母の90歳の誕生日にどこか食事でもと誘うが、「特に食べたいものはない」とあまり乗り気でなかった。
最近時々外食に連れ出しても、食べる量はわずかで、大抵私が半分母の分も食べることになる。
まあ90歳ともなれば、それが普通なのだろう。
「じゃあ、俺が食べたいものでいいね」と電話で伝えて私は岡山市内にある寿司屋を調べ始めた。
大学入試のため岡山から上京した時、試験後に母と2人で食べた銀座の寿司屋のことを随分経ってからも時々口にしていたのを思い出したのだ。
母の中では人生でも数少ない高級寿司の思い出である。

3月3日、母の誕生日の夕方6時。
予約していたお寿司屋さんに、母と妻と3人で出かけた。
「寿司 元(はじめ)」。
飲み屋が多く集まる中央町にその店はあった。
私は岡山の飲み屋街とはほとんど縁がなく、母もあまり来たことのない場所のようだった。

お店は完全予約制で、料理は「おまかせ」のみという高級寿司店である。
普段行くお寿司屋さんとは店の雰囲気がやはり違う。
カウンター席が10と個室が1つ。
開店の6時には席はほぼ埋まり、食事中何本かの電話がかかってきたが今日は満席だと大将が断っていた。

車で来ているので、残念ながらお酒は飲めず、渋々ノンアルコールビールを注文する。
すると、付き出しとして「おろし釜揚げしらす」がカウンターに置かれた。
お酒を飲まない母はお茶、妻はお水を飲みながら釜揚げしらすに箸をつける。

そうしているうちに、目の前では助手さんがお皿の上にいろいろと並べ始めた。
ガリ、ワカメ、塩、レモン、そしてワサビ。
そしてこの皿に、おつまみや寿司が次々に置かれていくのだ。
ワカメとガリの間に置かれたのは何だろうと思い尋ねてみると、「ワカメの茎」だという。
ワカメの茎の部分だけを切り出して、それを千切りにしたものらしい。
母はどうやらこのワカメの茎が気に入ったらしく「美味しい」と言って食べていたが、この皿に並べられたものはなくなるとすぐに同じ量が足される仕組みのようで、母はこの日ワカメでお腹がいっぱいになったようだ。

大将が最初の魚を皿に置いた。
ヒラメの刺身と2日寝かせたヒラメだそうだ。
醤油でも塩とレモンでもお好きな方でということなので、塩とレモンでいただいてみる。
新鮮なヒラメと2日寝かせたヒラメ、味も食感も随分違う。

続いては、真鯛。
こちらも生と寝かせたものの食べ比べだ。
店に入った際に「苦手な食材はありますか」と問われ、妻がウニとイクラと答えていたが、どうやら岡山のお店なので瀬戸内の食材が中心のようだ。

続いては、ホタルイカ。
硬い目と嘴の部分を丁寧に取ってあるので、柔らかくて食べやすい。

次は、相生の生牡蠣。
ワカメの茎とおろしと一緒にポン酢であっさりと。
大将が別室に隠れて何かしているなと思ったら・・・

出てきたのは熱々のだし巻きだった。
美しく焼き上げられた卵にはお店の名前が目の前で焼印される。
甘口でとてもボリュームのある一品、コースにしっかりとアクセントになっていたが、さすがに母には大きすぎたようで半分私にくれた。

さらに先ほどの牡蠣を焼いてものも。
醤油味で少量の一味、先ほどのポン酢とは同じ牡蠣でも随分印象が変わる。

ここで、この日最初の寿司が出た。
車海老の握り。
醤油が塗ってあるのでそのまま食べる。

続いて、ヤリイカの握り。
こちらはあらかじめ塩とレモンで味付けがされている。

こちらは、琵琶湖産の稚鮎。
実はこの前にサワラのお刺身が出たのだが写真を撮り忘れてしまった。
岡山の名物サワラは、腹の部分はそのまま刺身で、背の部分は昆布じめにしてあった。

次は、沖縄産の太もずく。
あっさりとした酢の物になっている。
驚いたのは、普段小食な母がここまで出された料理のほとんどを食べたことだ。
「今日は随分食べるな」と聞くと、「少しずついろんなものが出てくるのでついつい食べてしまう」と母は笑った。

続いては、昆布じめした鯛の握り。
茗荷がアクセントになっている。

ここで茶碗蒸し。
キノコと黄韮のあんかけがかかっているので熱々だ。

茶碗蒸しを食べている最中、大将が「ちょっと手を出してください」と言う。
手を出すと、その上に握りを一つ載せた。
富山のシラエビの握りだそうで、海苔で巻かないためそのまま皿に置くと崩れてしまうのだという。

そしてこちらがそのシラエビの頭を焼いたもの。
これまた身と頭のコントラストが鮮烈だ。

おまかせコースはまだまだ続く。
さすがに母はお腹が膨らんできたらしく、ここでギブアップし残りは全部私がいただくことになった。
こちらの握りは、マグロ赤身の漬け。

続いては中トロ。
これは妻も要らないと言うので、私は赤身2貫に続き、中トロを3貫食べることになった。
別に美味しいので構わないのだが、さすがに私もお腹が膨れてきた。

ここで青のりのお椀が出た。
これまた熱々で、実に緩急を効かせたおまかせコースになっている。
これで終わりかと思ったが、大将はまだ何かを用意していた。

次に出されたのは、鯵の握り。
母の大好物だが、もう食べられないと言うので私がまた2貫食べる。

続いて、穴子の握り。
身が異様に白く、シャリが柔らかい。
そしてシャリの量もこれまでの握りよりも少し多い気がして、母の分も合わせて2貫食べると、そろそろ私も限界に近づいてきた。
そこで、まだ何かを用意している大将に声をかけ、「母がこれ以上食べられないと言っているので、母の分はここでストップしてください」と伝える。
すると大将は、「あと一品だけなんですけどね」と済まなそうに答え、作りかけていた母の分を取り下げてくれた。

こちらが、おまかせコースの最後を飾る「イクラの醤油漬け ミニ丼」。
イクラが苦手な妻もパスしたため、私のイクラが少し多くなったようだ。
こうして全20品、怒涛のおまかせコースは終わった。
母が食べ過ぎたのではと心配したが、翌日確認したが特に問題はなく、とりあえず喜んでもらえたようだった。

おまかせコースの代金は1人1万円。
飲み物を合わせて3人で3万4000円ほどの誕生日祝いの夕食だった。
個人的には期待したほどのサプライズはなかったが、東京の寿司屋でおまかせを頼むと平気で2〜3万円は取られるので、それに比べれば良心的なお店だと感じる。
食べログ評価3.64、私の評価は3.50。
「寿司 元」 電話:086-227-3377 営業時間:18:00~ 定休日:日曜祝日