<きちたび>琵琶湖の旅2023🇯🇵 歴史ある「坂本ケーブル」で訪れた比叡山延暦寺は地上より少し涼しかった

昨日8月1日は、私たち夫婦の41回目の結婚記念日。

飛行機に乗るのが苦手になった妻に合わせて、今年は岡山に向かう新幹線を途中で降りて、琵琶湖のホテルに宿泊することにした。

日本一大きな琵琶湖。

ホテルの窓から見える琵琶湖は穏やかな海のようで、初めて訪れた妻も気に入ったようだ。

とはいえ、一歩外に出ると相変わらずの猛暑。

このまま何もせず、冷房の効いたホテルでゆっくり過ごすという選択肢もあったが、せっかくなのでどこかに出かけたい。

そこで閃いたのが、まだ訪れたことがない比叡山延暦寺だった。

ホテルの無料バスでJR湖西線の堅田駅まで行き、電車で比叡山坂本駅へ向かう。

坂本は昔から比叡山延暦寺に向かう門前町として栄え、多くの僧侶が暮らしていた。

織田信長による比叡山焼き討ちの後、戦後処理を任された明智光秀の築いた湖岸の名城「坂本城」があったことでも知られる。

また坂本は、「穴太衆(あのうしゅう)」と呼ばれる城の石垣などを作った石工集団の出身地としても知られ、今も比叡山の麓には風情ある石積みの街並みが残されている。

とはいえ、わざわざこの暑い夏に歩き回る気にもならず、比叡山坂本駅から路線バスに乗って、比叡山に登るケーブルカー「坂本ケーブル」の乗り場を目指す。

石積みの町を抜け、10分ほどで趣のある駅に到着した。

登録有形文化財にも指定されている比叡山鉄道、通称「坂本ケーブル」のケーブル坂本駅である。

昭和2年(1927年)の開業当時から使われているレトロな駅舎。

山林に囲まれてひっそり建つその姿はどこか懐かしさを感じさせる。

駅舎の中に入ると、大正ロマン溢れる佇まい。

無機質な今風の建物とは違って、心地よい温もりを漂わせている。

ケーブルカーは毎時00分と30分の2本。

バスが到着してからケーブルカーが出発するまでは10分ほどあるので、慌てることなく切符を買うことができる。

終点の延暦寺駅までは往復で1660円だ。

このレトロな駅舎で、嬉しい情報を見つけた。

それは気温である。

海抜654メートルにある終点のケーブル延暦寺駅は地上より3度低いらしく、午前10時の段階ですでに30度を超えている麓に比べ、山上は28度。

多少ではあるが、比叡山は涼しいのだ。

出発の5分前、改札が開く。

赤い車体に緑のラインが入ったこちらが坂本ケーブルの車両である。

1号車が「縁」、2号車が「福」と名付けられているのも比叡山らしい。

坂本ケーブルは全長2キロ。

1966年に伊香保ケーブルが廃止されて以来、日本最長のケーブルカーという地位を守っている。

最大斜度18度の急斜面を11分かけて登っていく。

階段状になったレトロな客席はすべて後方向きに設置されている。

途中所々で見える琵琶湖を眺めるためなのだろう。

ただ、基本的に車窓からは山の斜面や延々と続く檜の林が見えるばかりで想像していたような琵琶湖のパノラマは見られない。

途中に2つの駅が設けられているが、降りる客はいない。

そのうちの一つ「ほうらい丘駅」のすぐ近くには、「霊屈の石仏」と呼ばれる洞窟がある。

比叡山焼き討ちで殺害された人たちの霊を慰めるため地元の人たちが奉納した石仏が収められているという。

それにしても、この急斜面を眺めていると、攻め上がった織田軍も守る比叡山の僧兵も凄まじいものがあると感じざるを得ない。

終点のケーブル延暦寺駅。

駅を素通りしてまっすぐ延暦寺を目指す他の客たちを尻目に、私はこの建物の2階にある展望テラスに行ってみた。

登ってきたケーブルカーの線路の向こうに琵琶湖の絶景が広がっている。

北東方向を眺めると、琵琶湖大橋。

私が宿泊するホテルはこの橋を渡った先にある。

展望テラスの南側へ回ると、大津の市街地がはっきりと見えた。

東には琵琶湖、西には京都盆地を見下ろす比叡山という稀有なロケーション。

中世の時代、ここに集った僧兵たちが強い影響力を握った事情はこの山に登るとよく理解できる。

この駅舎には坂本ケーブル建設当時の写真も展示されていた。

大正時代末期、牛を使ってレールを運び、岩を砕いて線路を敷いていった。

トンネルを掘り、橋を架け、それはそれは大変な工事だったことが伺える。

でもそれだけ、比叡山に登るケーブルカーには需要があったということだろう。

駅舎で坂本ケーブルの歴史に触れた後、緩やかな山道を辿って延暦寺を目指す。

鳥が鳴き、時折、鐘の音が聞こえる。

車で登ってくる人が多いとみえ、この山道を歩く人はまばらだ。

途中、木々の間から仏塔が見えた。

おそらく延暦寺の東塔だろう。

天台宗の総本山、延暦寺はここ比叡山一帯の広大なエリアに散財する150ほどの堂塔の総称である。

10分ほど歩くと、「比叡山」と「延暦寺」と書かれた2本の柱が立っていた。

ここから先が延暦寺の境内らしく、中に入るには1000円の諸堂巡拝券を買わねばならない。

真言宗の総本山、高野山に比べてちょっとがめつい印象を受ける。

門を通ったすぐ先に延暦寺の中心となる国宝「根本中堂」があった。

ここには延暦寺に開山以来1200年以上受け継がれる「不滅の法灯」があることで有名だ。

しかし、現在は平成の大改修の真っ最中ということで、根本中堂はすっぽり工事の囲いに覆われていた。

ちょっと、がっかり。

でも、内部には入ることができるようだ。

2016年に始まった平成の大改修は10年がかりの大工事で、屋根を覆う銅板も60年ぶりに葺き替えられるそうだ。

総工費は50億円。

根本中堂の内部は撮影禁止なのだが、工事の様子が見えるステージ部分だけは撮影が許されていた。

撮影が許されない大講堂では、ちょうど高校生たちが勉強に訪れていた。

788年に最澄が開いた比叡山延暦寺は天台宗の総本山であると同時に、さまざまな鎌倉仏教の開祖たちが学んだ修行の場としても知られる。

浄土宗の開祖・法然、浄土真宗の親鸞、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、日蓮宗の日蓮。

比叡山が「日本仏教の母山」と呼ばれるのはそういう理由があるのだ。

工事中の根本中堂で今年亡くなった伯母の冥福を祈り、自分の中では初盆のお詣りということにする。

お詣りを済ませた後、外に出て木陰に置かれたベンチに座る。

時折そよそよと風が吹き抜けると、地上とは全然違う涼しさを感じた。

気持ちがいい。

お勤めを終えた僧侶たちが根本中堂から出てきた。

あまり荘厳さを感じさせないダラダラとした仕草。

でも遠目に見れば、それなりに絵にはなる。

妻はもうその場所を動こうとせず、「どこか行きたければ行ってきていいよ」と言う。

せっかくなので、私は一人、根本中堂の目の前にある急な石段を登ってみることにした。

一段一段、結構な段差があり、注意しないと転がり落ちそうなほど急で恐怖すら感じる。

石段の先にあるのは、延暦寺の山門にあたる「文殊楼」。

868年に、円仁(慈覚大師)がもっぱら坐禅を行う「常坐三昧」の修行道場として創建した建物で、受験生の合格祈願で人気があるという。

根本中堂の近くには「一隅を照らす会館」という建物があった。

一隅を照らすとは、天台宗の基本をなす教えであり、自分が今いる場所で精一杯頑張って周囲を照らすのが人の道というような意味だと理解している。

不平不満を言うのではなく、自らの役割を果たすというこの最澄の教えは、無宗教の私にも響くものがありちょっと好きな言葉である。

会館に併設する形で「万拝堂」というお堂があった。

ちょっといかがわしい雰囲気の施設だが、延暦寺が平成の時代に作った新しいお堂のようで、こんな説明が添えられていた。

『このお堂は日本全国の神社仏閣の諸仏諸菩薩諸天善神と勧請し合せて世界に遍満する神神をもともに迎えて奉安して日夜平和と人類の平安を祈願している平成の新堂である。回峰行者は毎日暁天にこの地に立って世界中の神仏に所願の成就と世界の平和を祈願している。参拝者の皆様どうぞ堂内に入られて日日夜夜のご守護を感謝し平和とそれぞれの願いを祈願して下さい』

ということで、お堂の中央に安置された千手千眼観世音菩薩を取り囲むように全国の有名な仏様や神様が描かたたくさんの額が並べられていた。

宗教というものは古くなるほどもっともらしくなるが、新しいうちはなんでも怪しく見えるから不思議だ。

こうして、根本中堂の周辺を少し歩いただけでもうお腹がいっぱいになり下界に降りることにした。

伯母の永代供養をお願いした高野山に比べて、比叡山には神秘性が欠ける気がする。

空海が今でも最澄に比べて人気があるのは、その辺の雰囲気が関係しているかもしれない。

そんなことを考えながら坂本ケーブルで山を降った。

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