<きちたび>高野山の旅2023🇯🇵 奥之院、壇上伽藍を駆け足で巡り「別格本山 西室院」で伯母の永代供養を申し込む

初めての高野山への旅2日目。

前日の大雨も上がり、宿泊した「普門院」を8時にチェックアウトして駆け足での高野山観光に出かける。

まず向かったのは奥之院。

高野山の開祖である空海が今も生きて人々の平安を祈っているとされる場所だ。

高野山を回るバスに乗り、終点の奥之院前で降りる。

一の橋から歩くのが正式な参道だが、奥之院前までバスで行くとショートカットできるらしい。

広いよく整備された参道の両側には石灯籠が並び、立派な杉木立が取り囲む。

さすが高野山。

脇道とはいえ、なかなか立派な参道である。

少し進むと真新しい墓地があり、有名企業やさまざまな団体のちょっと変わったお墓が並ぶ。

こちらは靴下や下着の「福助」。

「しろあり やすらかにねむれ」という謎の墓石もあった。

あまりのインパクトに驚かされたが、これは「社団法人 日本しろあり対策協会」が建てたものらしい。

しかし高野山の中でも奥之院が人気な理由はもちろんこんな新しいお墓ではない。

今も新しいお墓が建てられている墓地を抜けて左折すると、昔からの参道に合流する。

思わず、「なるほどこれが奥之院か」と唸る光景が目の前に広がった。

杉林は他では見ることができないほどの巨木揃い。

墓も苔むして、長い歴史を感じさせる。

多くの外国人観光客がこの奥之院を目指して世界中からやってくる理由がわかった。

杉の巨木の根元に、赤い服を着たお地蔵様。

どこを撮っても絵になる。

カメラ好きな人はなかなか前に進まなくなってしまうだろう。

さらに、参道の両側には戦国武将や大名の墓も多い。

こちらの立派なお墓は薩摩島津家のお墓。

カメラ好きで歴史好きな私にとって、これほどの場所は日本中でもそれほどはないだろう。

こちらは甲斐の虎、武田信玄のお墓。

背景の杉木立に調和して実に美しい。

奥之院の近くには豊臣秀吉を筆頭に豊臣家の墓地がある。

他の大名とは一線を画するように、一段上がった高台に広々とした墓所を確保している。

さらに奥、空海に近い場所には豊臣秀吉の主君、織田信長の墓もあった。

ただ非業の死を遂げた信長は子孫も根絶やしにされたためか、そのお墓は意外なほど小さい。

そしてなぜか奈良を治めた筒井順慶の墓がその脇にある。

こうして歴史探索を楽しみながら参道を進むと「御廟橋」があり、この橋から先は空海が住む聖域とされる。

だから撮影もここまでとなるが、御廟の手前に立つ燈籠堂にはお参りすることができ、その地下には寄進されたたくさんの燈籠と「身代わり大師」と呼ばれる小さな弘法大師像がびっしりと並んでいた。

奥之院で納骨や永代供養を依頼するとここに祀られるのかもしれない。

ちなみに、今も生きているとされる空海がいる御廟は燈籠堂の奥にあり、燈籠堂の脇の出口から裏手に回ることができる。

ただ御廟に立ち入ることはできず、燈籠堂の裏手から御廟の門を拝むのみだ。

この御廟に入ることが許されているのは高野山の数少ない僧侶だけで、毎日2回、空海に食事を運ぶ「生身供(しょうじんぐ)」という儀式が行われている。

信じる者は救われる宗教の不思議な世界である。

奥之院の参拝を終え、急いで向かったのは高野山のもう一つの聖地、壇上伽藍。

ここは空海が高野山で最も最初に造営した場所で、高野山のシンボルである色鮮やかな「根本大塔」などの建物が建っている。

根本大塔の内部は撮影禁止。

中央には本尊である大日如来、その周りを金剛界の四仏(しぶつ)が取り囲み、16本の柱には十六大菩薩、四隅の壁には密教を伝えた八祖(はっそ)像が描かれ、堂内全体が立体の曼荼羅として構成されているのだそうだ。

こうして奥之院と壇上伽藍の雰囲気だけは一応味わい、その足で向かったのは「西室院」というお寺だった。

「別格本山 西室院」は金剛峯寺の北側、町の中心から高野山駅の方向に向かった場所に立っている。

このお寺を訪ねたのは、伯母宛のハガキが残っていたからで、おそらくかつて伯母が高野山を訪れた際、このお寺に泊まったのではないかと私たちは推理した。

伯母は時々、高野山を訪れてお婆さんの供養を頼んだ話を私たちにして、やっぱり高野山は立派だと話していたので、伯母の永代供養をこのお寺で相談しようと思って時間を予約して訪れたのである。

外見は至って質素な印象を受ける。

まだ緑も少ないせいかもしれないが、空海自ら設けた四室の一つ「西室」を起源とする高野山の中でも由緒正しいお寺なのだそうだ。

建物の中も、宿泊した「普門院」と比べると昔ながらで素朴な印象を受ける。

宿坊もあるが、旅行サイトなどで客を集めることはせず、供養のために訪れる信者や関係先から依頼された団体客などを泊めているという。

それでも、広間などを見ると立派な襖絵が描かれていて、その格式の高さを感じさせる。

派手さはないが重厚さを感じさせる。

永代供養された故人の位牌が安置される本堂も見学させてもらったが、普門院のような絢爛さはなく、全体に薄暗く、空海の時代はこんな感じだったのかと感じさせる重々しさがあった。

そんな西室院でも最近は宿坊協会などから依頼され、外国人客を泊めることも多くなったという。

そのため、お寺では庭に面した部屋を新しくリニューアルして畳の上にテーブルを並べた部屋を作った。

なかなか素敵なお部屋で、ここでお茶をいただきながら、その場で伯母の永代供養をお願いする申込書に記入した。

永代供養の費用は1人20万円。

2人一緒だと30万円で、位牌が少し大きくなるらしい。

伯母の場合は1人なので20万円を後日振り込むことにして、申し込みは簡単に終わった。

1週間もすれば伯母の位牌が出来上がり、本堂の棚に置かれることになる。

これで用事も全て終わり、母たちへのお土産を買い、軽い昼食を済ませて帰路についた。

お土産は、高野山の老舗和菓子店「みろく石本舗 かさ國」で選んだ。

このお店は創業150年だそうで、とても趣がある。

高野山駅で30分ほどケーブルカーを待つ時間があったので、駅舎の2階に上がってみると、古き良き風情の展望室があって急峻な高野山からのパノラマを楽しむことができた。

他のお客さんは誰も上がってこなかったが、待ち時間を潰すには格好の場所だと思う。

帰りは来た道を大阪まで戻り、そこから新幹線を使わず、初めて在来線を乗り継いで岡山まで行くことにした。

高野山駅を午後1時すぎに出発して、最寄駅の東岡山に着いたのは午後6時半。

距離にすればさほど遠くはないけど、新幹線や南海特急を使っても片道4時間ぐらいかかるので、やっぱり高野山は秘境なんだと思った。

伯母の永代供養をしたことで、私もこれからは高野山との縁ができる。

義務としての参拝は一切求められないが、気が向けばいつでもお参りすることができるのだ。

せっかくならば伯母を出汁に、四季折々の高野山を楽しんで、いずれは私も高野山で永代供養してもらいたいと思い始めた。

それほど、高野山は神秘的で訪れる価値のある天空の宗教都市なのである。

「別格本山 西室院」
住所:和歌山県伊都郡高野町高野山697
電話:0736-56-2511
https://koyasan697.jp/

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