竹取物語

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平成から令和への改元を前に、天皇にまつわる本を読んでいる。

その中の一冊、関裕二著『「天皇家」誕生の謎」という本の序章に書かれた「竹取物語」の話が面白いので、紹介したい。

「竹取物語」といえば、もちろんあの「かぐや姫」の物語だ。

 

『 「竹取物語」には、実在すると思われる貴公子たちが登場し、かぐや姫はその権力者たちを冷たくあしらい、しかも「卑怯な人物」とレッテルを貼っている。したがって「竹取物語」は、「風刺小説」なのである。』

『 「竹取物語」がたんなるおとぎ話ではないことは、キャスティングと時代設定からも明らかである。

江戸時代の国学者、加納諸平は、古代の官僚名簿「公卿補任」の文武5(701)年の条に記された高官の顔ぶれが、「竹取物語」の登場人物に似ていると指摘した。かぐや姫に求婚し振られた貴公子たちは実在したというのである。ちなみに、文武天皇は聖武天皇の父にあたる人物で、時代は平城京遷都の直前のこととなる。

そこで、その名を挙げてみよう。実在の人名と、「竹取物語」の貴公子たちの名を順番に並べてみる。

①左大臣 多治比嶋(たじひのしま)・・・・・石つくり(作)の御子

②右大臣 阿倍御主人(あべのみうじ)・・・・右大臣 あべのみむらじ

③大納言 大伴御行(おおとものみゆき)・・・大納言 大伴のみゆき

④大納言 石上麻呂(いそのかみのまろ)・・・中納言 いそのかみまろたり

⑤大納言 藤原不比等・・・・・・・・・・・・くらもちの皇子

②③④は、ほぼ同一の名である。①と⑤は名が異なるが、それぞれに接点がある。①の多治比嶋の一族には「石作氏(いしづくり)」がいる。問題は、⑤のくらもちの皇子と藤原不比等の関係である。

「なぜ藤原不比等に限って、登場人物に当てはまらないのか」という不思議に注目してほしい。他の四人は、「公卿補任」の名簿から、ほぼモデルが特定できた。それなのに藤原不比等に当たる登場人物だけは、「似ているもののそのままではない」ところが引っかかる。

なぜこのような瑣末なところにこだわるのかといえば、「竹取物語」が書かれた平安時代は「藤原」の全盛期だったこと、「泣く子も黙る藤原」の発展の基礎を築いたのが、他ならぬ藤原不比等だったからである。』

 

竹取物語の登場人物が実在したことは驚きだ。

もしそうであれば、作者不詳のこの作品には、何らかのメッセージが込められているとみるのが自然だろう。

関氏は、次のように続ける。

 

『 「竹取物語」の作者は、この世を「穢き所」とののしっている。「この世」とは藤原の天下であり、「竹取物語」は、実は「藤原」そのものを罵倒しているのである。いわば「竹取物語」は、敗者側の視点から書かれた文書であり、敗れ去った者の恨みを連ねた「稗史(はいし=民間の歴史書)」なのである。』

『 「竹取物語」に登場する貴公子の中で、くらもちの皇子は、もっとも軽蔑すべき卑怯な人物として描かれている。

くらもちの皇子がかぐや姫から求められたのは、東海の蓬莱山にある「銀を根にし、金を茎とし、白い玉を実にして立つ木」だった。くらもちの皇子は、朝廷には「筑紫の国に行って参ります」と告げて休暇を取り、かぐや姫の家には「玉の枝を取りにいってきます」と告げ、難波に秘密の工場をつくり、工人を雇って玉の枝を作らせたのだった。』

『 もし、くらもちの皇子が藤原不比等と同一人物と考えれば、平安時代を「穢き所」とののしり、藤原の天下をこき下ろした「竹取物語」の趣旨と矛盾はない。

藤原全盛の平安時代に、「竹取物語」は藤原の世を呪い、藤原の天下をつくりあげた藤原不比等をおとしめるのである。まさに命がけの行為であり、藤原不比等に限ってきれいに当てはまる人物が見当たらないことのほうが、むしろリアリティがある。つまり、くらもちの皇子が藤原不比等に直結するような設定であれば、作品そのものが闇に葬られ、作者は断罪される可能性が高かったということだろう。』

 

竹取物語の作者は不明だが、紀貫之ではないかとの説を関氏は押している。

紀氏は紀国に拠点を置く古代豪族で蘇我氏没落後中央政界で頭角を表すが、866年の応天門の変によって没落する。変の背後には藤原氏の陰謀があったとされる。

関氏の推理がどこまで当たっているのか私にはわからないが、文字になった資料の少ない古代史では、限られた情報をもとに想像たくましく自分なりの推理を展開することができる。

考古学ファンという人たちの気持ちが生まれて初めて少しだけ理解できたような気がした。

天皇の歴史は、そんな曖昧な古代史最大のテーマなのだ。

少し興味が湧いてきた。

 

 

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