<吉祥寺残日録>久米宏ラジオなんですけど #200610

「ラジオっていいな・・・」

それに気づいたのは、本当に偶然だった。

6時半ごろ目が覚めて、朝の空気を吸おうとベランダに椅子を持ち出し、遠くを眺める。

日々パソコンやスマホを眺める時間が多いので、左目の白内障のことも気にかけてなるべく遠くを見るように最近意識するようになった。

いつものようにアマゾンミュージックを聴いていたのだが、7時になったのでニュースを見ようと思った。最近あまり面白いニュースがないので、わざわざ部屋に戻ってテレビを見ることもないと思い、スマホに入っているNHKのアプリを開いた。

NHKラジオのアプリは「らじる★らじる」という。

まだ7時より少し前だったので、まずNHK第2放送を再生してみると、ちょうど「ラジオ英会話」をやっていた。

中学校で英語を初めて勉強して以来、私には抜きがたい英語に対する苦手意識がある。学校での成績は常に他の教科に比べ圧倒的に悪く、社会人になり海外特派員になってからもなるべく自分が英語を喋らなくても済むように日本語を話す優秀が現地スタッフと仕事をした。

「英語がしゃべれるようになりたい」

長い人生の間、何度そう思ったことか。そして何度英語の勉強にトライしたことか・・・。

その度に、挫折した。私の耳は語学用にできていない。人には向き不向きがあるのだ。

それでもカタコト英語で世界90カ国を旅行してきた。ただ旅をするだけなら、不自由はさほどない。

NHKアプリをしげしげと眺めてみると、英語だけでなく様々な言語のレッスンを聴くことができる。しかも聴き逃し機能があるので、決まった日時にラジオをオンにする必要がない。

また、挫折するかもしれないけれど、気長にラジオで語学の勉強を始めてみようと思った。時間を味方につけて、5年、10年かけてゆっくり学ぶ習慣を身につけようと心に決めた。

そして7時。

NHKラジオの朝は、ベテランアナウンサーの三宅民夫さんが司会を行う「マイあさ!」というワイド番組が放送されていることを初めて知った。

7時からはNHKニュース。三宅さんがリードを読み、サブのアナウンサーなニュースの本文を読む。テレビに比べてずっとゆったりしたペースだった。

トップニュースは、テレビと同じく「コロナと熱中症」の話。急に暑くなってきて、マスクをするのが苦痛になってきたということだろう。

まあ、なるべく人混みに行かない、これしか解決策はないだろう。

大したニュースがないことを確認し、再び「らじる★らじる」をチェックする。

目に留まったのが「朗読」。

「青空朗読」を時々聞く者としてNHKラジオの朗読も気になった。

今ちょうど放送しているのは壺井栄作「二十四の瞳」。

もちろん本の題名は知っている。小豆島を舞台にした分校の話だということも知っている。でもどうも辛気臭い気がして、読んだことも映画を見たこともなかった。

でもラジオで聴くのも一興だと思い、第1話から再生してみた。

 十年をひとむかしというならば、この物語の発端ほったんは今からふた昔半もまえのことになる。世の中のできごとはといえば、選挙せんきょ規則きそくがあらたまって、普通選挙法ふつうせんきょほうというのが生まれ、二月にその第一回の選挙がおこなわれた、二か月後のことになる。昭和三年四月四日、農山漁村のうさんぎょそんの名が全部あてはまるような、瀬戸内海せとないかいべりの一寒村へ、若い女の先生が赴任ふにんしてきた。

出典:青空文庫

物語の始まりは、昭和3年。私の父親が生まれた年だ。

私は退職後のテーマの一つとして、今から百年前の時代、すなわち大正期から昭和初期について歴史を調べ、日本がなぜ戦争をしたのかを理解することと決めている。昭和3年から始まる物語はこのテーマにぴったりだと思い、すぐに朗読に入り込んだ。

自分で読むのは目を使うが、朗読だと耳に主役が交代する。その間、目を休めることができるというのは、とても魅力的なことだ。

「二十四の瞳」の第一話を聴き終えて、今度は民放ラジオも聴いてみようと思い、やはり私のスマホに入っているアプリ「radiko(ラジコ)」を立ち上げてみた。

「さて、何を聴くか?」

ここで、はたと思いついた。

久米宏さんのラジオ番組が今月で終了するというニュースを最近見たばかりだ。

TBSラジオ「久米宏ラジオなんですけど」。

検索してみるとすぐに先週末の放送が見つかった。

恥ずかしながら私はラジオを聴かないので、今回初めて久米さんのラジオを聴いた。

オープニングの話題は、亡くなった横田滋さんの話からだった。

拉致問題が大きなニュースとなった当時、久米さんはすでにTBSを辞め「ニュースステーション」を始めていた。

続いての話題は、麻生太郎蔵相が国会でコロナに絡んで「日本の民度のレベルが違う」と発言したお話。

久米さんらしい皮肉たっぷりに麻生さんをおちょくった上で、「憲法上の制約があった」という言葉の中に含まれる意味を、憲法改正の緊急事態条項に絡めて取り上げた。安倍政権下で、テレビがどんどん萎縮する中で、久米さんはこうしてラジオを舞台に自由に自説を展開していたことを知る。

そうしてテンポよく2つの話題でオープニングトークをまとめた後で、「重要なお知らせ」として番組終了のことをリスナーに伝えた。

2006年秋始まる

『50年以上にわたってたくさんの番組を担当し、全ての番組が今では終わっているが、1本だけまだ終わっていない番組がある』と前振りをした上で、その唯一の終わっていないこのラジオ番組が今月いっぱいで終了すると話した。

『本来ならもっと早くお知らせするべきだったが、番組の終了は今年の年明け早々に決まった。その後世の中が妙な方向に行っちゃって、終わると言ったら「コロナか?」という話になっちゃって コロナの影響で言いそびれてしまった。』と笑いながら、終了の理由がコロナとは関係がないことを明かした。

ではどうして番組は終了するのか?

コロナの影響もあり、このところ番組のリスナー数が急増しているという。私同様、政府のコロナ対策に苛立った人たちが久米さんのラジオを聴いていたのだろう。

久米さんは、『辞める理由は複数ある』と語った。

『ここ数年、自分でも「あれっ」と思う言い間違いが多い。ほとんどはケアレスミス。集中力、根気が衰えている。年齢が一番の原因だ。』と自らの能力の衰えを第一の理由に挙げた。

確かに、ラジオを聴いていて、若い頃の高音で流れるような早口とはかなり口調が変わっていた。

年齢というものは、どんな人でも避けては通れない。

それでも、ラジオならむしろゆっくりとした口調の方が聴きやすい。放送のプロである久米さんはそんな自己分析のもと、ラジオに活動の場を移したのかもしれない。

さらに、「辞め時」に関して自説を語った。

『番組を辞める時って下り坂になって辞めるのは良くない。高原というか、調子いい時に辞めるのがいい。出演者もスタッフも、いい思い出が残る。さらに、後に続く番組のためにもボロボロになってから辞めるのは良くないとずっと思っている』というような話をされた。

テレビ業界で生きてきた私にとって、すごく納得できる話だった。

どんな番組にも、始まりと終わりがある。

新しい番組を立ち上げるのは大変だが、ある意味前向きな作業なので楽しい。企画を立て、社内でその企画を通すのは一苦労だが、新番組が決定し、スタッフ集め、キャスティング、演出プランやコーナー企画の詰めなどやることはものすごくたくさんある。

番組がスタートした後も、視聴率を分析しながら、どんどん番組を修正していく。立ち上げた企画が跡形もなく変わってしまってから成功する番組も多い。

番組の方向性を巡ってスタッフ内の対立が起きたり、出演者がへそを曲げたり、集団作業ならではの苦しみを味わいながら番組は成長していく。

視聴率が上がらなければ、毎回毎回大幅な企画変更が求められるので、現場は疲弊しまくる。そうして立ち上げた新番組の多くは、競争に敗れ、長寿番組になることなく終了していくのだ。

番組の終了は基本的に編成局と呼ばれるセクションで判断される。

視聴率が一番の判断材料となるが、中には不祥事で突然打ち切りになる番組も少なくはない。

久米さんが指摘するように、番組が調子がいい間に次の番組にバトンタッチするのが理想だ。たとえば、久米さんが担当した「ニュースステーション」から古舘さんの「報道ステーション」への以降は、典型的な成功例だろう。

前番組の視聴率が低いと、ゼロから視聴者を獲得しなくてはならない。面白い番組でも一度も見てもらえなくては視聴率を上げるチャンスさえないのだ。前番組が一定の視聴者を獲得していれば、まず初回は見てもらえる可能性が高く、その常連さんをガッチリつかめれば、番組の基盤を得ることができる。

「ボロボロになる前に辞める」これは放送業界では理想だが、なかなか実現できない理想なのだ。

そんな久米さんが自分のキャリアで「ボロボロになって辞めた例」として挙げたのが「横山やすしさんとやった番組」だった。私は思わず笑ってしまった。

久米さんが指摘した番組は、日本テレビで1982年から85年にかけて放送された「久米宏のTVスクランブル」である。

TBSを辞めた久米さんが横山やすしさんと組んだ情報バラエティーで、私も好きでよく見ていた。やすしさんはもうめちゃくちゃで、酒に酔ってスタジオにやってきたり、放送禁止用語を乱発したり、「黙秘権」と言って番組中一言も喋らなかったり、挙句の果てには飛行機に乗り遅れて番組に穴を開けて降板した。

そんなやすしさんを久米さんがからかったり叱ったりするのが面白くて、とてもテレビ的な番組だったが、久米さんにとってはあまりいい思い出はないのだろう。

でもこの番組の経験があったから、「ニュースステーション」のキャスターに決まった時も、私にはまったく違和感はなかった。

世の中を斜に見る久米さんのリベラルな姿勢は、ラジオでも一貫して変わらず、最後まで自分のスタイルと美学を変えずアナウンサー人生を終えようとしている久米宏さんには改めて敬意を表したいと感じた次第である。

今日もとっても暑い日になりそうだ。

明日からは曇りや雨の日が続く予報。もう梅雨がそこまできている。

「ラジオはいい」

ラジオを再発見した朝。

会社を完全に辞めた後、テレビや本だけでなく、ラジオが私の重要な友となりそうな予感だ。

1件のコメント 追加

  1. dalichoko より:

    まい朝も久米さんも時々聞いています。
    久米さんの番組っていいですね。
    (=^・^=)

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