今日は朝から楽しみで仕方がなかった。
大リーグ・エンゼルスの大谷翔平、いよいよオールスターで1番投手で先発出場する。
それだけでも、91回目となるメジャーオールスターの長い歴史でも前人未到の快挙である。
メジャーリーグのスターたちが家族や恋人を伴い、最新ファッションに身を包んでレッドカーペットならぬパープルカーペットを歩いて入場する中、大谷はラフなジャケット姿で球場にやってきた。
一緒に歩いていたのは通訳の水原一平さん、いつもと変わらぬ飾らぬ様子である。

NHKのBSとテレビ朝日がオールスターゲームを中継した。
私はBSで見たのだが、アメリカンリーグのスターティングメンバーを見てちょっと感動する。
先頭バッターが大谷、そして投手も大谷なのだ。
こんなスターティングメンバーはかつて一度もなく、いかにスゴイことを大谷がやっているのかがわかる。
8時の放送開始からテレビの前にかじりつき、実際に試合が始まったのは9時15分だった。
1回表は打者大谷、ファン投票で指名打者のダントツ1位に選ばれた。
先頭バッターとして登場し、初級から積極的にバットを振った。
結局2球目を打ってセカンドゴロ。
残念ながら、オールスター初打席で初ヒットとはならなかったが、スタンドを埋めた観客からは大きな歓声が送られた。
投打の二刀流で出場する大谷は、今年のオールスターゲーム最大の注目選手なのだ。
1回裏、今度は投手大谷の登場である。
選手間の投票によって、ピッチャーとしても選出された。
ベーブ・ルースでもなし得なかったメジャーオールスター初の歴史的な快挙である。
オールスターゲームで日本人投手が先発するのは、野茂英雄以来2人目。
この日の大谷は、前日のホームランダービーのような力みは見られない。
力で押さえ込もうとはせず、変化球を多用しながらナショナルリーグを代表する3人のバッターを三者凡退に打ち取った。
それでも、3番バッターに対しては「100マイル=160キロ」の豪速球を連投するなど、その並外れたポテンシャルを見せつけた。
結局この日の大谷は、バッターとしては2打数ノーヒット、ピッチャーとしては1イニングを無失点という成績だった。
それでも、2回表アメリカンリーグが先制しその点差を守って勝利を収めたため、大谷はオールスターの勝ち投手という新たな勲章を手に入れた。
ホームランを放ちMVPに選ばれたゲレーロJr.が試合後「僕なら大谷翔平をMVPに選ぶ」と述べたように、この日の大谷はまさにメジャーの歴史に残る輝かしい足跡を残したのだ。

大谷翔平がアメリカの野球史に新たな1ページを加えたこの日、私はといえば、帰省先の岡山で妻と一緒に6時前から柿の木の剪定作業を行なっていた。
認知症の伯母を入院させる道筋がようやく見えたことで、妻も少し安心したようで、昨夜は久しぶりにゆっくり寝られたという。
隣の家や道路にはみ出しそうな枝を切除するのだが、私が高枝バサミを使って恐る恐る高所の枝を切っている脇で、妻は下に張り出した枝をバッサバサと勢いよく切っていく。

枝にはすでにかなりの数の柿の実ができているのだが、妻は文字通り問答無用で切り落としていく。
この柿は「富有柿」という種類で、あまり私の好きな柿ではないので別にいいのだが、せっかく実をつけた枝を切るのはやはりなんとなく気が引ける。

しかし、作業の途中で、目を覚ました伯母が外の道まで出てきて道路の真ん中をふらふら歩いて寄ってくるので、私たちは作業をやめて家に戻ることになった。
伯母は近頃、車などお構いなしに道路の真ん中を歩いたり、道路っ端に座り込んだりするので危なくて仕方がない。
本当はブドウの摘粒の続きもやりたかったのだが、また明日トライするしかないだろう。

大谷が2打席目も凡退したところでオールスター観戦をやめ、妻と一緒に押入れに仕舞い込まれた古い布団類の整理に取り掛かった。
押入れの中にはたくさんの布団が眠っていて好きに使っていいと言われてはいるのだが、長年使われず陽にも当てていない布団にはどうも寝る気が起こらない。

まずはすぐに使えそうな夏がけをお日様に当てることにした。
使われていない物干し台を引っ張り出して庭の真ん中にぶら下げる。
今日は朝から青空が広がり、強い夏の太陽が容赦無く布団に降り注ぐ。
これはいい。

夏用の座布団も探し出して芝生の上にゴザを広げて天日干しをする。
妻も妻も興が乗ってきたらしく、布団の山の中から夏場に使えそうな代物を探し出し、これもこれもと持ってきた。

枕や夏用の掛け布団も発見し、干した。
なんだか、ワクワクしてくる。
やはり太陽の力は偉大だ。

あっという間に、庭は布団の干し場に変わり、じめっとしていた布団類がふんわりと消毒されていくのを感じる。
まるで、洗剤のコマーシャルのような光景だ。

伯母の家での同居生活も今日ではや11日目を迎え、妻もその生活に慣れてきた。
東京とは全く違う自然と共存した暮らし。
東京でも限りなくのんびり暮らしているので比較はしにくいが、田舎の方がやることが多く、むしろ忙しく感じる。

押入れの中から昭和46年の新聞が出てきた。
布団の下に敷いてあったものだ。
今からちょうど50年前の昭和46年(1971年)、世界は激動の中にあった。
ベトナム戦争は激化し、8月にはニクソンショックを受けて日本も変動相場制に移行した。
ピンポン外交をきっかけに米中が急接近し、キッシンジャーが中国を極秘訪問、10月には台湾を追放する形で中国が国連に加盟する。
そしてお隣の韓国では朴正煕が大統領に就任して12月には国家非常事態宣言、日本では悲願だった沖縄返還に向けて日米間で歴史的な沖縄返還協定が調印された。

この新聞を発見したことで、はたと気がついた。
1971年は私の祖母が亡くなった年。
つまり伯母は50年前の7月5日にこの家で祖母を見送り、それ以来半世紀、たった一人でこの家を守ってきたのだ。
布団の押し入れに敷かれたままになっていた50年前の新聞は、タイムカプセルのように伯母の人生を私に突きつける。
今回私たちが帰省したのは奇しくも7月4日、その翌日が伯母の一人暮らし50周年の「記念日」だったのだ。
知らなかった。
でも、スゴイ。
大谷翔平に負けず劣らず、伯母の凄さを再認識させられた1日だった。