ゴールデンウィーク2日目、昨日とは打って変わって快晴の1日だ。
早いもので妻の不眠症に悩まされた4月も今日で最後である。

昨夜は多少寝られたようで、妻が買い物に行きたいと言うので付き合って街に出た。
すごい人出だった。
今日は最高気温が20度ほどで爽やかな風が吹いている。
コロナ前の吉祥寺はこんな感じだっただろうかと思うほどの人混みをかけ分けながら、妻のお目当ての店にたどり着いた。

フランスの子供服専門店「プチバトー」。
妻がパリで三男を出産した時に愛用していたブランドショップが吉祥寺にもある。
パリで生まれた三男の家に秋には待望の赤ちゃんが生まれるということで、今度三男夫婦と会う時に何かプレゼントを渡したいと品定めにきたのだ。
私たちにとっては6人目の孫だが、何人に増えようがおばあちゃんには孫が一番の関心事なのだろう。
少し睡眠が取れるだけで、いつもの妻が蘇ってくる。
さて、養老孟司さんの著書「養老訓」から、シニアの生き方を学ぶ2回目を書きたい。
「養老訓」は全部で9つの訓からなっている。
- 訓の壱 不機嫌なじいさんにならない
- 訓の弍 感覚的に生きる
- 訓の参 夫婦は向かい合わないほうがいい
- 訓の四 面白がって生きる
- 訓の五 一本足で立たない
- 訓の六 こんな年寄りにはならないように
- 訓の七 年金を考えない
- 訓の八 決まりごとに束縛されない
- 訓の九 人生は点線である
いろいろと役立つアドバイスが書かれているが、この中から覚えておきたい部分を引用させていただこうと思う。

「何でもあり」は結構なこと
『訓の五 一本足で立たない』の章は、仕事に対する養老先生の考え方が凝縮していて、定年後の生き方を考えるうえで参考になる言葉が多い。
その章は『「何でもあり」は結構なこと』という小見出しから始まっている。
一日10分でいいから自然のものを見るといいですよ。
私はこれまでいろいろなところでそうお話ししてきました。それが頭を硬直化させないためには一番いい方法だからです。ここでいう自然のものとは、人間の手が加わっていないものです。
外に出ていたら日光がどんどん変わっていく。今まで日が当たっていたところが影になる。気温も変わる。風向きも変わる。匂いも変わってくる。自然に接していれば知らず知らずに感覚を使います。
(中略)
自然に出れば、その多様性がよくわかります。言葉では「同じ」とされている虫もみんな違います。花でも木でもみんな違いがあります。いわば「何でもありの世界」なのです。
近頃は「何でもあり」という言葉は悪口のように使われます。「それじゃ何でもありじゃないですか」というのは何か非常に筋の通らないことをしている人に対して発せられます。
でも、私はそういう物言いを聞くと「どうして何でもありじゃ、いけねぇんだよ」と思ってしまうのです。自然にはこちらの想像をはるかに超えた多様性があります。「何でもあり」です。そしてその多様性を感覚的に捉えられることこそが、頭を柔らかくする秘訣なのです。
養老孟司著「養老訓」より
とても私には良くわかる。
会社を辞めてからの2年間、私は井の頭公園の植物や岡山の雑草と接しながら、自然をしみじみと観察した。
とても新鮮で、全く退屈することがない。
この経験は、社会人生活とは全く異質なものであり、シニアとして生きるうえでの時間の使い方やある種の自信を与えてくれたように感じる。
そして養老先生は、仕事や定年後の生き方についても書いている。
仕事は「預かりもの」
「訓の五」の中に、『仕事は「預かりもの」』という項目がある。
「自分に能力があるから、会社の業績を伸ばせた。だから自分が偉くなるのは当然だ」というような「自分」が先にくる能力主義、業績主義の考え方が近頃横行しすぎているが、仕事というのは本来、世の中からの「預かりもの」だというのだ。
仕事というのは世の中からの「預かりもの」です。歩いていたら道に穴が空いていた。危ないから埋める。たまたま自分が出くわした穴、それを埋めることが仕事なのです。
天皇陛下の仕事は「預かりもの」の代表例です。あんなに大変な仕事はありません。自分で選ぶこともできなければ抜けることもできません。オフもありません。「今週末は天皇を休業します」とはいかないのです。(中略)
もちろん、自分の人生のすべてが「世のため、人のため」では大変です。どこかで自分のため、という生活がないといけません。天皇家が代々、自然を研究する仕事をしているのは象徴的です。人間社会の決まりごとの極みのような仕事をされているからこそ、一方で自然と接してバランスを取っているのです。
小林秀雄は『本居宣長』でこのバランスについて書いています。本居宣長の表向きの仕事は、「伊勢松坂の医者」です。決して医者としては出すぎず、きちんと働く。それで「世の中に対する仕事」をつとめているいるのです。
そのことと彼自身の人生はまた別にありました。それが国学の研究です。本居邸二階にあった「鈴屋」の四畳半にあがったら、そこには個人としての本居宣長の世界があったのです。本業にかかわらない以上は、どんなに研究してもかまいません。
養老孟司著「養老訓」より
「仕事」と「自分の人生」は別物という考え方は、シニアの生き方を考えるうえで重要なポイントだろう。
そのうえで・・・
「自分のために生き」ない
「年を取ってリタイアしたから、好きなことだけやってこれからは自分のために生きる」というような言い方があります。しかしそう簡単な話ではありません。もともとバランスをとって生きるということは、自分のために働くことと社会のために働くこととを両輪で回していくということです。「リタイアして好きなことを」というのは片一方を消すということでしょう。
(中略)
「これからは自分のために」と年ととって考えるのが悪いことだとは言いません。しかし、それがあまりに無節操に遊ぶということだと思っていると、大間違いです。それはあまりにバランスが悪いのです。
世のため、人のためにといってどうしろというのか。何も悪の組織と戦えなどと言うつもりはありません。そんなに大げさに考えなくてもいいんです。
老人なりに世間に役に立つということはあります。老人は働き盛りの人には考えられないような知恵を持っています。
若い人がなにか危なっかしいことをしている。そんなときに「一言いう」というのも立派な老人の仕事です。「お前さん、そんなにがんばっているけれど、やっぱりいずれは死ぬんだよ」というようなことを若い人に言ってあげる。こういうことは老人が言わなくてはいけないことです。老人だからこそ説得力を持っています。これも立派な「老人文化」です。
一言いう、というと、引退したはずの政治家や、もう引退してもいいような企業のトップが、現場にあれこれ口を出すことを連想されるかもしれませんが、そうではありません。ああいう人は前面に出て若い人と張り合おうとしているからです。
こういう人にも「仕事はお預かりしたものだ」という意識がないから、張り合おうという馬鹿なことになるのです。仕事は「自分のもの」だと思っている。だからリタイアしても「俺」が前面に出るのです。
そして「みんなに必要とされているからなかなか辞められない」などと言う。しかし、あくまでもお預かりしたものなのだから、どこかで返してしまわなければいけません。
養老孟司著「養老訓」より
若い人に「一言いう」ことが老人の仕事、という養老先生の教えにはちょっと目から鱗が落ちる思いがした。
引退しない政治家や会社経営者をとても浅ましく感じる私だが、隠居の身分で「一言いう」というのは確かに重要かもしれないと思った。
私の場合、コロナ禍の最中にスパッと会社を辞めたので、ある意味うまくサラリーマン気分から抜けることができたが、普通だと送別会を不必要にたくさん開いてもらい未練がましく会社を去るケースが多い。
サラリーマン気分が抜けないと、ついつい口出ししたくなったり、誰も声をかけてくれないと急に寂しくなって鬱状態になったりする。
30年以上同じ会社に勤めていると、その惰性から逃れることはそう簡単なことではないのだ。
いつも思っていたことは、二本足、三本足で軸をいくつもおいて生きていればいいということでした。どんなに食うためのおつとめがしんどくても、私は虫を採れれば平気でした。そちらこそが自分の人生だと思っていた。
意外と世の中には一本足で立っている人が多いのです。男性の場合は特に仕事一本、という人が多い。
本当は仕事があって、家があって、趣味があって・・・となれば、少なくとも三本足になるわけです。
養老孟司著「養老訓」より
そして定年後何もやることが見つからない人には、身の回りの問題を改善するようなボランティアから始めることを養老先生は薦めている。
幸い私の場合はスムーズに隠居生活に順応できたので、今後はせいぜい旅をしながら、このブログを通して「一言いう」ネタを蓄積していきたいと思った次第だ。

訓の六 こんな年寄りにはならないように
店などで店員さんにねちねちと怒る人がいます。年寄りに限らないものの、まあ年寄りに多い。
注文を間違えた、釣りを間違えた、説明が悪い、態度が悪い・・・。
昔話のいいおじいさんみたいに、年をとったからといって誰でも温和になるなんて大間違い。内田樹さんの表現を借りれば「他責的」な人です。他人を責める傾向が強い人が増えているようです。
養老孟司著「養老訓」より
『訓の六 こんな年寄りにはならないように』という気になるタイトルの章は、こんな文章から始まる。
確かにこういうお年寄りを目にすることは少なくない。
私は若い頃からあまり人に文句を言わない性質なので、年を取っても「他責的」な老人にはならないと思っているが、「怒りボケ」という言葉もあるように脳の機能が損なわれると自分が絶対にそんな老人にはならないと断言するのも難しいかもしれない。
では、どうするか?
養老先生の教えは、なかなかふるっている。
仕方ないで片付けよう
しかしあまり気にしても仕方がないのではないでしょうか。
実はこの「仕方がない」という感覚がないのが今の人、特に都会の人です。
都会の人とは「仕方がない」を言わない人たちだと言ってもいいでしょう。町の真ん中で子どもが石に躓いて転んで、骨を折ったら、「誰がこんなところに石を置いたのだ」と言う人たちです。
山に行って子どもが石に躓いて転んでも、「注意して歩け」と怒るだけです。石に「転がるな」と怒る人はいません。
根本はここです。つまり自然の中では不測の事態が起こることが前提になっているけれど、都会は不測の事態が起こらないことが前提になっている。何ごとも考えたように進行する。ああすればこうなるということが前提となっている。世界とはそういうものだというので、少しでも想定外のことが起こると必ず文句を言う。
「仕方がないでは済まされないぞ」とすぐに言いたがるわけです。釣銭間違えられたくらいで。
みんなが都市に住むようになったということは、そういう人が増えたということです。だから今は何人かがかかわることを始めるとなると、えらく準備が大変になります。
「こういう人がいたらどうする」「ああいうことが怒ったらどうする」とあらゆることを事前に検討しないといけないような雰囲気がある。あらかじめ考えることが美徳というか、当然になっている。ああすればこうなる、こうすればああなる。それをずっと調べて、全部がうまくいくようにする。
ところが、自然相手ではそうはいきません。農業をやっている人はよくわかっているはずです。明日の天気はどうかだってこっちの予想通りにはならないし、思い通りになんかなるはずがない。考えても「仕方がない」ことの連続です。少々まずいことが起こっても、農民は「仕方がない」と言っていたのです。
(中略)
もっと今の人は「仕方がない」と考えることを身に付けるべきです。そして「仕方がない」と言うべきです。
生死に関することでも今の人は徹底的に何とかしようとします。それこそ、希望のない患者に対しても無理やりな延命処置をします。死んでも生きると言わんばかりです。
「仕方がない」と言えない社会だから、安楽死および尊厳死をめぐる様々な問題も出てくるわけです。
それをひっくり返せば、自分の思うように世界はできていると、どこかで思い込んでいるということになる。自分の思い通りになるはずだと。そこが、今の人と昔の人とでいちばん違うところではないでしょうか。
昔の人は、「世の中が思い通りになるわけねぇだろ」というところが前提だったのです。
養老孟司著「養老訓」より
この「仕方がない」という考えの大切さは、常々私も感じていたことである。
私が勤めていたテレビ局も、入社当時は大雑把でお金のことでも丼勘定だったのがある時から急にうるさくなった。
バブルが崩壊し、アメリカ式の会計方式が日本企業に持ち込まれ、四半期決算や月次決算が求められ出した頃から会社の雰囲気が大きく変わった気がする。
この頃からコンプライアンスという言葉をやたらと聞くようになり、現場至上主義だったテレビ局でも経理やコンプライアンスのセクションの発言力が強くなった。
テレビ番組の制作では不測の事態がつきものだが、それまでは「仕方がない」で収まっていたことでもすぐに始末書だの再発防止策だのの提出が求められるようになる。
従業員よりも株主の利益が優先されるような雰囲気が強まれば強まるほど、官僚的な社員が重用されるようになり会社の決算が黒字でも番組制作費が削られることが頻発した。
私は会社の中でもルーズな方だったので、こうした社内の空気には大いに戸惑った。
しかし社内がギスギスすると人間関係に綻びが生じ、組織が機能しなくなることがある。
そうした時に呼ばれて、「まあまあ」と言いながら新たな組織を立ち上げるのが私の役割だった。
人間社会には「仕方がない」を受け入れるような遊びの部分がないと息が詰まってしまう。
「仕方ない」ものは「仕方ない」で片付けようという養老先生の教えは、私にとってはまさに我が意を得たりである。

このほかにも、「下手な物知りにならない」とか、「団体行動はさける」などというアドバイスも出てくるが、すでに私が実践していることなので割愛して、最後に『訓の九 人生は点線である』の意味だけ、引用しておこうと思う。
私は最近、「人生は点線だ」と言っています。意識を考えてみれば点線だということです。誰でもしょっちゅう意識が切れているじゃないですか。夜寝るとき、昼寝するとき、必ず意識が切れます。毎日毎日無意識状態を経験しています。
死ぬということは最後に意識が切れてもう戻ってこない状態です。その戻ってこないことを、皆さん心配しておられるようです。でも、そんなことより、今まで何回切れたか考えてみたことはあるのでしょうか。その都度、そういう心配をしたのでしょうか。
「また帰ってくるかも、しれない」くらいに思っておけば、死ぬことはそんなに恐くないのです。今までと別に変わりないでしょう。心の持ち方として、寝るときと同じくらいに考えておけばいい。どうせ死ぬということは、よくわからないことなのです。
こう考えると極楽浄土とか天国といったものを設定するのは意外にずいぶん論理的なのだなと思います。そこから先、経験したことのないことは天国と地獄に分けるのが、いちばんわかりやすい。次に目が醒めるところはどこか、ということです。あれば迷信だとか、アホらしいとかいうのが今の人の代表的な考えかもしれませんが、かなり合理的な側面があると思うのです。
ほんとうに何の意識もない状態を、われわれはそもそも想像することができないわけです。ところが、そういう事態は論理的にはあるに違いないのです。だからとりあえず極楽浄土、天国というものを置いて考えることにしているのです。
死ぬということを素直に人生の一部として当然考えに入れておく。それがやっぱり自然ですから。
生きているうちに考えておくべきことは、具体的なことを決めておくということ。たとえば私で言えば膨大な虫の標本をどうするかということです。何の考えもなしに残されたら迷惑でしょうから。
養老孟司著「養老訓」より
この項目に関しては、特段の感想もない。
私はさして死ぬことが怖いと思っていないので、死ぬことを心配して宗教にすがるなどということは絶対にないからだ。
私は、自分が死ぬことも、妻が死ぬことも、ましてや親が死ぬこともすでに受け入れている。
ただ、子や孫の世代が先に死んでしまったら、それなりのショックは受けるだろうが、それとて先に心配しても仕方がない。
養老先生が言う通り、生きているうちに考えておくべきことは、具体的なこと。
私の場合には、子孫が相続しても困るであろう岡山の農地をどう処分するかというのが私の責任だと思っている。
人はそれぞれ抱えている問題が異なる。
定年後の生き方を考えるとき、まずは自分が果たすべき役割をしっかりと見据えて、そこに自分がやりたいことを足していけば、バランスの取れた隠居生活の方向性がはっきり見えてくるのではないかと、少し頭の中が整理できた思いがした。
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