ミュシャ

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世紀末のパリ。アールヌーヴォーを代表する画家アルフォンソ・ミュシャは大女優のポスターで時代の寵児となった。

彼の出身はオーストリア帝国領モラヴィア、現在のチェコだ。

今年の夏、チェコを旅する。少しでもチェコのことを少しでも知りたいと思い、国立新美術館で開かれている「ミュシャ展」を見に行った。

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チケット売り場には長い行列ができていた。おばさまたちが大挙して押しかける。

ミュシャ、チェコ語読みのムハが50歳で祖国に帰り、晩年を費やして描き上げた20点の超大作「スラブ叙事詩」がすべて東京にやってきた。チェコ国外では初めての展覧会だ。

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会場に入ると、いきなり大きな絵が並んでいた。「スラブ叙事詩」だ。

一室だけ写真撮影OKになっていた。20作品の「スラブ叙事詩」のうち5作品がこの部屋に展示されている。天井の高い大きな部屋は人々に埋め尽くされ、みんな思い思いにスマートフォンを取り出し写真を撮る。

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「イヴァンチツェの兄弟団学校」という題名のついた1914年の作品。イヴァンチツェはミュシャの故郷だという。こんな解説が付けられていた。

『15世紀にチェコの宗教改革運動を主導したボヘミア兄弟団は、16世紀にイヴァンチツェを活動の拠点に定め、この地に開いた学校で、チェコ語に翻訳した聖書の印刷を行いました。ここには、イヴァンチツェの城壁を背にした校庭で、聖書の初刷りを確認する人々の様子が描かれています。全景左では、盲目の老人のために聖書を読み上げる少年がこちらを見つめています。この少年は若き日のムハ自身をモデルに描かれました。』

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若き日のミュシャが描かれた部分を撮影した。細部まで驚くほど表現力で描かれている。

中世ヨーロッパを揺るがした宗教改革。チェコではプロテスタント運動の指導者ヤン・フスがカトリック教会によって火刑に処せられた。その後、「フス戦争」と呼ばれる宗教戦争が起きる。プロテスタント対カトリック。スラブ民族対ゲルマン民族。日本人には少し縁遠い話だが、「スラブ叙事詩」の中では重要なモチーフとなっている。

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「ロシアの農奴制廃止」と題された1914年の作品。「自由な労働は国家の礎」という副題が付けられている。

「スラブ叙事詩」は、スラブ民族の先祖を描いた「原故郷のスラブ民族」に始まり、スラブ民族の歴史が綴られている。多くの戦い、多くの苦しみが描かれる。「ロシアの農奴制廃止」は20作品中19番目に位置付けられる作品だ。

そして20番目に当たるのがこの「スラブ民族の賛歌」である。

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パリでアール・ヌーヴォーの旗手として小洒落たポスターを描いていたミュシャが晩年どうしてこうした作品を残したのか。私には何となくわかる気がする。

50歳にして故国に帰ったミュシャ。当時故郷は、ハプスブルグ家が支配するオーストリア帝国の一部となっていた。ドイツ人支配に反対するチェコ人の間で「汎スラブ主義」が広まった時代だった。

「スラブ叙事詩」を描き始めた2年後、第一次世界大戦が勃発。そして1918年、チェコスロバキアが独立を果たす。その時代をミュシャはプラハで過ごしていたのだ。

若い時、華やかな都会に憧れ、流行の最先端で生きる喜びを感じた人も、年をとると自らの生きた意味を何かの形で残したい欲求にかられる。ミュシャはその溢れる画才を使って、自らの民族が歩んだ苦難の歴史とその先に待っている明るい未来を20枚の大作にぶつけた。

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「スラブ民族の賛歌」には、こんな解説が付けられていた。

『画面上部の筋骨たくましい青年は、チェコスロヴァキアのほか、第一次世界大戦後に独立を遂げた民族国家を象徴し、大きく広げた両手に自由と調和を意味する花輪を持っています。ムハ(ミュシャ)は、自由と平和のために奮闘したスラブ民族の精神が、国を越えてあらゆる人々の理想となることを願っていました。』

彼の晩年はチェコにとって希望の時代だった。1939年の彼の死後、第二次世界大戦が起こり、戦後チェコは共産圏に飲み込まれた。もし彼が生きていたとしたら、「スラブの盟主」ロシアが支配したあの時代をどのように感じただろうか。

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とても見応えのある展覧会だった。

少数民族がひしめく中央ヨーロッパの苦悩とミュシャの圧倒的な表現力と色彩感覚が、心に強く残った。

プラハでも、ミュシャの作品を見に行きたい。

 

 

 

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