今日は4月1日、新年度の始まりだ。
ということは、私が会社を辞めてから早いもので1年9ヶ月が経ったということだ。
この間、コロナ禍のために定年後予定していた海外旅行にもまったく行けなかったが、決して悪いことばかりではない。
どこにも出かけず妻と2人で家で過ごしながら、自由に自分の時間を使えるようになった。
サラリーマン時代に身に染み込んだ習慣を徐々に洗い落とし、第二の人生を生きる準備を整えることができた気がする。

最近、図書館や本屋を覗いて気づいたことは、「定年後」とか「シニアライフ」といったタイトルの本が実に多いということだ。
それだけ、会社を辞めた後、何をして生きていけばいいのか悩んでいる人が多いのだろう。
そこで、考えた。
4月を迎え私も心機一転、また新しいシリーズを始めてみようと思うのだ。
タイトルは「定年後を考える😄 」。
定年後の人生を前向きに生きる方法を考え、実践し、それをこのブログに書き残すことだ。
これまで書き連ねてきた日記自体すでに「定年後」をテーマにしたものも多いが、もしも誰か後輩に定年後のアドバイスを求められたとしても、私にはきちんと答えられるまとまった考えがまだない。
真正面から「定年後」に向き合い、これまでの自分の人生も振り返りながら、後輩たちに有益なアドバイスができるように、私なりの「定年後の生き方」「定年後に備えた準備」などについてじっくりと考えていきたいのだ。

図書館でその手の本が並んだコーナーを眺めていると、漫画家の弘兼憲史さんがいくつもの本を書いていらっしゃるのに気づいた。
「課長・島耕作」などのシリーズで有名な弘兼さんのことはもちろん知っているが、その作品はほとんど読んだことがない。
確か、弘兼さんは奥さんの柴門ふみさんとご一緒に吉祥寺近辺にお住まいだと思う。
弘兼さんは私よりも10歳ほど先輩なので、きっと参考になることが書いてあるのではと思い一冊借りてみることにした。
弘兼憲史著「弘兼流 60歳からの手ぶら人生」。
「手ぶら」という言葉が表す通り、長い間に溜め込んだ物や人間関係を整理することから始めようということが書かれている。
「はじめに」のタイトルは、「弘兼憲史、身辺整理始めました」だった。
大事なのはすべてに疑問を持つことです。
いい機会ですから「常識」という棚にしまったすべてのものを一度おろして、ひとつひとつ吟味してみませんか。そうすれば、きっとこれからの人生に必要なものと必要でないものが見えてくるはずです。
吟味するのは、物理的なものだけに限りません。本書では、「家族」「お金」「生き方」「友人」といったものまで対象になります。
整理を始めるなら、できるだけ早いほうがいいでしょう。そうすれば、それだけ長い時間を「身軽に生きる」ことができますから。
弘兼憲史「60歳からの手ぶら人生」より
それでは弘兼流の目次に沿って、私の定年後をチェックしていくことにしよう。

第1章 持ちものを捨てる
まず最初に取り上げるのは物の整理、いわゆる断捨離である。
小見出しを見ると・・・
- 60歳とは起承転結の「結」
- つまらない「見栄」や「こだわり」があるから捨てられない
- 自然の流れにはさからわない
- 実践!「持ち物を半分にしよう運動」
- スーツを捨ててオシャレを楽しむ
- 名刺と一緒にプライドも捨てる
- 本はすでに貴重な情報源ではない
- 捨てられないから保存するという労力
- テレビに振り回されない
物の整理については、私はすでにかなり実践している。
それは私自身の発案ではなく、妻に尻を叩かれて渋々処分したものが多い。
弘兼さんはまず映画を録画したVTRの処分から始めたそうだが、私の場合、そんなものはCDやDVDも含めて随分前に捨ててしまった。
蔵書も同じ、まだわずかに残っているが、図書館を自分の本棚のように使うようになり、もはや若い頃のように本に執着することはまったくなくなっている。
未だに捨てられないのは写真や取材ノートだが、これも時間がある時にチェックして必要なものはデジタル化し処分していこうと思っている。
東京ではマイカーも処分した。
弘兼さんがいうところの「見栄」や「こだわり」については、この1年半で相当払拭できたと考えている。
しかし岡山との二拠点生活が始まったことで、どうしても岡山で車が必要になり、軽自動車を購入してしまった。
とはいえ、これは惰性で物を所有しているのではなく、一度リセットした上で購入を決断したもので、その意味では物の整理については及第点をもらえるだろう。

第2章 友人を減らす
私はもともと人と群れるのが好きな方ではないので、こちらも順調。
退職後、会社の人間とはほとんど会っていない。
弘兼さんの小見出しを見ると・・・
- 本当に信頼できる友が一人いればいい
- 年賀状、中元・歳暮はやめる
- 60歳からは「人は人、自分は自分」で生きる
- 人に囲まれる生活から、自分を楽しむ「孤独」の生活へ
- 頑固にならず柔軟に
- 「孤独力」を身につける
- くだらない連帯責任に巻き込まれない
- 同窓会で今の自分を確認する
- 異性とのつき合いも楽しむ
「定年後」を意識し始めた還暦前ごろから、私も徐々に人間関係の整理を始めた。
誰かを紹介すると言われても、よほど仕事にメリットがない限りは、「今、人脈を狭めている最中なので」と断るようになった。
年賀状も10年ほど前にやめたし、中元・お歳暮の類も退職を理由にやめることを相手に申し出た。
そしてこの1年半で、「自分を楽しむ孤独の生活」にもすっかり慣れたと思う。
今最も交流があるのは、大学時代の仲間たちで、時々オンラインで飲み会を催し、一方で岡山のご近所さんたちと新たな関係が生まれ始めたいる。
そうして考えると、この項目もまずまず及第点だと自分では思っている。

第3章 お金に振り回されない
定年後の生活において、やはりお金は重要である。
お金に関して、弘兼さんがつけた小見出しは・・・
- 老後不安とは、すなわちお金の不安である
- お金に振り回されず、生活をサイズダウンする
- お金を無駄に増やそうとするから損をする
- お金目的の企業はしない
- 分相応のお金がある
- 子どもや孫にお金は残さない
- 使いきって死ぬ
- 自分の葬儀代、墓の心配は必要か
- ゲーム感覚で節約生活
- 最終的にお金に困ったら役所へ
ちょっと耳が痛いのは「お金を無駄に増やそうとするから損をする」という項目だ。
退職金の大半は普通預金に預けつつも、ちょっとだけ運用してみようと考えて、私と妻と同額を元手に株などで運用しどちらが増やすかの競争をしている。
妻は好きな日本株の現物をちょこちょこ取引しているが、若干の赤字が続いているらしい。
対する私は、値動きの大きな日経平均の先物取引を行なって、コロナ禍とウクライナで大半を失った。
投資の才能がないのはわかっていたが、時間を味方につけて景気の先行きを予想しながらじっくり取引すればそこそこ利益を出せるのではないかと考えたのが大間違いだった。
ニュースの先読みはある程度当たるのだが、株価はそのようには動いてはくれなかった。
ドーンと元手が減ったがまだ残金がゼロになったわけではないので、少しずつ挽回していくつもりだ。
毎月、月末には全ての口座の残金をチェックし、妻と家計をチェックすることが習慣となった。
おかげで、我が家の家計に今のところ大きな問題はない。
退職後、コロナ禍の影響もあって食費以外の出費がほとんどなくなり、年金と家賃収入だけで十分暮らしていけるレベルまで生活をダウンサイズすることに成功したからだ。

第4章 家族から自立する
第3章までは、すでに私が実践していることがほとんどなので、ほぼ及第点をもらえる感じだったが、一番整理が難しいのはやはり家族の問題だろう。
弘兼さんはどんな小見出しを立てているのか・・・
- 「家族はひとつ」という幻想を捨てる
- 家族は理解してくれる、この思い込みが悲劇を生む
- 時には子どもに厳しく対処。自立できないのは親の責任でもある
- 定年後の男の価値はゼロ、奥さんからはそう思われている
- 適切な距離を保ち、奥さんに嫌われない
- 「奥さんと一緒に旅行」という幻想も捨てる
- 介護は家族だけではムリ。60代は介護ボランティアを
- 在宅死のすすめ。延命治療もしない
- 最期は誰に看取られたいか
家族との関係で一番よかったと思うのは、子どものことかなと思う。
「自立できないのは親の責任でもある」という弘兼さんの言葉には激しく同意する。
昔から、子どもたちには財産は残さないと申し伝えて育ててきた。
困っていれば援助はしてやるが、高校を卒業したら自分で生活できる力を養うために家を出すというのが私の唯一の教育方針だった。
今では3人の息子たちはみんな結婚し、家族円満でしっかり自立してやっている。
親たちの介護の問題はまだ当分のしかかるが、子どもや孫に大きな心配がないというのは何よりの幸せだと思う。
子育てはほとんど妻に任せっきりだったので、ただただ妻に感謝しかない。

家族との関係の中でも最も重要なのが妻との関係である。
弘兼憲史さんの奥さんは人気漫画家の柴門ふみさん。
それを踏まえて弘兼流の「奥さんに嫌われないための2つの心構え」を見てみよう。
奥さんから自立し、嫌われないために、あなたが心がけることは2つあります。
それは、「奥さんとなるべく一緒にいないこと」、「お互いの距離を保つこと」。
距離が近づき過ぎると事故が起きる確率が高まるのは、人間もクルマも同じなのです。
60歳にもなれば、子どもはすでに独立し、夫婦2人だけで暮らしている、というケースが多いと思います。
2人きりになると、今まで目に入ってこなかったお互いの存在が自然と視界に入ってくることになります。
すると、今までは気にならなかった短所やアラなどのマイナス面が急に目立ち始めたりします。
しかも、年を取ると互いに頑固になっていますから、ケンカになっても譲りません。そして、取り返しのつかない状況になってしまう。「もう2人だけなのだから、これからは一緒にいる時間を増やそう」なんて発想は、奥さんにとってはいい迷惑ですから、早いこと捨てることをおすすめします。
弘兼憲史「60歳からの手ぶら人生」より
定年後の生活を考える時、妻との関係は決定的に重要だ。
会社を辞めて家にいる時間が増えると、とにかくいつも妻の気配を感じながら生きていくことになる。
この関係が気まずいともう息が詰まってしまうだろう。
私は淡々と自分がやりたいことをやって時間を使っているが、そんな私を妻はどう思って見守っているのだろうかということが気になっている。
我が家の場合、私が鈍感力が高いのに対し、妻はとても心配性で私よりも遥かに不安定な人間だ。
子育てを終えた主婦が陥りやすい「空の巣症候群」の真っ只中に妻はいるように私には見える。
弘兼さんが提唱する「なるべく一緒にいない」「お互いの距離を保つ」という秘訣を、我が家に適用すべきなのかどうかちょっと迷ってしまう。
私よりも妻の方が一緒にいたがっているように思えるからだ。
今のところは夫婦円満の方だと思っているが、妻との関係には正解は見つけにくい。
これからもチラチラと妻の様子を横目で窺いながら、定年後の人生を生きていきたいと思っている。

第5章 身辺整理をしたその先に
こうして物や人間関係を整理したうえで、どんな定年後の人生を歩んでいくか、これこそが重要である。
弘兼さんはこんな小見出しをつけていた。
- 何はなくとも料理せよ!
- 60を過ぎたら共働きが当たり前
- 60歳以降の仕事探しは求められる場へ!
- 積極的にボランティアをする
- 旅行へ、小さな冒険へ
- ゴルフのすすめ
- 遺言状と自叙伝を書く
- オープンカレッジ、カルチャーセンターで60の手習い
- 勉強で使った脳は何も考えない時間で休ませる
- どんと来い逆境。カモン、ストレス!
定年後の生活について考えてみると、実際に会社を辞めた後の1年9ヶ月で大きく変わったことがいくつかある。
仕事とゴルフの重要性が予想したよりも低く、書くことと学ぶことの重要性が大きく増したことだ。
現役時代、会社を辞めたら好きな旅行に時間をかけると共に、何かしら自分に合った仕事を見つけ、ゴルフ場にも定期的に足を運ぶだろうと予想していた。
しかし、いわゆる「仕事」をする気は全くなくなってしまった。
私の場合、自分から仕事のオファーを断って会社を辞めたので、別の会社に勤めることは最初から考えていなかったが、フリーのプロデューサーとして人と人を繋いで新たなプロジェクトを立ち上げるような仕事を始めるのだろうなどと漠然とイメージしていたのだが、それすらもう必要ないと思い始めているのだ。
理由は明確で、自分のスケジュールを縛りたくないからである。
「仕事」には責任が伴う。
一旦やり始めたら、途中で投げ出すのは無責任であり、どうしても仕事のスケジュールに合わせて行動せざるを得なくなるので、それではせっかく手にした自由を自ら放棄することになると考えるようになったのだ。

その点、書くことと学ぶことはとてもシニアライフと相性がいい。
60年も生きて、ある程度物知りになったつもりでいても、自由になる時間を手にしてみると実は知らないことばかりであることに気づくのだ。
そして子供の頃に戻ったように、それまで知らなかったことを初めて知ることに喜びを感じるようになる。
身の回りのどんな些細なことでも、人類が歩んできた歴史でも、自然界に溢れる多種多様な不思議でも、ひとつ理解するたびに心が穏やかになっていくような気がする。
会社を辞めてから「隠居」という言葉が好きになった。
天下泰平の江戸時代、子供が一人前になると家督を譲り悠々自適の隠居生活に入ることが珍しくなく、多くの「ご隠居さん」たちが自らの心の赴くままに創作活動に従事して豊かな江戸文化を作ったという。
私もそんな良い「ご隠居さん」になることを目標に、これからも精進していきたいと考えている。