<吉祥寺残日録>シニアのテレビ📺 BS世界のドキュメンタリー「なぜ仕事がツライのか “燃え尽き症候群”を生むシステム」 #230125

フィンランドといえば、世界幸福度ランキングで堂々の1位に輝く北欧の国。

しかし、そんな国でも働くことに悩んでいる人は多いらしい。

フィンランドで制作されたドキュメンタリー番組は、現代社会が抱える世界的な問題を軽妙なタッチで描くものすごく示唆に富んだ番組だった。

番組のタイトルはズバリ『なぜ仕事がツライのか〜“燃え尽き症候群”を生むシステム』。

頻繁に業務を遮る電話、長引く会議、多すぎるペーパーワーク…私たちは過酷な労働環境にどう向き合えばよいのだろうか。働き方から社会を読み解くドキュメンタリー。 ある調査によれば、「熱意にあふれる社員」の割合はわずか2割、「やる気のない社員」は6割に達しているという。ストレスや怒りを感じているのに働き続けた結果、心身ともに疲れ果てて仕事を続けられなくなることも。燃え尽き症候群のケースなどを紹介しつつ、人生のリセットについて考える。

引用:NHK

この紹介文にも登場する調査結果。

世界中の従業員のうち、「意欲的な人」は20%、「意欲的でない人」は61%、そして「不幸のあまりに会社の足を引っ張っている人」が19%だという。

さらに興味深いのは国別の比較だ。

9カ国が比較され、「意欲的な人」の比率が多い順にアメリカ、ブラジル、スウェーデン、ドイツ、ケニア、イギリス、韓国、フランスと続き、最下位が日本だった。

グラフで表されていたので正しい数字はわからないが、日本の場合、「意欲的な人」は10%弱、「意欲的でない人」は70%、そして「不幸のあまりに会社の足を引っ張っている人」が20%あまりいるという結果である。

アンケート調査を行うと日本人は何事でもネガティブに答えがちなので実態を正しく表しているとは断言できないが、実際のところ、どのくらいの日本人が自分の仕事に満足しているのだろう?

番組では「燃え尽き症候群」を発症したビジネスマンたちのワークショップを通して、現代の仕事の問題点を探ろうとする。

すると、単に現代人のメンタルの弱さでは説明できない仕事の変質が浮き彫りになる。

この番組で紹介され、指摘される現代の仕事の問題点について、いくつか引用しておこうと思う。

まず番組の冒頭に登場するのは・・・

  1. 可能なかぎり仕事を中断
  2. 重要な仕事の最中に会議を設定
  3. 書類を増やす
  4. 決定は全て委員会に諮る
  5. 関係ない話題の“演説会”を催す
  6. 承認者は1人でいいのに3人配置

多くの会社でよく見られる日常だが、実はこれらの項目は全て第二次大戦中にアメリカが作成した「サボタージュマニュアル』に書かれた方法。

敵の組織を打倒するため占領下のヨーロッパでレジスタンスに配布したものだという。

つまり、現代の会社は自ら無駄な業務を増やしてサボタージュしているというわけだ。

実に面白い。

現代の仕事の問題点を解説するのは、文化人類学者で『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』の著書、デヴィッド・グレーバー氏。

経済学者のケインズが週15時間労働を予言したのは1930年代。未来をもっと明るいものにしたいと思っていた頃です。当時ほとんどの人は工業化は悲惨な現実しかもたらさなかったが、テクノロジーがもっと進歩すれば皆がレジャーを楽しみ、悠々自適な生活を送れると考えていました。いずれはロボットの召使いが身の回りの世話をしてくれて、オートメーションが単調な農作業や過酷な工場労働から人々を解放する、サービス業さえやがて人間が行う必要がなくなるだろうと。

今なら週15時間労働は可能です。ではなぜ、そうなっていないのか?

何が起きたのかというと、私たちは事務職なるものを作り出してしまったのです。ケインズの時代には全雇用の4分の1だったのに、今では4分の3を占めています。単なる事務職だけでなく管理職も作りました。今世界中で数えきれないほどの人がこうした仕事に従事しています。

仕事について様々な人の話を聞いて驚いたのは、彼らがどれほど自分を不幸せに思っているかということでした。不幸せなばかりかどうしたらいいのかさえわからないのです。

引用:『なぜ仕事がツライのか〜“燃え尽き症候群”を生むシステム』より

事務職と管理職を作ったことが仕事を増やしてしまった。

実に的確な分析だと感心した。

『ビジネス・ブルシット』の著者アンドレ・スパイサー氏も・・・

19世紀に新たな役職が生み出されました。マネージャー、つまり管理職です。当初は機械の調整が専門のエンジニアが管理職になることが多かったのです。彼らは従業員を歯車と見做し、調整すれば生産効率は上がると考えました。

1970年代後半になると、会社はもう生身の人間がいる場所とは認識されなくなりました。企業が目指すのは株主利益の最大化です。そこでは従業員は単なる人的資源に過ぎず、経営上の数値として扱われる存在になっていったのです。それぞれの生い立ちや家族や住む場所への愛着など無視されて、もはや歯車でさえありません。データとして入力されたり削除されたり数字に過ぎないのです。

引用:『なぜ仕事がツライのか〜“燃え尽き症候群”を生むシステム』より

さらに、番組中、こんなナレーションも・・・

『特定の業務が得意な人物を管理職に置き、より多くの給料を払って別の業務をさせる。得意ではない仕事をあてがわれた管理職の下、チームの生産性は低下。それでも高給の支払いは続きます。当の管理職は業績を上げようと経営コンサルタントを雇って問題の修復にあたる。見栄えのいい報告書はできあがるものの、実際に変化が起きるとは限りません。コンサルタント料の支払いも続きます。』

悪いマネージメントに起因するコストは年間7兆ドル(ギャラップ調査)だそうだ。

私の会社人生は比較的恵まれていたと今でも考えているが、管理職の弊害について思い当たることはいくつもある。

私が働いていたテレビ局は普通の会社とは少し違うかもしれないが、若い時にはずっと現場で走り回り、とても充実していた。

しかし年齢と共に徐々に管理職的な仕事が増えていき、40歳を過ぎた頃からは完全に管理職に昇格して次第に仕事が面白くなくなった。

それでもまだ現場のプロデューサーなどなら面白いことも多いのだが、苦手な予算管理の仕事を任せられた時などはもう苦痛で苦痛でたまらなかった。

ただしサラリーマンとしては、こういうつまらない管理職業務は出世の証であり、権限と責任はどんどん大きくなっていく。

この頃から身体中にストレスがかかり、夢でうなされることも多くなった気がする。

しかしそうした管理職の仕事にも次第に慣れていくと、ほとんどの仕事があってもなくてもいいような仕事だと気づくようになる。

スタッフの管理、予算の管理、コンプライアンス、トラブル処理。

私には現場の仕事の方が遥かに大切だと思えたが、中には嬉々としてこうした管理業務に情熱を燃やす人間もいる。

現場に新たなノルマを押し付けたり、無意味な会議や委員会を作ったり、必要以上にコンプライアンスに熱心で忙しい現場スタッフを集めてセミナーを度々開いたりしていた。

さほど必要ではない仕事を作り出して、自分の成果だとアピールする輩が実に多いのである。

もちろんひと昔に比べ、社会がセクハラやパワハラなどに厳しくなり気をつけるべきことが増えたのも事実だが、本業である番組を作るスタッフよりもコンプライアンス担当のスタッフの方が威張っていて、経営と直結して現場を振り回すようになったのは今世紀に入ってからではないかと思う。

おそらくどの業種でも、本業ではない業務が拡大し、多くの時間と労力が裂かれるようになったのではないだろうか。

テレビ局の場合、番組を作ることを目的に入社した人が大半なので、忙しい現場での仕事ではやりがいを見つけやすい。

一人一人に一定の権限も与えられ、自分の頭で考えて創意工夫する楽しさを味わうこともできる。

それに対して、管理職になれば、時には自分の意に沿わぬ指示を現場にしなければならないこともあり、クリエイティビティを発揮する機会も減ってくる。

それでも人事権を持つことによって、若い後輩たちに成長のチャンスを与えられたり、新番組を立ち上げるチーム編成に知恵を絞ったり、管理職としてのやりがいもあるにはあるが、満足度としてはやはり現場を走り回っていた頃のようには得られなかった。

もちろん、人によって感じ方は様々だろうが、私の場合は事務職や管理職は少なければ少ない方がいいと感じている。

番組では、アメリカ型資本主義のまん延が企業の形を変えたことも指摘する。

たとえば、会社のトップであるCEO=最高経営責任者。

労働者の報酬が1978年と比較して18%増えたのに対して、CEOの受け取る報酬は1322%も増加したという。

ここでこんなナレーションが・・・

『劇にはもちろん様々な登場人物がいます。スターはCEO=最高経営責任者です。報酬はもちろん主役級。CEOの主な役割は、大舞台での独演会。「この勢いを加速し財務基盤を強化すればさらなる成功が見込めます」 幻想に基づく彼らの演説は劇の展開とはほぼ無関係です。「過去最高の製品となります」 主役の給料を上げても効果があるとは限りません。ドラマチックな転落の原因は往々にして彼らなのですから。経営の失敗が引き起こす人間の心理的コストは帳簿には載りません。大規模な組織再編の影で不満や悲しみを堪える人々。』

日本でいつ頃から「CEO」という呼称が聞かれるようになっただろう。

私の経験では、今世紀に入ってから。

「会社は株主のもの」とか、「月次決算」とか、「コンプライアンス」とかという言葉が普通に使われるようになった時期と重なるような気がしている。

あの頃から日本企業もずいぶん変質したように感じる。

『ビジネス・ブルシット』の著者アンドレ・スパイサー氏はこう指摘する。

企業とは「裸の王様」に出てくる王様そのものです。実際の姿より、どう見られたいかの方が大切なのです。将来のことを約束して組織再編やリストラをやり、常に姿を変えていきますが、新しい人材を入れて社名やロゴを変えても実態はほとんど変わりません。

こうした変化でたくさんの人が被害を受けます。職を失った人だけでなく、残った人も大きなストレスを受けるのです。このような合理化は必要に迫られてというより、大抵はCEOが実績を誇示するために行われます。つまり、企業の目標株価を予想するアナリストに対してのアピールです。実際リストラをすれば、会社の実態はそのままでも市場での評価が高まり株価が上昇します。株価が上がればCEOの収入も増えます。彼らの多くがストックオプションや株価連動型の報酬を受け取っているからです。

引用:『なぜ仕事がツライのか〜“燃え尽き症候群”を生むシステム』より

文化人類学者のデヴィッド・グレーバー氏はさらに本質的な問題を指摘する。

現在の経済システムの最悪な点を一つ挙げましょう。それは実際に目に見える仕事、確実に人のためになる仕事ほど報酬が低くなるという点です。

病院の清掃員は賃金の10倍の価値を生む

保育従事者は賃金の7倍の価値を生む

ロンドンの銀行家は賃金の7倍の価値を毀損する

OECDの統計を見ると、生産性が急激に伸びているのに対して賃金はほぼ横ばいのままです。では余剰分の利益はどこに行ったのでしょう。皆さんも薄々気づいて入ると思いますが、全て金融市場につぎ込まれているのです。利益は総人口の1%の富裕層に集まり彼らはその金で投資という名のギャンブルに興じているわけです。

引用:『なぜ仕事がツライのか〜“燃え尽き症候群”を生むシステム』より

これは私が常々感じている違和感である。

介護現場で働く人たちの仕事はとても大変でとても人の役に立っている。

でも、給料は安い。

コロナ病棟で働く看護師さんたち、保育所で働く保母さんたち。

仕事と給料が見合っていない。

それに比べて、大企業の窓際でほとんど何もせず時間を浪費しているベテラン社員がどれだけいることか。

会社にとってもお荷物だが、本人たちも楽しくはない。

それでも飼い慣らされたサラリーマンたちは、自分の足で歩く術を知らず、不満を募らせながら会社にしがみつく。

実に不幸な関係ではないか。

心理学者で『バーンアウト・チャレンジ』の著者クリスティーナ・マスラーク氏は、燃え尽き症候群に関係する要素をこう分析する。

様々な研究からわかったことは、ある仕事に対して向き不向きが生じる時、そこには少なくとも6つの要因があるということです。つまり向き不向きは予測できるんです。仕事との相性が良ければ仕事への意欲は増し、相性が悪ければ燃え尽き症候群になるリスクが高くなる。

誰もが要因として思い浮かべるのが仕事量です。疲労と最も明確に関わるであろう項目です。需要が高い仕事なのにそれをこなすための人手が足りないといったケースです。しかも十分な時間が与えられず、必要な情報も手段もない。一人でこなせるわけがないんです。

2つ目の要因が裁量権。ある仕事を最適なやり方でこなそうとする時、どの程度決定権や自主性が与えられるかです。よくあるのが、裁量権も選択権もなくただやれと命令されるパターン。研究で分かったのは、たとえ仕事量が多くても裁量権が多ければ問題はないということ。でも仕事量が多くて裁量権がないとやっと仕上げてもやり直し、徒労に終わります。

次は報酬。報酬が不十分ということはどれだけ首尾よく仕事を終えても、どれだけきっちり納期を守っても、それに見合う対価が得られないということです。報酬はお金や福利厚生とは限りません。もちろんそれらも重要ですが、往々にしてもっと大切なのが社会的認知であり、感謝です。「あなたのおかげでピンチを脱することができた」「君がいなければできなかった」「本当にありがとう」と誰かが認めてくれる。そんな些細なことなんです。

そしてコミュニティー。日常的に身を置く社会的環境のことです。うまくいっているコミュニティーでは、メンバー同士で助け合う環境が整っている。わからないことがあれば誰かがすぐ助けてくれるといったような。互いが互いを信頼し尊重する相互依存の状態。コミュニティーが機能していればかなり安心です。

自分の職場環境の不公平があると感じ、自分が不公平に扱われたりすると、会社への不信感が激増します。会社との間で価値観の対立があれば、状況はさらに悪化します。

人間とはどんな生き物で、どうすればモチベーションを高めていい仕事ができるのか。そして充実した人生を送るには何が必要なのかを理解しなくてはなりません。

引用:『なぜ仕事がツライのか〜“燃え尽き症候群”を生むシステム』より

私も長年サラリーマンをやってきたので、こうした点は理解しているつもりである。

でも、現場や管理職だけで解決できる段階ではないのかもしれない。

もっと根源的なところから企業や経済の仕組み、さらには仕事の概念そのものを考え直す必要があるように感じている。

そうした意味で、文化人類学者デヴィッド・グレーバー氏の提言は大いに耳を傾ける価値があるように思う。

初等教育の段階で子供の自然な好奇心が叩き潰されているんです。小学校における決まり事の多くは工場労働者を育成するために作られたものです。たとえばベルが鳴ると起立して別の教室に移動するといったように、部屋を移動する理由なんて別にないのに。なぜいまだにそんなことを続けているのでしょう。もはや学校に通う子供の多くは将来工場で働かないのに。意味などわからなくても働く人間に仕立て上げる場所、それが学校です。学校とはちょっと考えれば誰でも変だと感じることに疑問を持たないよう教育する場です。

労働の価値とは何なのかを見直す時期に来ているんだと思います。なぜなら何百万もの人々が毎日仕事をしながら自分のしていることに価値も意味もないと感じているんですから。市場経済が認める価値と働き手が感じる価値の間に不一致が生じていて、何かが大きく間違っていると人々は感じています。彼らは仕事とは本来世の中の役に立ち、かつ自分の心の中にある何かを深めていくものだと思っているのです。

今こそ経済に対する考え方を改める時です。もはや生産や消費だけで経済を語れません。今ある仕事のほとんどは何かを作り出しているわけでも、別の物に作り変えているわけでもありません。築き上げたものが壊れてしまわないように現状維持に努めているだけです。人はもともと誰かの役に立ちたいと思っているのです。だから好きにさせておけば大抵はいいことをします。役に立たなくてもね。

でも下手くそなミュージシャンの中にジョン・レノンが生まれ、変人科学者の中からアインシュタインが出て来れば十分元が取れるってものです。

引用:『なぜ仕事がツライのか〜“燃え尽き症候群”を生むシステム』より

会社を辞めて畑仕事をするようになって、私も仕事についてこれまでよりも深く考えるようになった気がする。

世間で「仕事」と呼ばれているものだけが仕事ではない。

誰かの役に立つ仕事は、たとえ報酬がなくても充実感を味わえるのだ。

これから人生を切り開く若い人たちにとっては報酬はとても重要だが、でもお金だけの価値観で仕事に向き合うとやがて心が満たされなくなるだろう。

今の世界を覆うフラストレーションの正体を朧げながら見つけたような気分にさせてくれた非常に興味深いドキュメンタリーであった。

こうした時代の問題点を的確に指摘する番組を、日本のテレビマンたちにも頑張って作ってもらいたいものである。

<吉祥寺残日録>定年後を考える😄 退職メールにうれしい返事 #200620

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