<吉祥寺残日録>バブル時代と比べて「安い国ニッポン」ってそれほど悪いんだろうか? #230403

昨夜、NHKスペシャル「ジャパン・リバイバル “安い30年”脱却への道」という番組を見る。

まるで、バブルの頃の日本を懐かしむかのような匂いを番組から感じ、多少の違和感を覚えた。

「安い国」になった今の日本って本当にそれほど悪い社会なんだろうか?

バブルの時代。

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと言われ、確かに日本製品が海外でも高いシェアを誇っていた。

家に帰らないのは当たり前、深夜のタクシーもなかなかつかまらず、日本中がマネーに取り憑かれて地上げが横行したあの時代、あれが本当にいい時代だったんだろうか?

確かに活気はあった。

コンプライアンスなんて言葉もなく、長時間労働もセクハラも当たり前の時代だった。

しかし自分たちの実力だと思っていた経済の繁栄が実はただの金余りが生んだバブルだと気づいたのは90年代半ばのことである。

バブルにおどり積極的な投資を行った企業ほど窮地に陥り、臆病に本業にしがみついた企業が生き残った。

その反動もあって2000年代になると、どんぶり勘定だったテレビ局でさえ、予算削減、コンプライアンスという言葉が横行するようになり、クリエイティブな人材よりも管理に長けた人材が幅を利かせるようになった。

日本経済の弱体化はここから始まったと私は今でも考えている。

リスクを取って新たな価値を生み出すことよりも、費用を削り人件費を抑えて利益を出すことを経営者たちは選んだのだ。

消費者もこの流れを歓迎した。

客はより安い商品に飛びつき、流通業界が価格破壊の流れを加速した。

円高の進行もあってメーカーは海外に生産拠点を移し、商社は世界中から安い品物を輸入して残った国内産業を破壊していった。

日本が今のような「安い国」になったのは、全ては私たちが選んできた道なのだ。

今頃になって「安い国ニッポン」を憂いているのは、私には奇妙に見えて仕方がないない。

かつて東京は世界一物価の高い街と言われた。

日本人が海外でブライド品や有名ビルディングを買い漁り顰蹙を買ったこともある。

それが逆転して、今や世界中から観光客や投資家が押しかける。

それって、本当に悪いことなのだろうか?

民主党政権時代、1ドル=80円を割る時代があった。

急速な円高で外貨を稼いできた輸出が滞り、日本経済の危機が声高に叫ばれた。

その流れを一気に変えたのが、安倍政権だった。

看板政策として打ち出した掟破りのアベノミクスにより、1ドル=150円に迫る水準まで円安が進んだ。

この間、単純計算でも日本の物価がドルベースで半分に下がったのである。

日本は自ら「安い国」を目指して、それを実現したにすぎない。

おかげでこの30年間、物価はほとんど上がらないぬるま湯のような状況が続き、ユニクロで安く服も買えるようになった。

世界一の超高齢化が進み年金暮らしの高齢者が増える中で、物価が上がらない社会は多くの国民にとって案外居心地が良かったのかもしれない。

ところが、ウクライナでの戦争が始まって世界的に物価が急上昇、ずっとデフレだった日本社会を突然の値上げラッシュが襲った。

賃上げという慣習がすっかり失われていた日本で物価が上がったことで、私たちがいつの間にかずいぶん貧しくなっていたことに気付かされた。

ただ思い返してみればいい。

高度成長が始まった頃の日本はとても貧しい国だった。

1ドル=360円の固定相場、ここから徐々に円高に向かい、1980年代一気に1ドル=120円まで円高が進んだ。

バブル時代、日本人が突然豊かになったと感じた背景には、急速な円高の影響もあったはずだ。

逆に今、私たちが貧しくなったと感じている原因の一つも円安にあるのである。

為替の変動には常に一長一短があるものだ。

円高は輸出には不利に働くものの、一方で海外投資をするには「強い円」が武器になる。

もしも1ドル=80円になった2000年代、日本の経営者がもっとリスクを取って積極的な海外投資を進めていたら日本の今はきっとだいぶ変わっていたことだろう。

しかし守りに入り内部留保を積み上げることに熱心だった当時の経営者たちはデジタルへの投資に失敗した。

数少ない先進国が発展途上国を搾取していた時代から新興国が経済力をつけて多極化する世界で、第4次産業革命と言われるデジタル化の流れに日本は完全に乗り遅れたのだ。

この間、日本政府も日本人もどんどん内向きになり、海外のいいものを積極的に取り入れるという戦後日本の強さを忘れてしまったことも影響しただろう。

日本が「安い国」になった原因はいろいろある。

でも、「安い国」にはそれなりのメリットもあるのではないか。

番組では日本の不動産だけでなく、企業を買いたい、人材を雇いたいという海外の投資家が増えていると伝えていた。

日本人が海外の企業にスカウトされる現状を危惧しているのだが、それを全否定するのはちょっと違うのではないだろうか?

日本企業がかつて中国や東南アジアの企業を買収して、それらの国々に仕事や技術をもたらしたように、安い日本にこれから新たな仕事や技術が海外からもたらされる可能性がある。

日本人が中国や東南アジアの企業に雇われることにも慣れなければならない。

もはや日本は世界のトップランナーではないのだ。

実態のないプライドなど百害あって一利なしである。

かつて明治の先人たちが貪欲に欧米の技術を盗み、追いつけ追い越せで日本を世界有数の技術立国に育てたように、私たちも日本の良さは守りつつ外国人をもっと受け入れて海外の優れた技術を学ぶ姿勢を取り戻さなければならない。

その意味では、日本が「安い国」になったのはチャンスでもある。

もう一つ、私は思うのだ。

今の世界はまだ金余りの状態にあり、やがてバブルが崩壊する時が来る。

中国や新興国の人たちはまだバブル崩壊がどんなものなのかを知らない。

だから、何かの拍子で世界のバブルが崩壊した時、過剰投資をしていない日本企業は相対的に生き残れる可能性が高いのではないかと私は考えているのだ。

「ジャパン・リバイバル」というのは、番組が求めるような日本が「安い国」を脱出することではなく、GDPで比較するこれまでの価値観を変え、国家単位ではなく一人ひとりが安定して暮らしていける幸福度を重視する経済に転換することなのではないかと私は思う。

「安い国」になったとはいえ、日本は依然世界第3位の経済大国であり、個人が所有する資産でも世界有数の豊かな国である。

今の日本は諸外国と比較しても暮らしやすいいい国だと私は思っている。

同様に、過去の日本と比べてみても、今の日本は決して悪くはないと思うのだが・・・。

「24時間働けますか」のバブル時代に憧れるのは間違っている。

これからは、ワークライフバランスを重視しながら個人の満足度の高い社会を実現していく、それこそが目指すべき「ジャパン・リバイバル」なんだと番組を見ながら私は考えていた。

<吉祥寺残日録>「東京ブラックホール」〜バブル時代の最中に生きる人間はバブルを感じない という教訓 #220502

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