今日は朝から雨。
ゴロゴロと雷も鳴っていて、時折ゴゴゴゴっと激しい雷鳴も轟いて近くに雷が落ちているようだ。

そんな中、私の電話がなった。
解体業者からの電話で、キャタピラが外れ畑に残されたままになっていたユンボの修理が終わり、最後の整地もしたので確認してほしいという内容だった。
レインウェアを着て畑に行ってみると、先日来た作業員2人がいてユンボも道路に上げられていた。
これでブドウ棚の解体と不用品の撤去は全て完了、後は支払いをするだけだ。

今月の帰省は、このブドウ棚の撤去のほかに亡くなった伯母の相続手続きもあって大忙しだった。
それでも合間を縫って、いろいろな作物を育てている。
まず最初にやったのは、先月タネを蒔いた白菜やキャベツ、レタスの植え付けだ。

こちらが、白菜。
先月タネを蒔いておいた6つのポット全てが発芽し、すでに立派な苗になっていた。
赤ちゃんといえども、葉も大きくて堂々としている。

一方、こちらがキャベツ。
こちらは6つのポットのうち発芽したのは5つで、白菜と比べると華奢だがそれなりにしっかりと育っていた。
白菜もキャベツも大きくなるため、畑に専用の畝を作ってそこに移植することにした。

植え付ける場所は、先月ジャガイモを植えた一番大きな畑。
ジャガイモ畑の横の草むらを耕耘機で耕し、そこに堆肥と牛糞、そして苦土石灰を撒いてよく耕す。
こうして来月以降に植え付けを行うためのスペースを作っていくのだ。

ジャガイモはすでに発芽していた。
各畝に7〜8個の種イモを植えたのだが、芽が出たのは9割ほどだろうか。
ジャガイモの芽は日に日に成長していて、東京に戻る前には芽かきの作業もしなければならないだろう。

先月耕して堆肥などを施しておいたジャガイモの隣のスペースに白菜などを植え付ける畝を4つ立てる。
どうもこの畑は去年使っていたところに比べて粘土質で水捌けが悪そうだ。
果たして作物がうまく育つかどうかはわからないが、4つの畝に黒マルチを張って、そのうちの一つに白菜とキャベツの苗を植えることにする。

粘土質の土が気になって、苗の周囲には元あった土ではなく、種まきの時に用いた「種まき用土」で埋め戻すことにした。
これは土というよりも繊維の塊のようなふわふわのものなので、多少は水捌けを改善してくれるのではないかと思ったからだ。

一つの畝に2列に穴を開けていき、片方に白菜。

そしてもう一方にキャベツの苗を30センチ間隔で植えていく。

余ったスペースに3つの穴を開け、そこには大根のタネを蒔いておいた。
どうも大根や人参のタネとは相性が悪いので、果たして発芽してくれるかは自信がないが、もしも発芽してくれたら儲けものである。

残るは、レタス。
こちらも6つのポットにタネを蒔いていたら、それぞれのポットからいくつもの芽が出ていた。
妻がそれを見て、「これ密集し過ぎているから分けて植えたほうがいい」と言った。

白菜やキャベツに比べてレタスは栽培期間が短いようで、虫に食われる前に収穫した方がいいと思い、目が届きやすい裏庭に植えることにした。
レタスの苗をポットから取り出し、それを株ごとに分けてラディッシュを抜いた後に植えていく。
白菜やキャベツに比べてずっとひ弱で、果たして畑で育ってくれるのかちょっと心配だ。

結局、発芽している数が多かったのでラディッシュの畑だけではスペースが足りず、ほうれん草のタネを蒔いた畝にもレタスを植え付けることにした。
ほうれん草のタネはどういうわけかちっとも発芽しておらず、このまま待っていてもスペースの無駄だと判断したのだ。
全てはトライアンドエラー、タネならば安いのでいくら失敗してもダメージは少ない。
ダメだと思ったら、すぐに気持ちを切り替えて次の作物を育てればいい。

こうしてタネから育てた白菜、キャベツ、レタスの植え付けが終わった。
畝を立てるのに多少の労力は使ったが、植え付け自体はあっという間である。

去年のことを思い出し、今年も青虫に食べられないよう、畑に植えた白菜とキャベツの畝には防虫ネットを張った。
去年、白菜とキャベツは買ってきた苗を使って育てたが、トマトやキュウリと違って白菜やキャベツが苗1つから1個しか収穫できない。
確かに苗に比べれば遥かに大きくなるものの費用対効果が悪いと考えた。
そこで今年はタネから育ててみることにしたのだが、これが思いのほか順調で、このままちゃんと育ってくれれば小さなタネから立派な野菜が収穫できるはずだ。

妻もすっかりこうした生活が気に入ったらしく、東京にいる時よりも毎日元気で楽しそうに動き回っている。
戦後の日本では農業や漁業からどんどん人が流出してしまったが、本来は一番人間に合った生き方なのかもしれない。
「ChatGPT」という新世代のAIが登場し、多くの人が職を失うと心配されているが、所詮失われる仕事のほとんどはこの100年そこらで生まれた仕事であり、もしもそれらの仕事をAIがやってくれるなら人間は元のように農業や漁業に戻ればいいのだ。
タネから自分の食べ物を育て自然の恵みをいただく。
ひたすら経済発展を追い求める時代はいずれ時代遅れの格好の悪い生き方になるのかもしれないと思った。