7月の畑仕事でメインとなるのはブドウ。
先月私の勘違いから「摘心」という作業で大失敗し、果たして実がちゃんと育つのか心配していたが、予想外に立派な房に成長していた。

こちらは「ピオーネ」。
黒い大粒のブドウだが、まだこの時期には緑色をしている。
それにしても、ブドウがたくさんぶら下がっている光景はなかなか美しく、特に自分で試行錯誤して世話をした分、今年のブドウは感動的ですらある。

そしてこちらが「マスカット・オブ・アレキサンドリア」、かつて「ブドウの王様」と呼ばれた緑色のブドウだ。
最近流行りの「シャインマスカット」に比べ管理が難しいため、最近作る農家が少なくなっているという。
「ピオーネ」に比べて生育が遅いうえもう老木なので、粒も房も小さい。

そしてこの時期のブドウは、ツルが地面に接するほど長く伸びている。
先月刈った下草も伸び始めていて、ブドウのヒゲが下草に絡まったりしている。
私は、先月学習した「摘心」の知識から「これはもう少し短く切るべきだ」と判断し、バッサバッサとツルを剪定していった。

さらに果樹栽培の本やサイトを見ると、粒を適切な数に減らす「摘粒」という作業も必要と書いてある。
YouTubeを参考に我流でブドウの房にハサミを入れる。
上の写真が摘粒前で、下の写真が摘粒後だ。

そうして適当に作業を始めたところへ、私の師匠である前の家のおじさんが声をかけてきた。
「ええのができとるが」と私のブドウを褒めてくれたうえで、「今の時期はもう触らん方がええですわ」とおじさんは言った。
意外なアドバイスだったので、「摘粒をやらないといけませんよね」と私が聞くと、おじさんは「すでに時期は過ぎていて、今触ると『生理障害』が起きる可能性がある」というのだ。

商品として出荷するなら、農協の規格に合わせて重さや粒の数を調整する必要があるが、我が家のブドウは自家用であり、収穫した際に傷んだ粒を取り除いて食べれる粒だけ食べればいいというのがおじさんの言いたいことのようだった。
確かにきれいで見栄えのいいブドウができればそれに越したことはないが、去年の無惨なブドウでさえ味に問題はなかったのだ。
「生理障害」というのがどういうものかはわからないが、下手にいじって全体をダメにしてしまったのでは元も子もない。
触らなくていいのであれば、手間も省けてこちらもありがたいぐらいだ。

農協が発行する「ぶどうの作業防除暦」というものを改めて見てみると、「摘粒」を意味する「粒間引き」は6月上旬、「玉直し」「最終着果量調整」は6月下旬に行う作業と書かれていた。
確かにこの時期になるとすでに粒が大きくなり過ぎて、ハサミが房の中に入っていかない。
それを無理やりやろうとすると、ブドウにストレスを与え成長を阻害するということなのだろう。

7月上旬の作業として書かれていたのは「袋かけ」。
周囲ではすでに袋かけを終えたブドウ畑が目立つようになっている。
おじさんも「袋をかけんとおえん」と言い、「白いのを使った方がええ」と教えてくれた。

家に戻って納屋を探すと、黄色い袋が出てきたが白い袋は見当たらない。
妻は「黄色でいいじゃない、白いのないんだから」と乱暴に言うが、私は師匠に言われた「白いのを使え」という教えがどうしても気になった。
黄色い袋をよく見てみると「青系ぶどう」と書いてある。
「青系」って何だろう?
ピオーネは黒だし、マスカットは緑だ。

そこで調べてみると、「青系」というのはマスカットのような緑色になるブドウのことだとわかった。
ブドウは大きく分けて「黒」「赤」「青」に分かれ、ピオーネのような「黒いブドウ」には白い袋、マスカットのような「青いブドウ」には黄色い袋を使うということらしい。

仕方がないので、納屋に残っていた黄色い袋をマスカットにかけていく。
朝6時前から夫婦でブドウ畑に行き、ブドウの房一つ一つに下から黄色の袋をかけ、袋についている針金を使って袋が落ちないように上部をしっかり止める。
プロの農家は素早くやるのだろうが、素人にはこの単純作業がなかなか難しい。

それでもマスカットの木は1本しかないので、30分ほどで全ての房に袋かけが終わった。
黄色い袋がぶら下がったブドウ棚はこれまたきれいで期待感を抱かせる。

ピオーネ用の白い紙袋を購入するため、車を走らせ西大寺中心部にあるJA岡山の資材販売店を訪ねる。
さすが農協、ブドウの袋もいろいろ種類が用意してあり、白い袋もいくつか種類があった。
大きな違いは袋の下が閉じているか開いているか。
開いている方が房の色づきなどが確認しやすく一般的だと農協のおじさんが教えてくれた。

そうして購入した白い袋がこちら。
100枚で473円だというので、念の為200枚購入してきた。

これをピオーネにかけていこうとしていたら、今度は裏の家のおばさんが声をかけてきた。
「こりゃ取らんと、他に広がるよ」
おばさんが教えてくれたのは黒っぽく変色したピオーネの粒だった。
高温のためにこんなになってしまったのだそうだ。
師匠には傷んだ粒があっても触るなと言われているが、おばさんに指摘されて無視するのも角が立つ。
指摘された粒だけ取り除いて、後はそのまま袋をかけることにする。

ところが袋かけをしていると、おばさんに指摘されたブドウよりももっと変色の激しい房がいくつも見つかった。
全体的に房の根元、上の部分が変色しているものが多い。
それを見て、ハッとした。
先月、私が勘違いして脇芽をすべて切除してしまったことが影響しているのだと思った。
天井を覆うはずの葉っぱがきれいさっぱり取り除かれたため、直射日光がブドウの房に当たり悪い影響を与えたに違いない。

変色しているのが上の方だけならば、そのあたりの粒を取り除き、一応袋をかけて様子を見る。
しかし下の方にまで変色部分が広がっている房は、残念ながら全部を切り落とすことにした。

結局、白い袋を200枚かけるのに1人で2時間ほどかかった。
夕暮れ時とはいえ、気温はとても高く、もう汗びっしょりだ。
しかし実際のところ袋は200枚では全然足りず、袋をかけられないままの房が相当数残ったため、明日改めて200枚追加で購入しなければならない。
僅か200平米ほどのこの小さなブドウ畑でもこれだけ手間がかかるのだから、大規模に栽培しているプロの農家は本当に大変だろう。

それにしても、そもそも何のために袋がけをする必要があるのだろうか?
疑問に思って調べてみるといろいろな理由があることがわかった。
- 害虫や鳥による食害から守る
- 雨によって感染する病気から守る
- 強い日差しからブドウを守る
- 着色を促す
食害と病気、これは農業者にとって常に厄介な敵である。
先人たちの戦いの歴史がこうした栽培法に凝縮されていると思うと、やはり師匠の言葉には従うしかないと謙虚な気持ちになるものだ。

200枚の袋をかけ終わったのは午後7時をすでに回っていた。
太陽は西の山に沈み、真夏のような暑さだった1日が終わる。
単純作業というのは面白いもので、2時間もやっていると素人なりに次第に手際が良くなっていく。
そうしたちょっとした成長を楽しめれば、農業はこの上なく楽しい仕事だと私は感じている。