<吉祥寺残日録>大恐慌後の日本で起きた事 #200419

緊急事態宣言が全国に拡大されて最初の日曜日。

今日は朝から抜けるような青空で、真っ白な富士山もよく見える。

一年でも最も気持ちの良い今日のような日には、コロナのことも忘れてしまいそうになる。

欧米では今も毎日多くの人が亡くなり、日本でも感染者が1万人を超えて医療崩壊の瀬戸際だというのに、私はすっかり「コロナ慣れ」してしまい、悪いニュースを聞いてもほとんど驚かない。

「with コロナ」という言葉が世界に浸透する中、外出を自粛する生活が日常となり、「こんな静かな暮らしもありかな」と妙な平穏に浸っている。

私と同じような人たちも多いと見え、昼時テイクアウトのランチを買いに街に出ると、どこも大勢の人たちが歩いていた。

サンロードの本屋さん「ルーエ」は、多くのお客さんで混雑している。

ペットショップにはたくさんのカップルが集まっていた。

自粛生活の癒しとしてペットを飼い始める人が多いとは聞くが、こんなにゆるゆるで、日本は大丈夫なのだろうか?

今日の緩みは、2週間後の感染者として数字に表れる。

2週間後といえば5月3日。

緊急事態宣言の解除ができるかどうかを判断する大切な時期である。

まあ、個人的には緊急事態宣言は延長されるだろうと思っているのだが・・・。

午前中、暖かなベランダで本を読む。

吉祥寺の図書館がずっと閉まっているため、新しい本を借りることもできず、借りたままになっている小説を再び読み始めた。

船戸与一著「満州国演義② 事変の夜」。

小説なのだが、歴史を忠実になぞりながら描かれた作品なので、日本が戦争に踏み込んでいく経過が、当時の人々の気持ちとともにすっと理解できる気がしてくる。

この本の中から、大恐慌直後の日本に関する記述を引用させていただこうと思う。

最初のページから、こんな感じだ。

敷島太郎は総領事館の参事官室で日本から送られてきた新聞各紙に眼を通していた。時刻はそろそろ三時になろうとしている。各紙の一面には海軍軍令部参謀の草刈英治少佐の自殺がでかでかと報じられている。先月の4月22日に締結したロンドン軍縮条約に抗議して東海道線の列車内で割腹したのだ。浜口雄幸内閣の命運は予断を許さないように思える。条約締結直後から政友会の犬養毅と鳩山一郎が統帥権干犯だとして議会で追及し、この問題は拡大の一途を辿っていた。昨年の10月24日、暗黒の木曜日と呼ばれるニューヨーク株式市場大暴落にはじまる世界大恐慌は終熄の気配すらない。日本国内でも物価の下落は歯止めが掛からず、失業率はどんどん高まりつつある。今月の第11回メーデーでは川崎で竹槍武装デモが行われた。とにかく、世上は騒然としている。

この冒頭部分を読んだだけで、時代の空気が伝わってくる。

ニューヨーク市場の大暴落が起きたのは1929年、そしてロンドン軍縮条約が締結されたのは1930年のことなので、この冒頭部分は1930年5月ということになる。

当時は列強がアジアを舞台に植民地を拡張しており、日本もこの時点ですでに韓国を併合し、日露戦争の結果、満州にも足がかりを作っていた。

第一次大戦で欧州が疲弊する一方、ロシア革命の結果、ソ連という共産主義国家が成立、新たな秩序を求めて列強が睨み合う不安定な時代だった。

そんな時代に、世界大恐慌は起きたのだ。

「アメリカも相当酷い状態にあるらしいが、日本の国内もぐちゃぐちゃになってる。工場での首切りはもう当たりまえだし、失業者は徒歩で田舎に向かってる。だが、辿り着いた先の農村はもっと悲惨な状態だよ。生糸相場は下落の一途だし、米価も4割近くの値段まで下がった。農村での婦女子の身売りはもう金融恐慌のときの比じゃない。日本全体が肺結核にでも罹ったような状態だよ。これをさらにこじらせたのは今年1月の金解禁だ、あれは大失政と言わざるをえん」

「来月には、商工省は輸出振興と産業合理化のために臨時産業合理局を設置するんだよ。つづいて重要産業統制法が制定されるだろう。これは確実に産業の独占化や寡占化を促進する。いい思いをするのは財閥だけだよ」

「金解禁によって三井三菱の両財閥はべらぼうな額を手にしたと聞いているけど」

「総額がいくらぐらいなのか見当もつかんよ。とにかく、いま東京じゃ財閥にたいする怨嗟の声で溢れかえってる。労働者は職を失い、農村じゃ娘を売ってようやく粟や稗を食える状態なんだ。財閥憎しの声が沸き起こらないほうがおかしい。若い将校たちも内閣のやりかたと財閥の過剰な蓄財に不信の念を抱きはじめてる。一年以内に何かが起こるよ、絶対に何かが」

「たとえば?」

「具体的にはわからないけど、この大不況と政治体制を一変させるような何かがね。国内矛盾を満州で解決しようという動きも確実に加速される。石原参謀は満蒙領有を対ソ防衛のためと、まず軍事戦略的に位置づけているが、今後は経済的な要請のほうが強まるかも知れん。農村の余剰人口の捨て場所としての満州の確保が表現方法を変えて叫ばれるだろう。大川周明が幕僚将校たちのこころを掴んでるのはまさにそこだからね」

これは小説である。

しかし、主人公の一人と同僚の会話として書かれたこうした会話は、単なるフィクションではない。多くの歴史書を参考にして、事実を踏まえて書かれている。

大恐慌に伴う日本国内の混乱、とりわけ農村部での悲惨な状況が青年将校たちを「維新」に駆り立てた。

明治維新の吉田松陰のように、日本の現状を憂える青年将校たちに影響を与えた大川周明について、船戸氏は次のように説明している。

満鉄が出資して創設された東亜経済調査局の理事長・大川周明の自給自足論は大雑把にいうとこうなのだ。世界史の進行を考えると、大国主義は去り、代わって超大国主義がやって来る。超大国は自給自足の経済領域を確保しておかなきゃならない。そういう政治的版図を有しているのは英米ソ支の4カ国だけだ。日本が自給自足の経済単位を持つ超大国として生き残るためには、何としてでも満蒙を手に入れなければならない。

何だか、今の時代状況と似ていないだろうか?

トランプ大統領と習近平総書記が権力の座に就いてから、「自国ファースト」の風潮が世界に拡散し、米中の覇権争いが激しくなった一方だ。

そんな時代に、コロナ危機が起きた。

マスクをはじめとする医療物資を中国に抑えられ、コロナ後の世界ではサプライチェーンの再編は不可避である。

経済活動は長期にわたって停滞し、世界中に失業者が溢れるだろう。人々の不満は排他主義へと転化しやすく、過激なナショナリズムが各国で高まるだろう。

そんな時には、ナショナリズムを煽る怪しげな人物たちが登場する。大衆もより過激な言動を支持する傾向が強くなって、戦前のメディアはそれに歯止めをかけるどころか先を争って政府に強硬な対応を求めた。

こうして国中で窮状を解決する方法を海外に求めるようになって、世論をバックに政治家や軍人たちはますます内向きとなり、平時の理想を忘れてしまうのだ。

これこそ、戦争への道である。

日本人のほとんどが関東軍の動きを期待していると言っていいだろう。今年の国内の状況は酷過ぎる。すさまじい冷夏に見舞われたのだ。記録的な不作が予測される。窮迫した農村ではこれまで以上に婦女子の身売りが続出して、娘地獄と呼ばれる事態が出現していた。労働争議の件数は過去最高に達し、東京帝国大学法学部卒業生の就職率はわずかに二割六分という史上最低を記録した。時代の気分がこういう閉塞状況を打破する何かを求めていることは確かなのだ。

1931年9月18日、関東軍将校の暴走によって満州事変が勃発。

日本は1945年の敗戦まで、アジア太平洋を舞台にひたすら戦争に明け暮れることとなる。

ただ船戸氏の小説を読んで感じるのは、その時代に生きた人々の息づかいである。

欧米列強によって植民地になったアジアを日本が解放するという大義が、多くの日本青年の心に響いたことは理解できる。

貧しい農村出身の青年将校たちにとって、広大な満州の大地は日本を豊かにしてくれる希望の土地であり、そこに「五族協和の理想郷」を築くという満州国構想は命を賭けるに足る正義だったのだろう。

歴史を後から検証することと、自らが生きている時代で何が正義なのかを判断することは、明らかに違う。

「歴史は勝者が記す」という側面も間違いなくある。

新型コロナウィルスがもたらす経済危機を私たちがどのように乗り越え、どのようなポストコロナの世界を作っていくのか?

戦後生まれの私たちの世代が初めて経験する歴史の岐路に、今私たちは立っている。

果たして、私たちの孫の世代が評価してくれるような行動をすることができるだろうか?

少なくとも、大恐慌後の日本人が犯した過ちを再び繰り返さないよう、改めてこの時代の歴史を私たちはしっかり学ぶ必要があると感じている。

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