御朱印を集めているのだという。
「どこの神社でもいい」というので、母のマンションから近い「大元宗忠神社」を訪ねる。

ここは江戸時代に生まれた神道の一派「黒住教」の教祖である黒住宗忠が生まれた場所に建立された黒住教の中心的な神社だ。
全国的にはマイナーだが岡山には黒住教の家は結構多く、その意味では図らずも岡山的な神社を選んだと言えなくもない。

2日間バタバタと動き回った三男夫婦は次の目的地・小豆島へと旅立った。
私が先祖から受け継いだこの岡山の土地。
あと15年ぐらいは私たち夫婦がここで遊ばせてもらうつもりだが、その後を引き継ぐ子孫が現れるだろうか?
誰も継ぐものがなければ、私の代で処分することも考えなければならないが、これからの時代、農業が見直される気配もないわけではない。
都会で暮らす子や孫たちが岡山に来て自然と接し楽しい思い出を作ることができれば、自ずと後継者が生まれる可能性も高まるだろう。
会社を辞めた後、先祖から受け継いだこの土地が私を癒してくれたように、できれば子供たちにも別の人生を残しておいてあげたい。
東京から離れてはいるが、伯母が守ってくれた岡山の家と土地は我が家にとって貴重な「宝」になりうると最近思うようになっている。