昨日は、朝から一日中、雨が降り続いた。

そんないかにも梅雨らしい日に、私は偶然、一つの言葉に出会った。
「一隅を照らす」
天台宗を開いた最澄の言葉で、比叡山延暦寺を頂点とする天台宗の信者にとって1000年以上に渡って生きる支えとなってきた言葉だという。
アフガニスタンでの活動中に襲われ命を落とした中村哲医師も、「一隅を照らす」という言葉を座右の銘とし実践した人だった。

私がこの言葉に出会ったのは、録画機の容量が少なくなったのを気にして、録画しているテレビ番組を見始めた時だった。
NHKの番組「歴史秘話ヒストリア〜比叡山延暦寺 最澄 1200年のメッセージ」。
歴史の知識が足りないと思い、とりあえず毎週録画している番組の一つなのだが、正直言って最澄にはまったく興味がなかった。
私の家は真言宗だし、延暦寺には権力との癒着や僧兵のイメージが強く、全くいい印象を持っていなかったからだ。
しかし、見始めると最澄という人物に対する見方が変わった。
悟りを開いた最高位の僧侶だけが仏になれるとする旧来の奈良仏教に疑問を感じ、誰でもが仏になれる道を模索した偉いお坊さんだったらしい。

「一隅を照らす」は、その最澄が書いた『山家学生式』(さんげがくしょうしき)の冒頭にある言葉だという。
正確には、「一隅(いちぐう)を照らす、これ則(すなわ)ち国宝なり」。
「それぞれが与えられた立場で一生懸命努力すると社会全体が明るくなり、そうした人材こそが国の宝である」というような意味だと理解した。
「ヒストリア」のよれば、一隅を照らすという言葉は、遣唐使として中国天台山の国清寺で学んでいた最澄が出会ったある仏典の言葉が元になっているという。
「一隅を守り、千里を照らす」
番組ではこの言葉の意味を「自分の立っている場所を懸命に守れば、社会をあまねく照らすことになる」と伝えた。
それを聴きながら、今の私にぴったりの言葉だと思った。
退職後、まだ行ったことのない外国に旅することばかり考えていた私が、コロナ危機で旅行をすべてキャンセルし、今は会社も辞めて自分が暮らす吉祥寺で何か人の役に立つことをしたいと考えている。
誰かに教えられたわけでもないが、自然の成り行きで「一隅を守る」行動を始めようとしているのかもしれないと強く感じたのだ。
番組のナレーションは次のように続く。
「一人一人ができることをする。それこそが仏になる道だ。・・・ついに最澄は誰もが仏になれる術を見出しました。」
私は別に仏様になりたいわけではないが、「一人一人ができることをする」という偶然出会った言葉が、今の私の背中を押してくれているように感じた。
番組を見終わって、この言葉をネットで調べていると、天台宗が「一隅を照らす運動」なる活動を行なっていることを知った。
公式サイトには、「一隅を照らす」という言葉についての解説が出ている。
『山家学生式』は、伝教大師が『法華経』を基調とする日本天台宗を開かれるに当たり、人々を幸せへ導くために「一隅を照らす国宝的人材」を養成したいという熱い想いを著述され、嵯峨天皇に提出されたものです。偉大な教育者でもあった伝教大師は、仏教の教えに基づいて自ら進んで善行に努力する人、与えられた持ち場や役割を誠実に務めるリーダー(指導的人格者)、すなわち大乗の菩薩を育成することに心血を注がれました。
現代日本社会は高度経済成長を経て、科学文明が発達し、物質的には豊かな時代になったと確かに言えるでしょう。しかしながら一方では、現代社会は多様化と複雑化の一途をたどり、人間としての心の豊かさがどこかに置き去りにされてきたのではないでしょうか。
私たちはそれぞれの心の中に仏性(ぶっしょう)という仏さまの性質を持っています。一人ひとりに本来具わっている大切な宝物である仏性を引き出し、磨き上げる行いが大切です。
出典:「天台宗 一隅を照らす運動」サイト
テレビに比べて、やはり抹香臭い感じがして、宗教色が強くなると私にはどうしても拒絶反応が出てくる。
そこで、私は天台宗が大切にする「一隅を照らす」ではなく、「一隅を守り、千里を照らす」という言葉を大切にしてみようと思った。
これは、中国の高僧・荊渓湛然(けいけい たんねん)という人が書いた『止観輔行伝弘決(しかんぶぎょうでんぐけつ)』に登場する言葉だそうである。
話は少々脱線するが、天台宗が大切に教え伝えて来た「一隅を照らす」という言葉の漢字について、ある論争が行われていることを知った。
先に紹介した天台宗公認の「一隅を照らす運動」のサイトにも、こんなことが書いてある。
「一隅を照らす」という言葉については、「照于一隅」「照千一隅」というような議論がありますが、昭和49年7月23日に開催された天台宗勧学院議において「照于一隅」を「一隅を照らす」と読み下すという統一見解が出され、一隅を照らす運動総本部では、この決定に依拠しています。
出典:「天台宗 一隅を照らす運動」サイト
論争のきっかけは、最澄が残した『山家学生式』の漢字。
もともと漢文で書かれているのだが、天台宗では1200年間、一隅を照らすを表す漢字を「照于一隅」と教えて来た。しかし、ネット情報によれば、昭和40年代に木村周照師と薗田香融博士がそれに異を唱え、「照千一隅」が正しいとの説を唱えたらしい。
「于」と「千」確かに似ている。
しかし、原典が『止観輔行伝弘決』であるならば、確かに「千里を照らす」の「千」が正しいように感じる。しかし、1000年以上守って来た教えをそう簡単に変えるわけにはいかないようで、今も天台宗では「照于一隅」の表記を使い、「ブラタモリ」でもこちらの漢字が紹介されたそうだ。

いずれにしても、そんな論争は、私にはどうでもいい。
私は、「一隅を守り、千里を照らす」「守一隅照千里」を目指す。
この言葉は戦時中には軍事的な意味合いで使われ、瀬島龍三もこの言葉をよく使ったという。
でも、私はもっと平和的な意味で使いたい。
この言葉を私の今後の行動指針とし、会社から離れた後は、自分の家族や自分が暮らす地域のためにできることを行う。そして、時々は旅に出て見聞を広め、このブログを書き続けていきたいと、降り続く雨を眺めながら改めて心に誓った。
そういえば、井の頭弁財天のご本尊様は、伝教大師最澄によるものと伝えられている。
必要なものは、すべて「一隅」、すなわち自分が今いる場所で見つかるものなのだ。
吉祥寺を定点観測しながら世界を考える、そんな暮らしが当分続きそうだ。