坂の上の雲

テレビニュースに突如、大連が登場した。

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北朝鮮の金正恩委員長が空路、大連を訪れたようなのだ。

中国の習近平主席も空母試験運航式出席のため大連に滞在中で、再び中朝首脳会談が行われたと伝えられた。米朝首脳会談を前に駆け引きが慌ただしくなってきた。

当然、大連の街中は物々しい警戒ぶりだという。つい二日前まで、何も知らずに滞在していた街が今日は国際政治の舞台になっている。

面白いものだ。

さて、日露戦争を描いた小説といえば、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」だろう。

大連から戻った翌日、図書館で借りてきた。と言っても、ほとんど貸出中だったため、借りられたのは文春文庫版の第3巻だけだった。

この中に「権兵衛のこと」という項がある。権兵衛とは、日露戦争時の海軍大臣・山本権兵衛のことだ。この中に興味深い数字を見つけた。引用させていただく。

 

『権兵衛についてふれる前に、驚くべき材料を提示しておかねばならない。

日本の国家予算である。

狂気ともいうべき財政感覚であった。

日清戦争は明治28年に終わったが、その戦時下の年の総歳出は、9160余万円であった。

翌29年は、平和の中にある。当然民力を休めねばならないのに、この29年度の総歳出は、2奥円あまりである。倍以上であった。このうち軍事費が占める割合は、戦時下の明治28年が32%であるに比し、翌年は48%へ飛躍した。』

 

軍事費に国家予算の半分を使ってしまう国。北朝鮮のことを笑っていられない状況だったのだ。明治期の日本を見ることは、北朝鮮を理解する上で役にたつかもしれない。

さらに、続ける。

 

『明治の悲惨さは、ここにある。

ついでながら、われわれが明治という世の中を振り返るとき、宿命的な暗さがつきまとう。貧困、つまり国民所得の驚くべき低さがそれに原因している。

これだけの重苦しい予算を、さして産業もない国家が組み上げる以上、国民生活は苦しくならざるを得ない。

この戦争準備の大予算(日露戦争まで続くのだが)そのものが奇跡であるが、それに耐えた国民の方がむしろ奇跡であった。

ひとつは、日本人は貧困に慣れていた。この当時、子供は都会地の一部を除いては靴を履く習慣もない。手製のわら草履か裸足であり、雪国の冬の履物はわら靴で、これも手製である。子供だけでなく、田舎では大人もほぼそうであった。

食物は、米と麦とあわ、ひえで、副食物の貧しさは、話にならない。

その上、封建的な律儀さがまだ続いており、個我の尊重というような思想は、わずかに東京の一部のサロンで論じられている程度である。

他にいろいろ要素があるが、一国を戦争機械のようにしてしまうという点で、これほど都合のいい歴史時代はなかった。』

 

どうだろう。どう見ても、今の北朝鮮を記述したようだ。

さらに、続ける。

 

『この当時の日本人が、どれほどロシア帝国を憎んだかは、この当時に戻って生きねばわからないところがある。臥薪嘗胆は流行語ではなく、すでに時代のエネルギーにまでなっていた。

エネルギーは、民衆の中から起こった。為政者はむしろそのすさまじい突き上げを抑えにかからねばならない側であり、伊東博文などは、「おおかたの名論卓説を聞いてもしようがない。私は大砲と軍艦に相談しているのだ」と言ったりした。軍事力において比べものにならぬ大国に対し、国内世論がいかに政府を突き上げたところで政府としてはどうしようもないのである。

大建艦計画は、この国のこの時代のこのような国民的気分の中で生まれ、遂行された。

明治29年にスタートする建艦10カ年計画が実施された。国家予算の総歳費が、いよいよ膨らんだ。明治30年度の総歳出のごときは軍事費が55%であり、同32年度のそれは明治28年度のほぼ3倍という具合に膨れ上がった。国民生活からいえば、ほとんど気が予算といってよかったが、この時期の日本の奇妙さは、これについての不満がどういう形でもほとんど出なかったことである。』

『実際のところ日清戦争当時の日本海軍というのは、劣弱そのものであった。

一等戦艦というのは一応の基準として1万トン以上の艦をいう。それも日本は持っていないが、ロシアは10隻も持っている。二等戦艦は7千トン以上、日本はゼロ、ロシア8隻。三等戦艦は7千トン未満、日本ゼロ、ロシア10隻。一等装甲巡洋艦は6千トン以上、日本ゼロ、ロシア10隻。日本が持っていたのは、二等巡洋艦以下の艦種ばかりである。それが、10カ年で巨大海軍を作ろうという。

世界史の上で、時に民族というものが構成の想像を絶する奇跡のようなものを演ずることがあるが、日清戦争から日露戦争にかけての10年間の日本ほどの奇跡を演じた民族は、まず類がない。』

『日本は日露戦争直前において、今まで持ったこともない第1級の戦艦6隻と、第1級の装甲巡洋艦6隻をそろえ、いわゆる六六制による新海軍を作った。これだけでも驚嘆すべきであるのに、その軍艦はことごとく思い切った最新の計画が用いられており、たとえば非装甲の防護巡洋艦などはほとんど作られていない。英国海軍がなおこの種の巡洋艦を作りつつあったのに、である。

日本人は、大げさにいえば飲まず食わずで作った。

その日本海軍の設計者が、この建艦計画当時やっと海軍少将になったばかりの山本権兵衛である。エネルギーは国民そのものに帰せられるべきだが、日本海軍の設計と推進者はただひとりのこの薩摩生まれの男に帰せられねばならない。』

 

こうして10年間で日本は世界の五大海軍国の末端に連なるようになった。

まるで、北朝鮮の核開発や弾道ミサイル開発を想起させる話だ。今の北朝鮮も、飲まず食わずでミサイルと核兵器を開発した。国民に不満が溜まっているに違いないと、私たちは自分たちの感覚で考えがちだが、もし今の北朝鮮国民が明治期の日本人と同じなら、ひょっとすると北朝鮮国民の中にエネルギーがあるのかもしれない。

それにしても、やはり司馬さんの文章は面白い。

私が拙い言葉で表現しようとしたことを見事な文章にまとめてくれている。

 

『一つの時代が過ぎ去るというのは、その時代を構築していた諸条件が消えるということであろう。消えてしまえば、過ぎ去った時代への理解というのは、後の世の者にとっては同時代の外国に対する理解よりも難しい。』

 

まさに、その通りだ。

同じ日本人でも、帝国主義時代に生きた当時の日本人の頭の中を想像することは、今の北朝鮮に暮らす人々の頭の中を覗く以上に難しいことかもしれない。

 

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