妻の不在

妻から突然電話がかかってきたのは10月2日、私が会社に着いてすぐだった。

「母が転んで足の骨を折ったらしくて、ちょっと岡山に行ってくる」

妻のお母さんが、洗濯物を干している最中に足を滑らせて転倒、右足の大腿骨を骨折したのだ。

妻の話によると、お母さんは庭の物干し場で転んだ後起き上がれないため、上半身で這って家の前の通りが見えるところまで行き、通りがかった近所の人に助けを求めたのだという。お父さんは家にいたが、いつものように食卓で調べ物をしていて外の様子は気づかなかった。

お母さんは一晩寝れば起き上がれるようになるかもしれないと言って痛み止めを飲んで自宅のベッドで寝たらしい。骨が折れているとは思わなかったのだろう。

しかし、夜中に痛みで目が覚めたらしく、やはり起き上がれないためついに救急車を呼ぶことになったらしい。

病院に着くと、大腿骨の骨折と告げられ即入院。すぐに手術となった。

腰の下からチタンの棒を体内に差し込む。もう死ぬまでこの棒は体の一部だ。

でも幸い倒れた際に頭は打っておらず、翌日からはすぐに歩行訓練が始まった。お母さんは痛みに耐えながら、リハビリを頑張っているようだ。心臓にもちょっと異常が見つかったようで、入院は少し長くなりそうだ。

むしろ妻が心配するのはお父さんの方だ。インテリだったお父さんももう米寿を迎え、さすがに衰えが目立ち始めていた。お母さんが突然入院してしまったためちょっと戸惑っているようだ。

そのため、妻はこの1週間、そんなお父さんのお世話をする体制を整えた。

週2回家事の世話をしてくれる人を見つけた。その方は、たまたまお父さんの知り合いの奥さんだったらしく、お父さんもとても喜んだという。そしてこの方、看護婦時代に画家の東郷青児に請われて絵のモデルをやった人らしい。

そんな最中、幸いなことに、介護認定が認められたという知らせが届いた。今年の夏、妻の妹夫婦が説得して要介護認定を受けるための審査を受けていたのだ。お父さんは「要介護2」、お母さんは「要介護1」と判定されて、週2回ヘルパーの方が訪問してくださることになった。

お母さんが退院するまでの間、お父さんのためにお弁当の配達も頼んで妻は一旦東京に戻ることになった。妻と交代で連休中手伝いに帰る妻の弟と妹が、そのお弁当でいいかどうか数日お父さんの様子を見て判断するそうだ。妻は四人兄弟。こういう場合には兄弟が多いのは助かる。

私もそうだが、普段家事をしない男の人は、本当に奥さんが倒れた時どうしようもない。家事の手伝いをしてくれる人が来てくれるだけでも全然違うだろう。

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私の方はといえば、この1週間、一度も洗濯をしなかった。今の洗濯機を私は触ったことがない。いざとなれば何とかするだろうが、1週間程度なら適当にやりくりができる。でももっと長期化するケースに備えて、洗濯機の使い方は妻に聞いておいた方がよさそうだ。

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さらに私の苦手なのが、ゴミの処理だ。私は昔からゴミの分別ができない。適当に分別すると必ず間違っていて、妻からは「手間が増えるからそのままにしておいて」とよく言われている。だから今回もゴミの分別にはあえて挑戦せず、なるべく調理をしないことによってゴミの発生量を減らすことにした。

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プランターの水やりもすっかり忘れていて、昨日と今日チョチョっと水を撒いておいた。この間、天気が悪かったのでこちらはさして問題はなかったようだ。

いずれにせよ、いよいよ本格的に始まった親の介護。

岡山に行く回数と単身期間は確実に増えそうである。

 

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