<吉祥寺残日録>ウクライナ危機の最中、3回目のワクチン接種と“健ちゃん”の死 #220219

今日から二十四節気の「雨水」。

そろそろ雪から雨に変わる季節ではあるが、日本海側では大雪が続き、東京でも今夜から雨が降る予報となっている。

朝からどんより曇った土曜日、運動不足を解消するため井の頭公園をひと回りしてみた。

ほころび始めた梅の向こうに弱い太陽がぼんやりと浮かんでいる。

どうもはっきりしない寒々とした天気。

はっきりしないと言えば、ロシアの軍事侵略が懸念されるウクライナ情勢がただならぬ感じになってきた。

Embed from Getty Images

アメリカのバイデン大統領は18日、ウクライナ情勢に関する演説を行った。

この中で「ロシア軍が数日以内にウクライナを攻撃しようとしていると信じる理由がある。標的はウクライナの首都キエフだろう」とはっきり述べたのだ。

一国の大統領、しかも世界一の情報収集能力を持つアメリカのトップがわざわざ演説を行って迫り来る危機に警鐘を鳴らすというのは只事ではない。

しかも記者団の質問を受けたバイデン大統領は「現時点で彼が決断したと確信している」と語り、プーチン大統領がすでに腹を括ったと明言したのだ。

これまで、国内の支持率が低下しているバイデン政権が危機を煽っていると楽観的にいたが、どうも認識を改めなければならないようだ。

それにしても、バイデンさんが警告する通りロシア軍が首都キエフを狙っているのだとすると、プーチン大統領の意図は何なのだろう?

ウクライナをロシアの支配下に置いておきたいという気持ちは理解できるが、軍事侵攻によってウクライナを支配したとして、それによって得られる利益と国際社会から課せられる制裁、さらにウクライナ人を力で押さえつけるために要するコスト、冷静に考えればデメリットの方が大きいように感じる。

それだけプーチンさんからすれば、NATOが喉元まで迫ってくることへの恐怖があるのだろうか?

ロシア系武装勢力が支配するウクライナ東部で小競り合いやウクライナに対するサイバー攻撃が報じられ始めている。

ウクライナ東部では、すでにロシア系住民の脱出が始まっているという。

旧日本軍が行ったような謀略をきっかけに、本格的な軍事侵攻が始まる不気味な雰囲気が一気に漂い始めたのだ。

国内に目を転じると、オミクロン株による第6波はピークは越えたものの、東京では今も連日1万人を大きく超える新規感染者が出ていて、自宅療養者の数も死者数も過去最多レベルの状況が続いている。

政府は、大阪など17道府県の「まん延防止等重点措置」の延長を決定した。

この中には私の帰省先である岡山も含まれていて、東京と同じく来月6日までは行き来がしにくい状況が続くことになった。

こうした中で、私は「ブースター接種」、すなわち3回目となるワクチン接種を受けてきた。

今週木曜日のことだ。

2回目のワクチンを打ったのは去年の7月18日だったので、ちょうど7ヶ月間隔ということになる。

武蔵野市からはかなり早めに接種券が届き、予約手続きをしなければと思っている矢先にかかりつけのクリニックから「ワクチン打ちますか?」と電話をもらった。

そういう意味では、私はとてもスムーズに接種を完了することができた。

ただ、9月に2回目を打った妻にはまだ接種券が届いていない。

「まん防」が明ける3月半ばには再び岡山に帰省する計画だが、それを前に岡山から親族の訃報がもたらされた。

最初は、妻の伯母さん、義母の姉にあたるお婆さんである。

95歳、老衰だったようだ。

そのお葬式に出るために、妻の両親は二人でタクシーで出かけたらしい。

二人だけでの外出は久しぶりなので大丈夫かと心配したが、どうやら無事に出席できたという。

だが、お葬式から戻った後、二人とも疲れてしまいアクシデントが起きた。

義母がベッドの脇で倒れているのを義父が見つけたのだ。

どうにかベッドに戻そうとするが、90歳を超えている義父にはそれが大変だったらしい。

その話を聞いて妻は、やはり施設をそろそろ考えなければと弟妹と相談したが、同意は得られず逆に落ち込んでしまった。

90歳の老夫婦がいつまで自宅で暮らせるのか、その受け止め方は人それぞれである。

そんなことがあった直後、今度は私の母から電話がかかってきた。

「健ちゃん」が亡くなったという。

「健ちゃん」とは親戚のおじさんで、母とはいとこのような関係に当たる。

でも子供の頃に両親を亡くした母は「健ちゃん」たちと兄弟のように育ち、私も子供の頃、盆暮には「健ちゃん」の家に遊びに行った。

親戚の中では兄貴的な存在で、ちょっと口は悪いがとても優しく、面倒見がいい。

ところが今から仕事を辞めた10年ほど前、畑の草取りをしていて、ちょっとしたことで転び、首の神経を痛めて手足が麻痺してしまったのだ。

それ以来、「健ちゃん」は車椅子生活になり、一時は「もう早く死にたい」と絶望していた。

本当に人生は、何が起こるかわからない。

それにしても「健ちゃん」の死はあまりに突然だった。

一昨日、お腹が張って食欲がないというので、念の為お医者さんに見てもらったそうだ。

コロナの検査もしたが異常は見つからず、「食事ができないのなら一晩泊まって点滴でもしましょう」と医者に言われて病院に泊まったという。

ところが翌朝6時に奥さんに病院から電話が入り、健ちゃんが亡くなったと告げられたのだ。

その話を聞いて、私も絶句するしかなかった。

死因は今もわからないという。

納得できなくて、病院を訴える人が出てもおかしくない状況である。

ただずっと「健ちゃん」を介護してきた奥さんは、夫の死を静かに受け止めたらしい。

おそらく、この突然の死が「健ちゃん」の望みだと感じていたからだと私は受け止めた。

もし私が「健ちゃん」だったら、同じように妻に感謝しつつもある日ポックリと死ぬことを望むと思うからだ。

オリンピックに熱中している間に、スノードロップの花が咲いていた。

冬があれば、春も来る。

知人の死も、戦争の懸念も、それが世界の終わりではない。

常に希望を持って、自分の人生を一生懸命生きていくしかないのだ。

命日

コメントを残す