WBCと大相撲でテレビ漬けだった日々が終わり、この間撮り溜めておいた録画を見始めた。
その中にあった一本のドキュメンタリーに新鮮な衝撃を受ける。
フジテレビの深夜に再放送されたNONFIX「カレーライスを一から作る 関野吉晴ゼミの9か月」という番組である。

関野吉晴さんは著名な冒険家。
私の大学の先輩でもあり、私が貧乏旅行をしていた学生時代から気になる存在だった。
世界中の秘境を冒険してきた関野さんが武蔵野美術大学で学生たちに教えていたのは、番組のタイトルにもある「カレーライスを一から作る」というユニークな授業である。
普段何気なく食べているカレーライスだが、これを一から作るためには、自分たちでまず米を作り、じゃがいもや玉ねぎ、にんじんを育て、ウコンや生姜、唐辛子などのスパイスも自分で収穫しなければならない。
そして一番難しいのは肉。
こちらを手に入れるためには、動物を自分たちで殺さなければならないのだ。

関野先生の指導のもと、学生たちは畑や田んぼを借りて野菜や米を育て始めた。
初めて鍬を持って使っていないカチカチの畑を耕す。
普段土に触れることもない学生たちには重労働、「美術とは関係ない」との不満を口にする学生もいる。
それでも慣れない手つきで種を蒔き、試行錯誤の末に収穫の時を迎える頃には学生たちが少し逞しくなっているように見えた。

海水を火にかけて、塩も自分たちで作った。
スーパーに行けばいくらでも簡単に手に入る食材を自分で作るとどんなに大変なのか、これはとても貴重な経験だろう。
自分の手と頭を使って試行錯誤する中で、気づくことがいろいろある。
こうした経験を一度すると、社会を見る目が大きく変わるに違いない。

一番の難題は肉の確保。
学生たちは最初、たくさんの肉が取れるであろうダチョウを飼うことにする。
ダチョウの雛を3羽買ってきて、専門業者に飼育を依頼するが、ダチョウの雛を育てるのは非常に難しく結局3羽とも死んでしまう。
代わりに買い求めたのは、ほろほろ鳥と烏骨鶏。
飼育係を決めて大学のキャンパスで世話をする。
カレーを作るために飼い始めた鳥たちだが、成長を見守るうちにペットのような存在になっていく。
そんな中、芝浦屠場の職員を授業に招き、食肉の生産現場の話を聞く。
ペットと家畜の違い・・・自分たちが日頃口にしている食肉の背景を知る貴重な授業だ。
「カレーの具材は野菜だけにしませんか」
そんな提案があり、学生を集めてみんなで話し合った。
この席で関野さんはこんな話をした。
『ペットと家畜の違いとか勝手に人間が決めてるわけだよね。どこでどう分けるのかとかそういうことをあまり考えずに普段生きているので、我々は命を食べないと生きていけないって言うか、人工添加物と塩以外は全部生きものなので、俺は植物も生きものだと思ってるから』
アマゾンなどで原住民と共に暮らしてきた関野さんにとって、生きることは食べること、すなわち他の生きものたちの命をいただくことだということを学生たちに伝えようとしているのだ。
そして授業が始まって9か月、カレーを食べる日がやってきた。
この日のために育てた野菜やスパイスが並ぶ中、いよいよ鳥たちをさばく時が訪れる。
関野さんが学生たちに唐突にこんな質問をした。
『誰か首折れる人いる?』
戸惑う学生たちを見て、関野さんはおもむろにほろほろ鳥を抱え上げ、静かにその首を折った。
男子学生が手伝って包丁で首を切断、ポリ袋の中にぶら下げて血抜きをする。
続いて、烏骨鶏。
今度は女子学生も加わって、学生たちが自ら烏骨鶏の首を折り切断、さらに解体も行なった。
ものすごい授業である。
正直私も自分で生きた鳥を殺す自信はない。
でも学生時代を南米を旅行した時にアンデスの山中の村で、生きた鶏をトラックの荷台に積んで売り歩いている肉屋を見たことがある。
その肉屋のトラックが到着すると、主婦たちが待ちかねたように包丁を手に集まってきて、暴れる鶏を両脇に抱えて嬉しそうに帰っていく光景は今でも忘れられない鮮烈な記憶だ。
台湾では原住民の高砂族の村を取材した際、お祝いに豚を1頭殺してくれた。
目の前で首を切られる豚の悲鳴はしばらく耳から離れなかった。
アマゾン川を下る定期船に乗り込んだ時には、豚が何頭か積まれていて夕食の前になるとけたたましい豚の鳴き声が聞こえたものだ。
私が目撃したこうしたシーンより何倍も強烈な瞬間を関野さんは見てきたに違いない。
肉も魚も切り身になってスーパーに並んでいるのが当たり前だと思っている日本の学生たちに、人間が生きるとはどういうことなのか、その生々しい真実を伝える素晴らしい授業だと思った。

この番組を見ながら思った。
こういう経験の一部でも私の孫たちにさせてあげたい。
せっかく伯母が残してくれた農地があるのだから、彼らが土に触れて自分が食べるものがどのようにできているのかを知る機会を作ってあげよう、そう思った。
鶏を殺す授業などうるさいお母さんたちが聞いたらたちまち問題になってしまいそうだが、自分たちが何を食べているのかを知ることはフードロス削減の第一歩であり、「命」と真正面から向き合うことで戦争の愚かさを心で感じることができるだろう。
偶然録画した昔のドキュメンタリー。
とてもいい番組であった。
<吉祥寺残日録>シニアのテレビ📺 BS世界のドキュメンタリー「なぜ仕事がツライのか “燃え尽き症候群”を生むシステム」 #230125