伯母が亡くなってから3週間が経った。
予期せぬタイミングでの突然の訃報に戸惑いはしたが、いずれこんな日が来ることは予想して妻ともいろいろ話し合っていたので、さほど慌てることもなく無事に葬儀を済ませることができた。

それでも、人間が一人亡くなるということはやはり大変なことである。
お葬式を済ませた後、やらなければならないことがたくさん待っているのだ。
幸いなことに、私の妻はそうした細々とした雑事を片付ける才能がある。
そんなことを言うと妻は「やりたくてやっているんじゃない」と怒るだろうが、私と違って、やらなければならないことを放置したまま遊ぶことができない真面目な性格なのだ。
おかげで、私が友人との飲み会やゴルフ、旅行などに行っている間に、妻はコツコツと雑務に取り組み、やるべき手続きを一つずつ片付けてくれたのである。
ありがとう。

私は妻に聞いた。
伯母が亡くなったのに伴ってやらなければならなかった手続きを全部教えてくれ、と。
妻は記憶を呼び覚ましながらランダムに答えたのだが、義父母や私の母のこともあるので、今後の参考に今回どのような雑事を妻がこなしたのかを聞き取ってブログに記録しておこうと思ったのだ。
まずは、葬儀や法事の関連から。
葬儀・法事関係
- お寺と葬儀場への支払い
- 香典のリスト作成
- 香典返しの手配
- 位牌の作成
- 墓石の名入れ
- 四十九日法要の準備
- 高野山への永代供養の準備
お寺の支払いは告別式の翌日、夫婦揃ってお礼に伺った際に現金で手渡し、葬儀場の方は東京に戻ってから請求書をもらい妻が振り込みを行なった。
香典をいただいた方のリストは妻にせっつかれながら私がパソコンで作成し、それをもとに妻が香典返しの手配をしてくれた。
私は香典返しに添える挨拶状の文面を考えただけで、それを印刷屋で活字にしてもらい香典返しと一緒に発送するという雑事は全て妻に任せた。
その他のことは、妻主導のもと、私も一緒に準備して現在進行中である。

家屋財産の相続関連
- 死亡届提出
- 健康保険証、介護保険証、印鑑カードを返却
- 年金事務所に郵送で手続き
- 伯母の全ての戸籍謄本を取る
- 固定資産税の手続き
- 遺言書について弁護士と相談
- 中国電力名義変更
- 水道局、浄化槽処理名義変更
- NHK、NTT名義変更
- JAバンク口座手続き
- 火災保険名義変更
- 郵便局手続き
- 私と妻の表札作成
- 町内会手続き
死亡届は葬儀屋さんが代行してくれた。
それを基にして行政の手続きが全て始まることになり、今月11日に岡山の市役所に出向き「おくやみ窓口」という部署で戸籍や保険証などの手続きを一括して行うことになった。
電気や水道、NHKの契約など岡山の家を引き継ぐための名義変更、支払い方法の変更なども妻がそれぞれ問い合わせて、必要な手続きを行なった。
私はただ、妻から「ここにサインして」と言われるたびに面倒臭そうに署名をするだけである。
相続関係では金融機関での手続きが一番面倒だと聞くが、伯母の場合、口座はJAバンクだけだったのでその点は通常よりも簡単そうだ。
こちらは相続人である私が直接連絡を取り、窓口に伺う日時などを決めた。

農地の相続関連
- 共有名義の解消
- 貸している田んぼの扱い
- 土地改良区名義変更
- 農業委員会手続き
- ぶどう畑の解体
- 納屋の片付け
伯母の場合、特殊なのは農地を相続するということである。
農地は通常の土地とは違い、固定資産税が安い代わりにさまざまな使用上の制約があり、不動産登記だけでなく地元の農業委員会への手続きなども必要となる。
これについても妻が各所に問い合わせてくれたが、依然として漠然としたところがあり、やりながら教えてもらうことになるだろう。
その前に、親戚との共有名義になっている山林や他人に貸している田んぼの扱いを今後どうするのか、関係者と話して決めなければならない。
これが結構、面倒そうである。
そのうえで、私が相続するための登記を行い、必要であれば相続税を納めなければならないだろう。
並行して、伯母が亡くなる前から業者と相談していたように、耕作放棄地となっているブドウ畑を解体したり、納屋の中の大昔の道具類を処分するなどいろいろやらないといけない雑事がある。
こちらは私の領分であり、今後管理しやすいように私が主体的に考えなければならないことだ。

今月8日には高野山に行って、永代供養について相談するつもりだ。
私も弟も子供たちも全員東京に生活の拠点を持っていて、伯母をはじめとして先祖の供養をどのようにやっていくのが良いのか考えた末に出した結論が高野山での永代供養だった。
弟も賛同してくれて、まずは現地を見て、伯母がかつて訪ねたことがあるお寺で住職にお会いする予定だ。
生前、伯母は永代供養の希望を何度も私たちに話していた。
私たちに迷惑をかけたくない気持ちもあったと思うが、実際に高野山に行った時の印象も良かったらしい。
それならば伯母の希望通り、高野山で永代供養してあげて、行ける時は時々高野山に赴いてお寺で供養させてもらうのがこちらもありがたい。
弟も「高野山行ったことがないので、ぜひ行ってみたい」と大いに乗り気で、順調に永代供養の話が進めば子供たちも誘ってみんなで高野山に行くと言っている。

親世代と私たちの世代が違うように、私たちと子供たちの世代でもその生き方や価値観がどんどん変わってくるだろう。
そうした世代間のギャップを踏まえながら、みんなが納得する供養の仕方を見つけるのは何よりも難しい作業だと感じる。
正解などない。
私は妻と相談しながら、私たち流のやり方で先祖の供養をおこなっていくつもりだ。
とりあえず目先の四十九日法要については、これまでのお寺にお願いして、伯母が長年暮らした家で、伯母が使ってきた家具を並べて、質素だが伯母の魂がこもった祭壇をこしらえてそこで住職に拝んでいただこうと思っている。
そのうえで、初盆までには高野山のお寺に永代供養をお願いし、8月には私と弟の家族全員が揃って東京で会食をし、世話になった伯母を偲びたいと思う。
岡山と東京と高野山。
そのトライアングルをうまく回しながら先祖を供養し、それを子孫に引き継いでいく。
これからも試行錯誤の連続だと思うが、その都度、妻や弟や子供たちと話し合い、我が家なりのやり方を見つけていくつもりである。
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