北の国から

何度見ても好きなドラマというものがある。

キムタクの「A  LIFE」を見終わって何となくザッピングしていたら、BSフジで「北の国から95秘密」の再放送をやっていた。そういえば先週も見たのだ。「北の国から92巣立ち・後編」。

どちらも途中から見た。途中から見ても、すぐに引き込まれて、テレビを消すことができなくなる。20年以上の時を経ても、ものすごい吸引力だ。

先週の「巣立ち」では、猛吹雪の中で夜ひとり雪下ろしをしていた五郎が、誤って屋根から落ち、木材の下敷きになり動けなくなる。純と蛍が夜、五郎の家に行くが五郎は帰ってこない。外は凄まじい吹雪だ。五郎は猛烈な寒さの中で、シートを引き寄せ風雪をしのぎ、スコップの柄を削って火をおこそうとする。このロケはセットではなく、実際に夜吹雪の中で撮影されている。しびれる寒さが画面から伝わる。大自然の中で命のあまりの儚さ、そしてその中で持てる経験と意志の力で生き延びようとする人間の強さが、リアルな痛みを伴って伝わってくるのだ。

奇跡的に救助された五郎。純は犬が五郎の命を救ったと話していた。そこで五郎の同僚(大地康雄)が純と蛍に話した台詞がズシンと響く。

「あいつは自分で生きたんだ。お前にできるか?」

五郎が命と格闘した痕跡を純たちに示す。不器用でも必死で生きる人間の強さに、涙が出る。これはどういう涙なんだろう。ドラマというのは、本当にすごいものだ。

きょうの「秘密」。見始めたシーンは、大竹しのぶが五郎に会いにくる場面だった。大竹が演じるのは、蛍がかけおちした医師の妻。以前、蛍の面倒をみた婦長の役だった。大竹しのぶと田中邦衛の間でかわされる訥々とした台詞。そして二人の表情。ドキドキする。単純ではない人間の感情。善悪ではない、喜怒哀楽だけではない、追いつめられ行き場にどまどう人間の感情。それが二人の表情にうつろう。

五郎は純を連れて蛍を訪ねる。根室の寒村。荒れ狂う海。何とも切ない冬の北海道の海辺。蛍が家から出てくる。すべての感情を抑え込んだ悲しい大人の顔。白く透き通るような憂い。訥々と話を聞く純の表情。みんなうまい。少ない台詞が、人生の重さを引き出す。

五郎が待っている食堂に蛍が来る。調子がはずれてしまったような五郎の対応。みっともない親の姿。言いたいことも言えず、自分でも何を言っているのかわからない。しかし、揺らぐことのない愛情だけは伝わる。

別れ際、五郎は新巻鮭を一本買い、蛍に持たせる。大中小のサイズで迷った末、中ぐらいの鮭を選ぶ。去っていく娘に思わず五郎が叫ぶ。「いつでも富良野に帰っておいで」、と。蛍の押さえつけていた感情があふれる。すごいシーンだ。

私の人生で遭遇した一番好きなテレビ番組といえば、迷わず「北の国から」だと答えるだろう。

平成時代にはこのドラマはできない。世の中に悲しみが足りなくなっているのだろう。それはそれでいいことかもしれない。冬の北海道は演歌が似合った。今はどうだろう。地方でも皆がスマホを手にする時代にはなかなか演歌は成立しない。演歌の世界は、日本から消えさってしまったように感じる。

きょう、私は新しいパソコンをネットで注文した。そんな時代だ。

久しぶりに雪国に行ってみたくなった。

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