<吉祥寺残日録>三男の結婚式は、緊急事態宣言下で披露宴なし #210620

去年一度延期した三男の結婚式。

今日はその予定日だった。

でも生憎、またまた緊急事態宣言に引っかかってしまって、いろいろ検討した結果、披露宴をやらないことになった。

我が家の今日一日を簡単に記録しておく。

三男が結婚式を行ったのは港区の愛宕神社。

徳川家康が江戸幕府を開くにあたり、江戸の防火・防災の守り神として創建した歴史ある神社である。

朝方まで降り続いた雨もやみ、緑がしっとりと美しい。

境内には立派な池があり、飢えた錦鯉たちがたくさん泳ぎ回っていた。

久しぶりに電車に乗り、四谷からタクシーに乗り換えて神社までやってきたのだが、式まではまだ2時間もある。

新郎新婦が身支度を整える控え室の片隅を借りて、貸衣装のモーニングに着替えを行う。

ホテルなどとは違って、着替え用の部屋などはないらしい。

式までの間、境内にある茶店を借り切って親族控え室とした。

ここで初めてお嫁さんのご両親と対面する。

去年の初めから何度かご挨拶の機会を探っていたが、その都度コロナの状況が悪化して結局結婚式当日のご挨拶となってしまう。

お嫁さんサイドの参列者はご両親とお兄さんの3人だけだった。

我が家は、東京に住む長男家族4人と大阪から駆けつけた次男家族が5人、それに私と妻の合わせて11人が式に参列する。

結婚式は愛宕神社の本殿で行われる神前結婚式。

外では普段通り参拝者がお詣りしている中を通って、新郎新婦が本殿に入る。

たまたま居合わせた参拝者の皆さんにも祝福されながら結婚式が始まった。

さすが徳川家康が開いたというだけあって、本殿内のあちらこちらに「三つ葉葵」の御紋が描かれている。

斎主のほかに巫女さんが2人。

まず斎主が祝詞を奏上し、三三九度の杯、続いて三男夫婦が誓いの言葉「誓詞」を読み上げる。

神前に玉串を奉納して拝礼、私と新婦のお父様も同じように玉串を捧げた。

最後に参列者にもお神酒が配られ、両家の縁を固める。

緊急事態宣言時にお酒はどうするんだろうと思っていたが、普通に日本酒が配られた。

幼い子供たちが特段騒ぐこともなく、無事に式を終え、代わる代わる新郎新婦を囲んで記念撮影をする。

プロのカメラマンも手配していないので、今年中学生になった長男の息子がカメラマン役を務め、そのほか私も含めみんなが思い思いに写真を撮って後で交換した。

結婚式後、日比谷公園内にある松本楼に移動し、昼食を食べた。

コロナ対策として披露宴を中止したので、昼食も新婦側とは別行動である。

松本楼は明治36年(1903年)創業の老舗洋食店。

1階は予約が不可なので、部屋代を支払ってかなり広めの個室を使わせてもらった。

大きなテーブルが置かれた2階の部屋からは日比谷公園の緑がとても美しい。

大型の送風機が2台置かれていて、常に部屋の中の空気が循環しているのがわかる。

通常ならば個室利用の場合、コース料理のみだそうだが、子供がたくさんいるためか、1階のアラカルトメニューの中から好きな料理を選べるようにしてくれた。

私が選んだのは、「カレーとハヤシの二点盛り」。

松本楼の「ハイカラカレー」も悪くないが、個人的にはハヤシライスの方が美味しいと感じた。

私の世代だと松本楼といえばすぐに「10円カレー」を思い起こすが、息子たちの世代になるとそんな知識はまったく持ち合わせておらず、各々ハンバーグやオムライスなど好きなものを注文している。

デザートは5種類の中から各自好きなものを選び、私は「イチゴのシュークリーム」をチョイスした。

見た目も素敵で、子供たちにも好評だった。

松本楼で昼食を食べた後、歩いて日比谷公園内にあるパーティー会場に移動する。

「フェリーチェガーデン日比谷」。

ドイツ・バンガロー風の瀟洒な建築物が大きな樹木に囲まれてそこに残っていた。

明治43年に建設されたかつての日比谷公園事務所を結婚式場に改装した施設だそうだ。

建物の脇にある庭園に白いテントが張られ、ここがパーティー会場になっていた。

本来ならここで披露宴を行うことになっていたのだ。

テーブルウェアもとても素敵な色使いにまとめられ、新郎新婦がこの場所を選んだ理由がよくわかった。

親族の披露宴は取りやめにしたものの、親しい友人を招いたパーティーはこの場所で夕方から開くことにしている。

ただし、今日までは酒類の提供はできないことになっているという。

新郎新婦はここで洋装に着替え、たっぷりと時間をとってみんなで写真撮影を行った。

幼い子供たちにしてみれば、ダラダラと続く披露宴よりもこうして身内だけで花嫁さんと一緒に写真を撮るだけの方がずっと楽しそうだ。

場所を変え、人を変え、たくさんの写真を撮った。

新郎新婦はまるで芸能人のように、求められるたびに笑顔を作る。

コロナ禍で強行した超変則的な結婚式。

確かに普通に比べたらとてもシンプルで出席者も少なかったが、これはこれで思い出に残るいい式だった。

私は三男にコロナが収まるまで式を延期することを提案した。

でも結果的には、今日やって良かったと思っている。

二人で相談しながらコロナに対処したように、これからも様々な困難に負けず、二人でいい家庭を作ってもらいたいとただそれだけを願う。

おめでとう。

いい1日だった。

<吉祥寺残日録>三男の結婚式の延期も決まった「特別な夏」 #200807

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