不致仕

漢詩に俄然興味が湧いてきた。「NHK新漢詩紀行」の本をめくっていると、私が持っていた漢詩の退屈なイメージが壊れていく。

私がそれだけ年をとったということなのだろう。

 

本の中から気に入った詩を一つ。

白楽天が30歳代に読んだ「不致仕」という五言古詩が面白い。いつまでも辞めない年寄りを糾弾するアジテーションのような詩だ。

 

不致仕

七十面致仕 礼法有明文

何乃貪栄者 斯言如不聞

可憐八九十 歯堕双眸昏

朝露貪名利 夕陽憂子孫

桂冠顧翠緌 懸車惜朱輪

金章腰不勝 傴僂入君門

誰不愛富貴 誰不恋君恩

年高須告老 名遂合退身

少時共嗤誚 晩歳多因循

賢哉漢二疏 彼独是何人

寂寞東門路 無人継去塵

 

ちしせず

しちじゅうにしてちしするは

れいほうにめいぶんあり

なんぞすなわちえいをむさぼるもの

このげんきかざるがごとくする

あわれむべしはっくじゅう

はおちてそうぼうくらし

ちょうろにめいりをむさぼり

せきようにしそんをうれう

かんむりをかけんとしてすいすいをかえりみ

くるまをかけんとしてしゅりんをおしむ

きんしょうこしたえず

うるしてくんもんにいる

たれかふうきをあいせざらん

たれかくんおんをこわざらん

としたかくしてすべからくろうをつぐべし

なとげてまさにみをひくべし

わかきときはともにししょうすれども

ばんさいおおくはいんじゅんす

けんなるかなかんのにそ

かれひとりこれなんびとぞ

せきばくたるとうもんのみち

ひとのきょじんをつぐなし

 

「七十歳で勇退すべきことは、『礼記』にもはっきり書いてある。なのにどうして栄誉を貪る者は、この言葉を聞いたこともないふりをするのか。みじめなことよ、八十歳九十歳になると、歯は抜け落ち両眼は見えなくなる。朝霧のように短い人生なのに名誉や利益を貪り、夕陽のように老いさき短い身で子孫を心配する。辞職しようとしても冠のひもに未練が残り、引退しようとしても朱塗りの車輪が惜しまれる。金印の重さにたえきれず腰をかがめ、背をまげて御門に入ってゆく。誰もが富貴は好きだし、誰もが君恩をこいねがう。だが、年をとったら引退すべきだし、名誉を得たら当然勇退すべきなのだ。若いときはみなで辞職しない老人の悪口をいい、晩年は大体がぐずぐずためらっている。賢人だったなあ、漢の疏広・疏受は。いったいどういう人であったのだろう。彼らが去った後の東門の路は物寂しく、彼らの跡を継ぐ者はいない。」

特に解説を聞くまでもなく、今日でもごく普通に見られる現象だ。1200年前も今も、人の営みは変わらないというのは面白いものだ。

さらに面白いのは、30歳代でこの詩を作った白楽天も、官職を退いたのは71歳の時だったという。「礼記」が示す70歳定年を守らなかったわけだ。

「俺がいなくなると業務が滞るので、キリがいいところまで」とか、「ちゃんとした後継者が育つまで」とか、自分は特別と思ってしまうのは人間の性なのだろうか。

私は、早期引退主義者で60歳で引退したいと思っていたが、老後破産を避けるためにはどうやら年金支給年齢まで働かざるを得なさそうだ。それでも、70歳まで会社で働くことは絶対にあり得ない。

残りの人生は、自分のために精一杯使うと決めている。

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